異世界詐欺師のなんちゃって経営術

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宮地拓海
宮地拓海

【π限定SS】わたしの太陽、わたしの陽だまり

公開日時: 2020年12月17日(木) 20:01
文字数:4,218

 それは、奇跡のような出来事でした。

 

 ケーキ作りをしていたはずが、いつの間にか陽だまり亭にたくさんの方が集まっていてくださって、暗いフロアの中で揺らめくロウソクの小さな光がとても綺麗で……

 温かい光と、温かい思いに包まれて、まるで夢を見ているようなふわふわした気持ちになって……

 うまく、言葉に出来ないのですが……

 

 

 わたし、今、とても幸せです。

 

「今日の主人公はジネットだからな。最初に食う権利をやろう」

 

 そんな言葉と共に、切り分けられたケーキがわたしの前へと差し出されました。

 白く艶やかなクリームに覆われた、可愛らしいケーキ。

 真っ赤なイチゴが純白のクリームによく映えています。

 

「あ、あの……いいんでしょうか? わたしなんかが……」

 

 みなさんがあんなにも食べたがっていたケーキを、わたしが最初にいただいても……

 

「お前のケーキだ」

「わたしの……」

「名前、書いてあるだろうが」

 

 笑って断言したヤシロさんが、ケーキを指さします。

 ケーキの上には四角いプレートが乗っていて、そこには『 ジネット お誕生日おめでとう!! 』という文字が、丸く小さな可愛らしい文字で書かれていました。

 可愛らしくアレンジされていますが、これはヤシロさんの文字ですね。

 

「…………本当です、ね」

 

 ヤシロさんがわたしのために書いてくださった。

 それが、なんとも言えず嬉しくて……

 瞳が潤むのを誤魔化すために、素早くフォークを握りました。

 

 こんなに嬉しい時に、涙なんて似合いません。

 

 ヤシロさんが頑張って、毎日忙しそうに走り回って、この日のために完成させてくださったケーキ。

 大切に、味わわせていただきます。

 

 八等分され、三角に尖った先端をフォークで押せば、驚くくらいに柔らかい感触が指先に伝わって、びっくりするくらいに軽い力でケーキが切り分けられました。

 

「……柔らかいです」

 

 まるで、空に浮かぶ雲を突いたような気分です。

 そして、フォークに載せたケーキをそっと……口に運ぶ。

 ほのかに甘い香りがして、口に入れた瞬間ほどけるようにケーキが溶けていき、それに伴って上品な甘さが口全体に広がっていきました。

 

 刺々しさのない、優しい甘み。

 それでいて、豪華で、上品で、力強い甘さ。

 

 吸い込む空気までもが甘く感じられて、全身をしびれさせていきます。

 

「……甘いですっ」

 

 ほんの少しでも逃すまいと、自然と口を押さえ、全身でその美味しさを堪能しました。

 口の中からなくなった後も、ケーキはその衝撃的で感動的な甘さの余韻を残し、いつまでもいつまでも幸せな気持ちを与え続けてくれます。

 

 あぁ、こんなに美味しいものが存在したんだ。

 

 わたしの知るすべての人に食べてほしい。

 わたしの大切な人すべてに、この感動を伝えたい。

 

 そう思えるほどに、ヤシロさんのケーキは甘くて、柔らかくて――

 

「本当に…………幸せの味がしました」

「だろ?」

 

 得意げなヤシロさんの言葉が、なんだかおかしくて、くすぐったくて。

 胸の奥底から何かが湧き上がってくるのを感じました。

 感動や感謝、そういったものが溢れ出して、ど、どうしましょう……

 

「本当に……ありがとうございます」

 

 深々と頭を下げました。

 これくらいでは到底言い表せないのですけれど。

 

「これは、俺からのプレゼントだ」

 

 下げていた頭に、ぽん――と、何かが乗せられました。

 

「えっ!?」

 

