そうして、俺は長かった実行委員の仕事を終え、陽だまり亭へと帰ってきたのだ。
「お帰りなさい、ヤシロさん。随分遅かったですね」
店は閉まっていたのに、ノックをするとジネットがすぐに出てきてくれた。
きっと食堂でずっと待っていてくれたのだろう。
「店長さん、ただいまです!」
店に着く直前に目を覚ましたロレッタが元気よく帰還の挨拶をする。
と、ジネットの目がまんまるく見開かれた。
「ロ、ロレッタさん……その、おでこ……?」
「おでこ?」
何かを察したのか、「くわっ!」と、変な音の息を漏らし、ロレッタが俺の背中から飛び降りる。そのままズダダとトイレへと駆け込んでいく。鏡を見に行ったのだろう。
「ふなぁぁああああ!? なんですかこれはぁ!?」
トイレから絶叫が聞こえ、俺は思わず吹き出してしまう。
「……ヤシロさん。何をしたんですか?」
「俺の背中の乗車賃だ」
「……もう。いじめちゃダメですよ」
優しく窘められる。が、まぁこれくらいは、な。
「ぅぉぉおおおおお兄ちゃんっ! あたしに何したですか!?」
トイレから飛び出してきたロレッタは、仁王立ちで俺を睨みつける。
おでこに、光り輝く『肉』という字を浮かび上がらせて。
「ウェンディの光る粉をデコに塗っておいた。これで夜道も安心だろ?」
「どうせならもっと可愛い模様にしてほしかったです! 『肉』ってなんですか、『肉』って!?」
可愛い模様ならよかったのかよ。
「洗えば落ちるだろ」
「水に溶けにくいというところまでは聞いていたです! 夢うつつだったですが!」
あぁ、そこら辺で寝たんだな、こいつは。
「もう! 余計なことしかしないです、お兄ちゃんは! マグダっちょー! お湯を貸してくださいですぅ!」
デコをゴシゴシこすりながら、ロレッタは厨房の奥へと駆けていく。
マグダの部屋にでも向かったのだろう。ここ最近、ロレッタはマグダの部屋に泊まったりするようになっていた。仲がよさそうで何よりだ。
ロレッタが姿を消して数分……厨房の向こうから物凄い足音が聞こえてきて、マグダが食堂へと飛び出してきた。
全力疾走してきたようだ。
そして、俺を見つけるなり、スッと腕を上げて親指を「ビシッ!」と突き立てた。
「……実に面白い」
お気に召したようだ。
今後、ロレッタには『肉』キャラで頑張ってもらうのもいいかもしれんな。
マグダはそれだけ言うと、再び厨房へと入っていった。自室に戻るのだろう。
そして、食堂には俺とジネットが残された。
「あれは、なんなんですか? それに、ウェンディさんという方は?」
決して強要するようなものではなく、ただ純粋な興味を俺に向けてくる。
というより、今日あったことを話してほしいと、そんな感じだ。
「座って話すか」
「はい。あ、お食事は?」
「あとでいい。少し話をしよう」
「はい」
厨房へと体を向けていたジネットだが、俺が椅子に座ると迷うことなくその向かいへと腰を下ろす。
こいつも飯を食ってないはずだがそんな素振りはおくびにも見せない。しかも、そろそろ眠たくなる時間だろうに。
悪いなぁ……とは思うのだが。
……これを先に渡さないと、落ち着かないからな。
「そういえば、昼間に花がどうとかって話をしていたよな?」
あぅ……会話の滑り出しをミスったか?
唐突過ぎただろうか?
くそ、なんでこんな変に緊張してんだ、俺は……
「はい。お店の前に花壇を作れると素敵だなって、そんなお話をしましたね」
「あ~……そっちじゃなくてだな…………」
「それではないんですか? ……えっと…………それ以外でお花のお話というと……」
ほら、エステラがさ、俺に当て付けるかのように……
「あ、花束ですか?」
そう! それ!
「イメルダさんがたくさんの花束をいただいているというお話でしたね」
「ジネットは……、どうだ?」
「わたしは、全然ですよ」
「そっか…………ふ~ん……」
食堂の外へほとんど出ないジネットには、花束をくれるような男と出会う機会などないのだ。
ならば、すでに出会っている男が贈る以外に、ジネットが花束をもらう術はない。
ウーマロとか、ベッコとか、モーマットとか……
…………俺、とか?
「で、だな。今日、レンガ工房に行った時に、ちょっと面白い物を見つけたんだ」
「なんですか?」
俺の話がスムーズに進むようにと、控えめな合いの手が挟まれる。
にこにことした顔で、ジッと俺を見つめてくる。
本当に、話しやすいヤツだ。
気を遣われているよな、俺は。
毎日毎日、よく疲れないものだ。
だからよ。
少しくらい労ってやらなきゃ、いかんのじゃないか?
同居人として……仕事仲間として…………ついでに、男として。
「つい、衝動買いをしてしまったんだが……よく考えたら俺よりもお前が持っていた方が有意義であることに気付いてな…………だからまぁ……よかったら、もらってくれないか?」
「え……?」
「いや、迷惑ならいいんだが」
「嬉しいですっ。ヤシロさんがわたしに何かを買ってきてくださるなんて」
「あぁ…………まぁ……うん」
見透かされてるなぁ、もともとプレゼントするつもりで買ったってこと。
ま、いっか。
「これなんだが」
「わぁっ! …………可愛い」
セロンが包んでくれた物をテーブルに置き、包みを取り去る。
「レンガで出来た花瓶ですか?」
「あぁ。腕のいいレンガ職人がいてな。研究の成果らしい。軽いし、水も零れない」
「素敵です……」
花瓶を持ち上げ、うるうるとした瞳で眺めるジネット。
まぁ、あれだ。
女に花束を贈るような男は総じてクソったれなのだが……花瓶くらいはセーフだろう。キザじゃないもんな。
今後、誰かが血迷ってジネットに花束を贈ろうが、その花束が飾られるのは俺がプレゼントしたその花瓶なのだ。
飾られた花を見る度に、ジネットはその花瓶も一緒に見るのだ。
……ま、だからなんだって感じだけどな。
「これにお花を生けると、とても綺麗でしょうね」
「ん~……花のことはよく分かんねぇけどな」
「綺麗ですよ、きっと」
確信を持った発言だった。
迷いのない笑みだった。
ジネットが本当に嬉しそうな顔で、花瓶を抱きしめながらそんなことを言うものだから、……俺もつい血迷ってしまったのだ。
「じゃあ、今度花でも買ってきてやるよ。……折角、だからな」
「はいっ!」
…………俺が、女に花束を…………いやいやいや! これは違うじゃん! だって、これは、そういう流れだし? 仕方ないっつうか、回避不可能っつうの?
だから、これはノーカンだ。
「ヤシロさん」
血迷った俺を、さらに打ちのめすような凶悪に優しい笑顔が俺に向けられる。
致死量の破壊力を持った癒しのオーラを放出して、クリティカルな言葉を吐き出す。
「ありがとうございます」
瞬間、血液が沸騰したかと思った。
やっぱ、慣れないことはするもんじゃないな……
「あぁ、まぁ……日頃の、礼だ」
なんとかそれだけ呟くと、俺のライフは0になった。
もう、なんも言えねぇ。
その後、ジネットが用意してくれた飯を食って、俺は早々に床に就いた。
全然眠れなかったけどな……
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