「お兄さ……ヤシロさん」
妹たちはジネットを手伝って弟どもの引き上げを手伝っている。
故に、少し離れたこの場所には俺とロレッタしかいない。
ロレッタは誰にも聞かれないようにとの配慮からか、囁くような小さな声で俺に尋ねてくる。
「ヤシロさんは、店長さんとお付き合いをされているんですか?」
……この娘は、何を言っているのだろう?
「………………そういう事実はないが?」
「本当ですか?」
「………………証言が必要なら三名ほど出廷させようか?」
マグダとエステラとベルティーナ辺りなら、その疑惑が謂れのないものであると証言してくれることだろう。
「……そう、ですか………………そうなんですか」
ほぅっと息を漏らし、ロレッタはふっくらした頬をむにむにと揉んでいる。
……どういう感情表現なんだ、それは?
「あの、お兄さ……ヤシロさん!」
「なぁ、それ」
「…………はい?」
「『お兄さん』と言いかけて呼び直しているのはワザとか?」
「いいえいえいえいいえいえ! 滅相もないです!」
否定の仕方がおかしい。
こいつの敬語、普通の会話に『です』をくっつけただけだもんな。教養はさほどないのだろう。
「最初に会った時の印象が強くて……」
最初にロレッタと会った時、俺は通りすがりのお兄さんだったからな。
「……それに、ヤシロさんみたいなお兄ちゃんがいたらよかったのになぁ……って、思って」
その言葉は、言うとはなく、不意に零れ落ちたようにもたらされた。
こいつの本心なのだろうか。
……お兄ちゃん、ね。
「はっ!? いや、あの! あたし、長女なんで、上に誰もいないんです! ですから、上に頼れるお兄ちゃんがいたらよかったのになぁって、ずっと思っていてですね……でですね、あの、ヤシロさんが割と、結構……理想のお兄ちゃんに近いというか……困った時に助けてくれるところとか……ですので、あの……」
噛まないロレッタが口籠っている。
頭を抱え、必死に言葉を選んでいる。
そして、最終的に出てきた言葉が……これだ。
「あのっ! 『お兄ちゃん』って呼んでもいいですかっ!?」
…………えっと。
………………やっぱり、アホの子なのかな?
「いや、好きにすればいいけど……」
兄妹でもない女の子に『お兄ちゃん』って呼ばれるって、どこのアニメだよ……
つか、なんでこんな話になったんだっけ?
「じゃ、じゃあ、呼ぶですね………………お、おに…………」
何を緊張しているのか、ロレッタは口を開いたまま硬直してしまった。
「あ……あはは、なんだか恥ずかしいですね~…………では、今度こそ………………おに…………おに………………おにぃ…………こういう時は、勢いをつけて…………おに……っ!」
なんか、すげぇ鬼呼ばわりされてるみたいなんだが…………
しかしまぁ、呼び慣れない名称というのは照れくさいものだ。
俺も、親方と女将さんをお父さん、お母さんとは呼べなかったしな……
特に、ずっと最年長だったロレッタに『お兄ちゃん』は抵抗があるのだろう。
「お、おっ、おぉぉ…………おっおっおっおっ!」
怖い怖い怖い、なんか怖い!
「おっ……おっ……!」
「おに~ちゃ~ん!」
百面相をするロレッタを眺めていた俺の腰に、無数のネズミっ子が飛びついてきた。
「チョ~おもしろかった!」
「またやろう!」
「遊んで遊んでっ!」
「おい、こら! まとわりつくなっ!」
「お兄ちゃん!」
「お兄ちゃん、遊ぼー!」
「おに~ちゃん!」
物凄い数のお兄ちゃんコールだ。誰一人血の繋がりなどないのだが。
「あんたたちっ! あたしがこんなに苦労してるですのにっ! もう、全員そこに正座するですっ!」
「「「「えぇ~っ!」」」」
「うるさいですっ!」
「姉ちゃん、また怒ってる」
「怒らしてるのは誰ですか!?」
「八つ当たりじゃんねぇ?」
「だよなぁ」
「なんであたしが八つ当たりする必要があるですか! あたしはただあんたたちがお客様に失礼に失礼を重ねる無礼な振る舞いをしていることに怒っているです!」
「え~、そうかなぁ……姉ちゃん本当はお兄ちゃんのこと……」
「それ以上しゃべると舌を引っこ抜くですよ? あと、あんたとあんた、言いたいことが顔に出てるです。正座をやめて今から逆立ちをするです」
「「ふぉぉぉ……ひでぇ……何も言ってないのに…………っ!」」
「あんたたちの言うことなんて聞かなくても分かるです!」
凄まじい姉弟喧嘩だ。
つか、長女の勢いがスゲェ。
ロレッタの声がよく通って、滑舌もよく、瞬時に言葉を組み立てて、おまけに相手の顔色を正確に読み取る能力に長けている理由が、今ので一気に全部分かった気がする。
実践に勝る練習はないってことだな。
「本当に、すみませんです。騒がしい弟たちで……」
「いえいえ。元気があってとてもいいことだと思いますよ」
小さく手を振りながら、ジネットがロレッタに笑みを向ける。
いや、迷惑かけられたの、俺だから。
「それであの…………お……兄ちゃん……も、ごめんなさいです」
「まぁ、後日なんらかの形で請求させてもらうから気にするな」
「ぅぇえっ!?」
「冗談ですよ。ヤシロさんはちょっと意地悪な冗談をよく言うんです」
おいおい、待てジネット。俺はマジだからな?
マジでなんらかの形で支払わせてやるつもりだからな?
つか、さりげなくサラッと言ってごまかそうとしたのだろうが……『お兄ちゃん』で声が上擦っていたな。
そんなに恥ずかしいんならやめればいいのに。
年下の女の子に『お兄ちゃん』って言われて喜ぶのは、ごく限られた人種だけだからな。当然、俺はその人種ではない。
「それにしても、凄まじい大家族だな」
「えへへ…………申し訳ないです」
愛想笑いを浮かべた後で肩を落とす。ロレッタはかなり気にしているようだ。
これだけの大人数の弟や妹たちを養うためにバイトをしているのだ。そりゃあ必死にもなるわな。
元気のいいアホの子かと思いきや、なんだ、割と真面目にお姉さんをやっているんじゃないか。
人種っていうのは、こういうところでも特徴を発揮するものなのだろうか。ほら、ネズミってたくさん増えるっていうし。ネズミ算式に。
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