なんだかやたらと広く仰々しい施設の地下に設けられた牢屋。その中にいたのは、長い前髪を顔に垂らした十代後半の女で、細く長い尻尾が生えていた。サル人族か?
着ている物は、ボロボロで薄汚れたタンクトップ。腰には黒っぽいパーカーを巻きつけており、夜の襲撃時にはアレを羽織るんだろうなと予想が付いた。
パンツはボロボロに破れたデニム地に似た頑丈さだけが取り柄っぽいズボンで、こちらも裾が破れて右側は太ももから先すべてが顕わになっている。
俺たちが牢屋の前まで来ると、サル人族の女はジロリと、垂れた前髪の向こうからこちらを一睨みして、視線を外した。
「ここの牢屋って、これ一個なのか?」
「え?」
意外な質問が来たなとでも思ったのか、エステラが変な声を出す。
「いや、ここは特別で、その……難航している案件の被疑者を収容しておく場所なんだよ」
エステラが言うには、この施設は留置所や拘置所が一緒くたになったような施設で、名称は四十二区監獄、通称を『監獄』というらしい。
「普通の……っていうと変だけど、囚人を捕らえておくのは別棟の牢屋なんだ」
「なるほど。参考になったよ」
この地下室には牢屋が一つしかなく、牢屋の中にはサル女一人しかいない。
看守がいるが、それも牢屋からは死角になる場所に待機しているのでサル女は本当に孤独を味わうことになるだろう。
だとするなら、口を割らせるのは容易いかもしれない。
ちらりと、サル女を盗み見る。
顕わになっている両腕、右脚、共に細い。筋肉質に見えるが、あれは単に痩せ過ぎて筋肉が浮いているだけだ。
可哀想に、脂肪不足で乳も不足気味だ。
Dのポテンシャルを持ちつつも現在はBというところか……
「それでも、エステラよりはあるけれど」
「帰る? それとも、ここに入れられたい?」
なんの話かも分からないくせに酷いことを言う。
エステラは少々お疲れのようだ。甘い物でもたらふく食ってたっぷり休養することをお勧めする。
そんな俺の気遣う視線をさらりと受け流し、エステラは牢屋へと近付く。
牢屋の前に立ち、それでも決して牢屋に手を触れずに、中にいるサル女に声をかける。
「そろそろ、名前くらい教えてくれないかな?」
「…………」
完全に無視だ。
イヤミの一つも言ってこない。
エステラの存在が見えないかのように、一切のコンタクトを拒絶して壁際で膝を抱えている。
……三角座り、か。
「……はぁ。ま、こんな感じさ」
取り付く島もなし。
完全にお手上げとエステラがこちらを振り返る。
その間もずっとサル女を観察していたが、サル女はぴくりとも動かなかった。
エステラが背を向けた瞬間に何か反応を示すかと思ったのだが……
「領主様……一言だけ、よろしいでしょうか」
ヤップロックがエステラの前に立ち、手を胸に当て頭を下げる。
サル女と話がしたいと、領主様に願い出ているのだ。エステラ相手に礼儀正しいというか、堅苦しいヤツだ。
「牢屋には、近付き過ぎないようにね」
そんな注意をして、ヤップロックの前をあける。
犯罪者が入っている檻に近付くのは危険だ。
大人しくしていた犯罪者が急に襲いかかってくることも考えられる。ヤツらの手が届く範囲には近付かない方がいい。ヤップロックのように、荒事に慣れていない者は特に。
「あの……お嬢さん」
ヤップロックが落ち着いた声で話しかける。
壊れ物に触れるように、慎重に。
「お話を、聞かせてはくれませんか?」
それでも、サル女は口を閉ざし続ける。
「……あいつ、飯は?」
「え?」
ヤップロックの邪魔にならないように、小声でエステラに尋ねる。
サル女は見て分かるくらいに痩せ過ぎだ。
ここに捕らえられて丸一日程度。今はまだいいが、このまま何も口にしなければ、最悪の事態も考えられる。
「食事は出しているよ。豪勢とは言えないけれど、決して酷くはない普通の食事を。……でも、一切口にしようとはしないんだ」
