異世界詐欺師のなんちゃって経営術

分割版π(パイ)
宮地拓海
宮地拓海

追想編3 デリア -1-

公開日時: 2021年3月11日(木) 20:01
文字数:2,829

「オメロッ、そっちに行ったぞ! 仕留めろよっ!」

「はいっ!」

「逃したら、お仕置きだからなっ!?」

「えっ!?」

 

 あたいが言った直後、オメロがなんでか硬直した。

 あぁ、もう、バカ!

 なんで今動きを止めるんだよ!?

 

 獲物が目の前に来たら、何があっても、どんなことが起こっても確実に仕留める!

 それが川漁ギルドの鉄則だろう!?

 

 案の定、獲物はオメロの足元を掻い潜り水深の深いところへと逃げてしまった。

 水の中では魚には勝てない。

 

 あたいにもし、マーシャみたいな鱗とヒレがついていたら、今の獲物だって絶対に逃がしはしなかったのに……

 

「くそ……っ」

 

 苛立ち紛れに、自分の手のひらに拳を打ちつける。

 同時に、川面が波立ち、オメロが全身の毛を逆立てた。……なんだ? 威嚇か?

 

「す、すすす、すみまままままま…………あぁぁぁああの……オレ、死ぬんでしょうか?」

「はぁ?」

 

 こいつは何をバカなことを言ってんだ?

 一匹逃したくらいで給料を下げられるとでも思ったのか? 飢え死にするほど出し渋りゃしねぇよ。

 ウチの川漁ギルドは、鮭の需要が爆発的に増えて利益を上げてるんだ。

 それもこれも、みんなヤシロのおかげで…………

 

「……っ!」

 

 突然、胸が痛み出す。

 いや。本当は朝からずっと痛かったんだ。

 

 あたいはそれを誤魔化そうとして…………

 

「オメロ……」

「は、はいっ!?」

「今日はもう上がっていいぞ。他の連中にもそう言っておいてくれ」

「え……あぁ、そうですね。今日はもう随分と捕りましたし、十分でしょう」

 

 オメロがそう言うから、魚篭びくを覗き込んでみたら、鮭がひしめき合っていた。

 あれ……あたい、こんなに捕ったっけ?

 

「親方。何かあったんですか?」

「――っ!?」

「今日は気迫っちゅうか……オーラが凄まじいですよ。もしかして悩みとかがあるなら……」

「なんもねぇよっ!」

 

 牙を剥き出して、思わず怒鳴ってしまった。

 

 ……ダメだ。これじゃあ、『いつも通り』じゃない。

 

「……悪い」

「あ…………い、いえ……」

 

 オメロがすくみ上がってしまった。

 こいつはいつもびくびくして頼りない。腕はいいんだけどなぁ……

 

「オメロ。獲物を持ってギルドに戻っててくれ。魚の処理は任せる」

「は、はぃ…………えっ、親方は戻らないんですか?」

「あたいは……」

 

 ダメだ。

 今ギルドに戻っても、きっとあたいは『いつも通り』ではいられない。

 

「もう少し漁を続ける」

「で、でも……今日の分はもう……」

「あたいはっ、いつも通りにしてなきゃいけないんだよっ!」

 

 そうでなければ…………ヤシロが、あたいのことを忘れちまうんだ…………っ!

 

 レジーナが言っていた。

 あたいたちは下手なことをしないで、『いつも通り』にしていろって。

 けど、『いつも通り』ってなんだ?

 あたいは、いつも何をしてるんだ?

 

 考えれば考えるほど分からなくなる。

 焦る……

 

 ちゃんと『いつも通り』にしてないと、ヤシロは、あたいのことを…………

 

「とにかく、あたいは鮭を捕るっ!」

「じゃ、じゃあ……オレはこの獲物を持って帰りますね…………あの、お疲れ様です」

 

 遠慮がちに言って、オメロは川から上がる。

 魚篭の中の鮭を樽に移し替えて、デカい樽を抱えて河原を後にする。

 何度も何度も、こちらを振り返りながら、でも何も言わないで、オメロは去っていった。

 他の連中もオメロに続く。

 

 河原にはあたい一人だけが残った。

 

