「お待たせいたしまし……ふぇえっ!? ヤ、ヤシロさん、どうされたんですか!?」
「気にしなくていいよ、ジネットちゃん。自業自得だから」
「そ、そうなんですか……?」
自業自得というか、エステラの勘違いなんだが……まぁ、自業自得か。
「ジネットちゃん。もしこいつに変なことされたら、すぐボクに言うんだよ」
「え、あ、は、はい」
「それから、これ護身用に持っているといい」
「あの、これは?」
「いいから。使い方は簡単だから。残念ながら殺傷能力はないんだけれど、変態の撃退くらいは出来るから」
「え、げ、撃退……ですか?」
エステラがジネットに何かを渡しているようだが、涙で前が見えない。
くそ。鼻の痛みってなかなか引かないんだぞ。
俺が顔面の痛みをこらえている間、ジネットは食事をするエステラの隣に腰掛けて楽しそうにおしゃべりをしていた。
こいつらは本当に仲がいいんだな。
そんなことを思いつつ、鼻の痛みが引いてきた頃……あいつが戻ってきた。
グーズーヤだ。
息を切らせて食堂へと駆け込んでくる。
結構遠くに住んでいるのかもしれないな。
「そんなに急がなくてもよかったのに」
「き、今日中に払っておかなきゃ、明日の仕事が不安で出来ないんだよ……」
一度自分のホームへ戻り、気分が多少は落ち着いたのか、グーズーヤから敬語が消えていた。表情も、先ほどよりかはしっかりしている。
「ちなみに、仕事は何を?」
「か、関係ないだろ!?」
「世間話だよ。常連さんと楽しむ他愛もない世間話さ」
「……大工だよ! 悪いか!?」
随分と嫌われたものだな。
グーズーヤの剣幕に、ジネットが不安そうな表情で俺を見てくる。状況が分からず戸惑っているのだろう。
エステラは、何かを察したように目を細めている。が、口を挟むつもりはないようで、黙々と川魚の煮込みと硬い黒パンを口に運んでいる。
「ほらよ、20Rb! これで文句ないだろう!? その紙を破り捨ててくれ!」
俺は、突き出された20Rbを受け取り、憤るグーズーヤに視線を向ける。
そして、落ち着いた声でこう言う。
「足りないけど?」
「はぁ!?」
グーズーヤが大声を張り上げる。
首と額にはち切れそうなほどくっきりと血管が浮かび上がっている。
「俺が食ったのはクズ野菜の炒め物だ! 20Rbって書いてあるだろうが!? ぼったくろうってのか!?」
そばにあったテーブルを力任せに殴るグーズーヤ。
壊したら弁償させてやる。
「確かに、さっきお前が食ったクズ野菜の炒め物は20Rbだ。間違っちゃいない」
「じゃあなんで……!?」
俺が胸ポケットから紙を取り出すと、グーズーヤが言葉を詰まらせた。
グーズーヤは先ほど、自分が書いた文章を目で追う。
「ここには、なんと書いてある?」
グーズーヤの顔に突きつけていた紙を、近場のテーブルに載せる。
と、ジネットとエステラがその紙を覗き込んだ。
「……これは」
エステラが紙を見て小さく言葉を漏らす。
そして、とっても冷たい目で俺を睨んできた。
口を開きかけるが、今は何も言わず、スッと自分の席へと戻っていく。
去り際の顔は「あとで話がある」と言いたげだった。
俺とエステラが視線を交わしている間、グーズーヤは自分の書いた文章を読み直していたようで、読み終わるや鼻息荒く声を上げる。
「ここには『陽だまり亭で飲食した分の代金を支払います』って書いてあるだけじゃねぇか! だから、クズ野菜の炒め物の20Rbで合ってるだろうが!」
己の正当性を確信し、グーズーヤは勢いに乗る。
だから、俺はあえてゆっくりとした口調で、はっきりと言ってやる。
「お前が初犯だと、誰が信じるんだよ?」
ジネットが厨房にこもることを知り、慣れた様子で食い逃げに及んだこいつが、今日初めて食い逃げをしたなんてわけがない。
「ひ、人聞きの悪いこと言うなよな……しょ、証拠もないくせに……」
嘘吐くの下手だなぁ。
まぁ、『精霊の審判』を嫌って明確な嘘は避けているようだが……
「お前、席に座った後ジネットに『椅子を直したのか?』って聞いたよな?」
「……そ、それがなんだよ」
「ってことは、椅子がガタガタだった時に、お前この店来てるよな?」
「う…………そ、れは……」
「その時、ちゃんと支払ったのか?」
「…………」
「トイレの場所も知ってたよな? 俺は最初どこにあるのかジネットに聞いたけど、お前は、知ってたよな? 前に来た時、ちゃんと支払いはしたか?」
「…………で、でも、今回の件と、それは……」
「もう一度、そこに書かれている文章を読んでみろよ」
机の上に広げられた紙を指さして言う。
そこには『陽だまり亭で飲食した分の代金を支払います』と書かれている。
「お前が、これまで陽だまり亭で飲食していまだ支払っていない代金をすべて払うと、そこには書かれているんだよ」
「待てよ、俺はそんなつもりで書いたんじゃ……っ!?」
「じゃあ、精霊神に判断してもらうか?」
「うっ!?」
俺はゆっくりとグーズーヤを指さす。
「審判を受ける勇気は、あるか?」
まっすぐにグーズーヤを見つめそう言うと、グーズーヤは床にへたりこみ、肩を落として己の敗北を認めた。
「……分かった。全額支払う。悪かった……もうしないから、『精霊の審判』だけは、勘弁して……ください……」
こいつが何回食い逃げをしたのかは分からん。自白してもらうほかないだろう。
そこで嘘を吐く可能性は極めて低いと思われる。
怪しければ『何回食い逃げをしたのか』と聞いて、『精霊の審判』にかければいいのだから。
そうして問い詰めたところ、食い逃げした回数は十八回に及び、被害総額は実に640Rbにのぼった。
あいつ、パンとか食ってやがったのか。
またしても持ち合わせがないということで、新たな念書を書かせてグーズーヤには帰ってもらった。
食い逃げ犯がこいつ一人だとは到底思えないが……この噂が広がれば食い逃げ犯はもうやって来ないだろう。
過去分の取り立ては出来なくなるが、それよりも今後の損失を防ぐことが重要だ。
もっとも、食い逃げ犯を見つけ次第容赦なくむしり取ってやるつもりではいるけどな。
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