「ロレッタ」
「はいです」
「足を出す時は外向きを意識して走れ」
「外向き……ですか?」
そうだ。
ジネットは極端に内股だからな。
ロレッタまで内股で走ると足を縛る紐をお互いが『引っ張り合う』ことになる。
それはまさしく『足を引っ張られる』ことになり、走る邪魔になるし、転倒のリスクも高くなる。
そこで、双方ががに股になるくらい股関節を開いて足を外に向けて出すようにすれば、紐は引っ張られることなくスムーズに走れるようになるのだ。
「足を外に出すと店長さんを押してしまったり、蹴ってしまったりしないですかね?」
「大丈夫だ。人間の体は思っているほど柔軟に動いてはくれない。外向き過ぎるかな~くらいでようやくまっすぐになる。そんなもんだ」
「……あたし、結構極端な動きとか出来ちゃうですけど?」
「う~ん……獣人族の場合はどうなのかなぁ……」
人間の場合は、極端過ぎるくらいやったつもりでもまだまだ内向きだったりするんだが……
「じゃあ、ジネットの足に合わせろ」
「分かったです。ちょっと意識してみるです」
ロレッタは普通に器用だから、なんとかしてくれるだろう。
地味に器用だから。
地味に普通だから。おぉ、しっくり来た。うんうん、地味に普通だなロレッタ。
で、問題のジネットだが……
「お前は、ロレッタのことを気遣うな」
「え!? で、でもそうするとロレッタさんの負担が……」
「お前に気遣われる方が負担を増やすことになるんだよ。お前の全力に合わせても、ロレッタはかなり余力を残している状態だ。ここは素直に甘えて、全部を預けるくらいの方が逆にやりやすいんだよ。な?」
「そうです、店長さん! あたしにドーンと任せてです!」
「そう、ですか?」
「あのな、ジネット。得手不得手ってもんがあるんだ。もしロレッタが無理して張り切ってお前の料理に手を出したらどうなるかを考えてみろ。お前はまだまだ余力があるのに、前菜とメインとスープとデザートを全部ロレッタがやるって言い出したら?」
「あ……」
「叩き出すだろ?」
「いえ、そこまではしませんが……」
「ま、そんな感じだ」
出来もしないのに無理をするな。
出来ないなら出来るヤツに甘えてしまえ。
お前一人で戦っているんじゃない。
お前には頼れる仲間がいるんだ。
と、そのようなことを話して二人を送り出した。
「ご高説、お見事」
「やかましい。お前もナタリアに随分気を遣われているんだぞ」
「もちろん理解しているよ。だから、ボクは任せるところは全力で任せているのさ。ナタリアは信用に足る人間だからね」
「そのセリフ、ナタリアが聞いたら――」
「……エステラのベッドで『はぁはぁすんすん!』しそう」
「違うよね、マグダ!? どうして無理やり割り込んでおかしな方向へ誘導するのかな!?」
そんなもん、「面白いから」に決まってるだろうが。
「とにかく、残り数レースだけど、怪我のないように。無茶な作戦はしないようにね」
「俺は怪我をするような無茶はしねぇよ」
痛いのは嫌いなんでな。
エステラが去ったころ、選手の整列が完了した。
スタートラインに見知った顔が並んでいる。
青組はネフェリーとトレーシー。
よく見える席でパーシーが張り切って声援を飛ばしている。
隣にはバルバラ。ホントに連れて行ったんだな。モリーが微妙な顔をしている。
で、黄組はパウラとウェンディ。
パウラは徒競走でぶっちぎりの一番だったから、ウェンディは足が遅かったというわけか。
あんまりせかせか動く印象もないし、そもそも研究者だしな。妥当か。
そして白組はジネットとロレッタ。
二人ともキリッとした顔をしているが……あいつらの場合、張り切ったら張り切った分だけ空回りそうなんだよなぁ。
ラストの赤組はデリアとミリィのでこぼこコンビだ。
デリアがミリィを抱えて疾走すればこのチームの独壇場だっただろうが、それはルールで禁止された。
さて、一気に不利になったその身長差をどう克服するのか、見物だな。
「ミリィ。別に慌てなくていいからな」
「でりあさん……ぅん。ぁりがと、ね」
「あたいの速度に合わせてくれりゃそれでいいから」
「それ、みりぃ的にとっても無理しないと無理だょ!?」
ミリィ、無事にゴール出来るといいな。
「位置について、よぉーい!」
――ッカーン!