 不意に重たくなった髪。

 その光景に、見覚えがあって……でも、まさか自分がそんなことをしていただけるなんて思ってもみなくて……

 でもそれは、ヤシロさんがミリィさんにテントウムシの髪飾りをプレゼントした時と同じで……

 

 わたしは、そっと指で頭についたモノに触れてみました。

 間違っても壊さないように。

 そっと。

 

 指先に、少しひんやりとしていて、つるっとした感触が伝わってきました。

 輪郭をなぞると、それはお花のような形をしている気がして……大きな花弁が、一、二、三……五枚。

 

 どきっと、心臓が跳ねました。

 

 

 寂しくて悲しくて、大泣きしていた幼い自分の姿が、脳裏を掠めました。

 

 

 そんなこと、あるわけが……

 そもそも、ヤシロさんはそんなこと知るはずもなくて……

 けれど、この形は……もしかして…………

 

「ジネットちゃん」

「……店長」

「店長さん」

 

 エステラさんが鏡を、そしてマグダさんとロレッタさんが眩く光るレンガを持ってきてくださり、わたしは鏡に映る髪留めの姿を目にしました。

 

 

 オレンジ色で、大きな花弁を誇らしげに咲かせる美しい花。

 

 

 

「…………ソレイユ………………ッ」

 

 世界が滲み、目に映っていたものが歪んで、何も見えなくなりました。

 

 白くぼやけていく視界と裏腹に、記憶の中で眠っていた風景が鮮明に思い出されました。

 

 

 幼かったあの日。

 わたしが陽だまり亭へ迎えられるよりもっと以前。

 

 お祖父さんが朝の寄付をするようになり、わたしは懸命にお手伝いをしようと頑張りました。

 けれど、あの頃のわたしはいろいろなことが不得手で、他人を思いやるという気持ちにも欠けていて、頑張れば頑張るほど空回って、周りに迷惑をたくさんかけてしまっていました。

 ある時わたしは大きな失敗をしてしまい、多くの人に多大な迷惑をかけてしまったのです。

 教会で共に暮らす子供たちからも嫌われ、シスターにも愛想をつかされ、わたしは本当に独りぼっちになってしまう――そんな思い込みに囚われて、怖くて寂しくて、一人で泣いていたことがありました。

 

 そんな時、お祖父さんがとても綺麗な一輪の花を私にくれたんです。

 オレンジ色をした、大きな花弁を持つ美しい花。

 

 お祖父さんはその花の名を「ソレイユ」だと教えてくれました。

 この花を見た者は幸せになれると、教えてくれました。

 

 

「この花をお前にあげよう、ジネット」

「……いいの?」

「もちろんだ。本当はすぐに枯れてしまう花なんだけれど、きっとお前が笑顔になるまでは咲いていてくれるはずだ。さぁ、この花をよくご覧」

 

 

 お祖父さんの腕に抱かれて見つめたソレイユは、まるで陽だまりのように明るく、温かく、そして包み込むような優しさを持った花でした。

 

 

「このソレイユは、太陽の花とも呼ばれていてね。ほら、お前の笑顔にそっくりだろう?」

「……わたしの?」

「あぁ。ジネットは、太陽のような子だ。そこにいてくれるだけで周りが明るくなる。心が温かくなる。安心できる」

「……そんなこと、ない。わたしなんて……」

「そう思うなら、笑ってごらん。失敗してもいい、迷惑をかけてもいい、いつも笑顔でいるように心がけるといい。口角を上げれば、言葉は出てきやすくなる。『ごめんなさい』も『ありがとう』も、笑顔の方が言いやすいんだよ」

「……えがお……」

「お前はワシのソレイユだ。さぁ、陽だまりのような笑顔を見せておくれ」

「……うんっ」

 

 

 お祖父さんの大きな手に撫でられて、わたしは精一杯笑いました。

 きっとぎこちのない笑みだったはずなのに、お祖父さんは「可愛い、可愛い」って。

 