 魚篭は空っぽ。

 そこに空の魚篭があるなら、日が暮れるまでに獲物でいっぱいにしてやれ。

 代々川漁ギルドはそうやってきた。

 だから、あたいも…………『いつも通り』に。

 

「くっそぉ!」

 

 川面を掻けば水しぶきが上がる。

 自分でもバカみたいだと思う。

 こんな漁は、ただの八つ当たりだ。……こんなの、全然『いつも通り』じゃない…………けど、あたいは他にやり方がないから…………

 

「お~、精が出るなぁ!」

「――っ!?」

 

 不意に聞こえた声に、全身がしびれた。

 まるで体の中を電気が走ったみたいな……電気ウナギにやられた時みたいな衝撃があった。

 

 振り返ると、堤防にヤシロが立っていて、こっちに向かって手を振っていた。

 いつの間にか太陽が昇っていて、朝陽がヤシロの影をあたいのそばにまで伸ばしている。

 

 ヤシロが、いる。

 

「…………ぐすっ!」

 

 一瞬で目の前の景色が滲む。ぐにゃぐにゃになってかすんで見える。

 けど、泣いちゃダメだ。

 あたいはいつも泣いたりなんかしない。『いつも通り』にしなきゃ……

 

 グッと涙をこらえて、飛び跳ねた水しぶきを拭うフリで涙を拭う。

 一度ノドの奥に力を込めて…………すぅ……はぁ…………よし。

 

「ヤシロォ~!」

 

『いつも通り』の声で、『いつも通り』ヤシロに手を振る。

 川から上がってヤシロの方へ駆けていく。

 

 ははっ。変なの。

 ただ走ってるだけなのに、なんだか楽しいや。

 ヤシロがどんどん近くなって…………目の前まで来る。

 

「どうしたんだ? 鮭が食べたくなったのか?」

「だったら陽だまり亭に行くよ」

「なんでだよぉ。こっちの方が鮮度は上だぞ? まだ生きてるし」

「上過ぎてもなぁ……焼いてあるくらいが理想なんだが」

「焼き鮭な! 美味いよな! あたいも大好きだ!」

「うん……なんか、話が逸れてる気もするが……まぁ、いいか」

「おう! いい! 美味いもんな、焼き鮭!」

 

 嬉しいなぁ。

 なんだろうなぁ。

 ヤシロと話をしていると、嫌なこととか不安なこととかみんな忘れられるんだよなぁ。

 

「それにしても、すごい大物だな」

「へ?」

 

 ヤシロの視線を追うと、あたいの右手に鮭が握られていた。

 

「なんでこんなところにっ!?」

「いや、お前が捕ってきたんだろう!?」

 

 そうだっけ?

 まぁ、そうか。

 

 けどなぁ……

 

「全然大物じゃないぞ?」

「そうか? これだけあれば焼き鮭定食十人前くらい作れんじゃないか?」

「あたいならそれくらい一人で食えるっ!」

「どこと張り合ってんだよ……」

 

 だってさぁ、こんなの本当に大物じゃないんだもんよぉ。

 

「さっき、もっと大きな鮭を追い詰めたんだよ。なのにオメロが急に硬直してさぁ……取り逃がしちゃったんだよなぁ」

「硬直? なんかあったのか?」

「分かんないけど、『逃がしたらお仕置きだ』って言ったら、急に」

「…………だからだな」

「ん?」

 

 なんかヤシロが、『あいたたたぁ……』みたいな顔をしている気がする。

 なんだろう? ヤシロはオメロの気持ちが分かるのかな?

 生意気だな、オメロのくせに。

 

「とりあえず、今度洗っておくかな」

「やめてやれ。それはあまりに理不尽だから」

「でもさぁ……本当に大きかったんだぞ」

 

 逃げていった魚影を思い浮かべると、ため息しか出てこない。

 

「捕まえて、ヤシロに見せてやりたかったのに……」

 

 きっと、あの大物を見たらヤシロはビックリして、そして…………「すごいな、デリア!」って褒めてくれたかもしれない。そしたら………………あたいのこと、忘れないでいてくれるかもしれない…………って、思ったんだ。

 

 …………ぐすっ。

 

「水しぶき!」

「どうした、急にっ!?」

 

 水しぶきを拭くフリをして涙を拭う。

 まったく。川にいるとずっと濡れっぱなしだ。

 

 ……まいるよ、まったく。

 

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