給仕が合図を出し、選手が一斉に走り出す。
驚いたことが三つ、悲しいことが一つある。
まず、デリアがミリィの歩幅に合わせてゆっくりと走っている。
デリアが暴走すれば、ミリィは確実に引き摺られてしまうなと冷や冷やしていたのだが、デリアのヤツ、ガキどもの面倒を見るようになって大人になったんだなぁ。
「さすがデリア、子供の扱いがうまい!」
「みりぃ、ォトナだょ!?」
ゆっくり走るミリィが必死の抗議を寄越してくる。
あはは。面白いなぁ、ミリィジョークは。
で、第二の驚きが――
「ウェンディ、鈍くさっ!?」
「し、仕方ないじゃないですか、英雄様!? ……私は研究者……日陰に咲く一輪の花なんですから……」
ウェンディがとにかく躓く、こける、パウラにしがみつく。
快活なパウラの速度を物の見事に殺してくれていた。
「ま、まぁ、気にしなくていいよウェンディさん。人には得手不得手があるし」
「うぅ……パウラさんが優しい方でよかったです。でも、心底申し訳ないです」
作り笑顔のパウラに頭を下げるウェンディ。
なんで作り笑顔だって分かるのかって?
パウラの尻尾がゆ~っくりと左方向へ揺れているからな。
犬は不機嫌な時に尻尾を左側へ振ることが多いのだ。
理由はまだはっきりと解明されていないらしいが、パウラのあの顔を見るにハズレてはいないだろう。
よし、確認してみるか。
「パウラー、もし今隣にいるのがベッコだったら?」
「殴ってる」
「ごめんなさい、パウラさん! 鈍くさい女でごめんなさい!」
「いや、その前にパウラ氏が拙者にごめんなさいしてくだされ!」
いっちょ前にベッコが不服を申し立てている。
生意気な。
もう一回出場させるぞ、当然メドラとペアで。
で。
一番の驚きはというと。
現在、白組が先頭なのだ。
ジネットが集団の先頭を走る姿をこの目で見られるなんて、そんな日が来るとは夢にも思っていなかった。
「店長さん、いい感じです」
「ロレッタさんが合わせてくださっているので、とても走りやすぅうきゃあああ!?」
油断した直後に盛大にすっ転んだジネットと巻き添えのロレッタ。
よかったな、平均台の上じゃなくて。
ロレッタがうまくジネットに合わせて、平均台をスムーズにクリアした白組は他のチームを置き去りに次のボール運びへと取りかかる。
すげぇリードだ。
これはひょっとしたらひょっとするかもしれない。
そして、最後に悲しい出来事が一つ……
「トレーシーが、サラーシーだ……」
まっっったく揺れてない!
隣のネフェリーはそこそこ揺れてるのに!
「サラーシーとゲラーシーなんて嫌いだー!」
「さらっと俺をディスるな、オオバー!」
遠くからしょーもない領主の声が聞こえてきたが渾身の力でスルーしてやった。
「ネフェリーのクチバシがワシみたいに鋭くなって隣のさらしを食いちぎればいいのに……」
「ネフェリーさんがそんなことするわけねぇだろ、あんちゃん!?」
なんだよなんだよ!
どいつもこいつも遠~くから俺の呟きにいちいち返事しやがって。
声聞こえ過ぎじゃね!?
ワンルームかよ、ここ! 聞き漏らせよ、もっと! 俺に注目してんじゃねぇよ!
「……ちょろりん」
「こら、やしぴっぴー!」
な?
なんでみんなこんなに耳がいいんだろう……運動会というイベントが選手や観客の五感を研ぎ澄ませているのか?
……んなわけあるか。
「……ヤシロ。声が大きい」
「え!? 俺の声が!?」
「……ヤシロの声はよく通るので、遠くにいても耳に入りやすい」
「そうなのか。じゃあ、おっぱいが揺れる音と同じ原理だな?」
「……それは賛同しかねるけれど」
ちっ。
才能ある人間は、いつの世も理解されないものよ。
けれど、百年後には俺の理論が常識として世に広まっていることだろう。俺はそんな未来を信じている。
そう、ゆっくりと弾んでいた張りのあるHカップが少しだけバウンドの速度を上げた、そんな音を誰もが聞き取れるようになる未来をな!
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