「自白剤みたいなものって、この街にはあるのか?」
「えっと……聞いたことはあるけど。ボクは持ってないよ。でもレジーナなら……」
「いや、欲しいわけじゃないんだ」
もし、そんな薬が存在するってことがこの街の常識として認知されているのであれば、あいつは意地でも出された物を口にしないだろうな。
ひた隠しにしている誰かを守るために。
まぁ、『誰か』なんつっても、大体的は絞れてるけどな。
さて、と。
あのサル女があの状況なのだとしたら……ちょっと急がなけりゃいけないかもしれないな。
「あなたが、誰かを守ろうとしていることは、分かります。私も、かつてはそうでしたから」
ヤップロックが必死に訴えかける。
自身が犯してしまった過去の過ちを教訓に、同じ轍を若い者に踏ませまいと。
「今、もしかしたらあなたは人生に絶望しているかもしれない。未来がなくなってしまったと思っているかもしれない。けれど、それは気のせいです。見えないだけで、あなたの未来はなくなってはいないんですよ」
言葉に感情がこもっていく。
前のめりになり、伝えたいのにうまく言葉に乗ってくれない感情をもどかしそうに吐き出していく。
「あなたはまだ若い。今からでもやり直せます! つらいことは、多いです。けれど、あなたは一人じゃないはずだ。守りたいと、どんなことをしても守りたいと思う人がいるのだから。ね、そうですよね?」
微かに、サル女の顔が下を向いた。
それをどう見たのか、ヤップロックはさらに言葉を加速させる。
「私は、あなたを重い罪に問うつもりはありません。あなたが反省し、心を入れ替えまっとうに生きると誓ってくださるなら、私はすべてを許します。我が区の領主様も、本当にお優しい方です。頭ごなしに誰かを否定するようなお方では決してありません。あなたは、やり直せるんですよ。きちんと、自分の言葉で、今の自分を認めることが出来れば」
サル女は動かない。
肩の上下も止まり、呼吸すらしていないかのように沈黙を守っている。
そして、なんの反応も見せないサル女にヤップロックは――焦れた。
両手で牢屋を掴み、声を届けようと身を乗り出して叫ぶ。
「あなたは、こんなところにいていい人ではないはずです! いるんでしょう、守りたい人が! あなたが守ってあげなければ、誰がその人を守れると言うんですか!? 逃げることは簡単です! けど、あなたがいなくなって、残されたその人はどうなるんですか!? あなたの背負いきれなかった苦しみを、その人に背負わせるつもりですか!? それは潔さではなく逃げ――」
動き出したのはほぼ同時だった。
ただ、近くにいた分エステラの方が早くヤップロックに到達した。
サル女が突如立ち上がりヤップロックに襲いかかった。
牢屋に張りつくように接していた白いオコジョの体に掴みかかり、へし折ってやろうとすらする獰猛さで両腕が迫りくる。
すんでのところでエステラがヤップロックを牢屋から引きはがし、サル女の手は空を切ることとなった。
「言わせておけば……っ!」
空を切った腕を牢屋の間から伸ばし、ヤップロックの体を捕らえようとサル女は何度も牢屋に体当たりをする。
「貴様に何が分かる!? 知った風な口を利くんじゃねぇよ!」
初めて聞くサル女の声は、ややハスキーで凄みのある声だった。
血走った目でヤップロックを睨みながら、食いしばった歯の間から荒い息を漏らす。
一分ほどガチャガチャと牢屋を揺すった後、吐き捨てるような舌打ちを鳴らしてサル女は壁際へと戻っていった。
ヤップロックは、床に座り込んだまま青い顔をして固まっていた。
本物の殺意を向けられた直後だ、致し方ないだろう。
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