 そうして、笑顔を心がけるようにするうち、わたしの寂しさはわたしの思い違いだったのだと知りました。

 教会の子供たちはみんな優しくて、平等で、長所も短所もある普通の子たちで、わたしと一緒なのだと知りました。

 そして、どんな時も、どんなことがあっても、シスターがわたしたちを愛してくれているということも、その頃になってようやく理解できました。

 

 それからわたしは、あの日見たソレイユを思い浮かべ、いつでも笑顔でいるように心がけました。

 楽しい時も、嬉しい時も、何気ない日でも。

 そして、つらくても、寂しくても、どんな時でも笑顔でい続けようと。

 

 

 ずっと笑顔でいようと、思っていたのに。

 笑顔は、ちょっとだけ得意になったと思っていたのに。

 

 どうしてでしょう。

 

 こんなに嬉しいのに。

 こんなに幸せなのに。

 涙が溢れて、上手に笑えません。

 

 感謝の気持ちを、きちんと伝えたいのに。

 大切な人の顔をまっすぐ見つめたいのに。

 

 嬉しいって、幸せですって、伝えたいのに……

 言葉が詰まって、うまく話せません。

 

 まぶたを閉じて、再び開くと、鏡に映った自分の顔が見えました。

 髪には美しいソレイユの花が咲いています。

 

「…………わたしの…………一番好きな……花…………ですっ」

 

 口角を上げて。

 嬉しい時こそ、笑顔に……

 

「本物は、用意できなかったけどな」

「そんなことっ!」

 

 こんなにも嬉しい気持ちはあの日と同じくらい……いえ、生まれて初めてで、この髪飾りを作るに至ったヤシロさんの思いや、その工程、労力やその間にヤシロさんが感じたであろう様々なことを想像すれば、感謝以外の感情が湧くはずもなく……

 本物とか、そんなことはどうでもよく、そんなことではなく……

 

「これで…………いいえっ、これが…………」

 

 言葉を発しようとする度、涙がそれを邪魔します。

 何度も拭い、下に向こうとする口角を必死に持ち上げて、笑顔を作ります。

『ごめんなさい』も『ありがとう』も、笑顔の方が言いやすいというお祖父さんの言葉の通りに。

 あの頃のような、ヘタクソでぎこちない笑顔になってしまっているかもしれませんが、それでも頑張って笑って――

 

 

「この髪飾りは……わたしの、生涯の宝物です」

 

 

 ――そう、伝えました。

 その直後、わっ! と、歓声が上がり、みなさんが拍手をくださいました。

 

 温かい拍手に包まれ、前を見れば、ヤシロさんが笑っていました。

 優しい微笑みが、わたしを見ていました。

 

 

 あの日の、お祖父さんのように、包み込むような優しい微笑みで。

 

 あの時――

 陽だまり亭の存亡を危惧して、笑顔を失いかけていたわたしに、再び笑顔を取り戻させてくれた、ヤシロさんが……

 

 

『パイオツ、カイデー!』

 

 

 わたしの笑顔を、素敵だと言ってくださったヤシロさんが……今また、こうして、わたしに笑顔の素を……ソレイユをくださいました。

 不安も、つらさも、寂しさも、心に暗い影を落とすものを一掃する、太陽の花を。

 

 ヤシロさんが……

 

 ヤシロさん……

 

 

「ヤシロさん」

 

 あなたは……

 

「ヤシロさんっ!」

 

 

 あなたは、わたしの太陽です。

 わたしを包み、照らしてくれる、陽だまりです。

 

 

「………………ありがとう、ございます……っ!」

 

 

 わたし、あなたに出会えて……幸せです。

 

 

 

 

 その後、わたしは散々大泣きして多大なるご迷惑をおかけしてしまったのですが……

 

 ねぇ、お祖父さん。

 

 ご迷惑をかけた後、笑顔で「ごめんなさい」なんて、どんなに口角を上げても言えませんでしたよ?

 恥ずかし過ぎて、とてもじゃないですけどまともに顔が見られませんでした。

 

 こういう時どうすればいいのか、ちゃんと教えておいてほしかったです。もぅ。

 

 

 

 

 

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