「少々、気になることがあったのですよ」
小難しい顔をして、アッスントが俺の目の前の席に腰を下ろす。
……と。
本来ならこういうタイミングで来客に水が出されるのだが…………ロレッタは相変わらずホールにいない。
マグダがいるから問題ないと思っているのか……いや、これまでのあいつなら他人任せにはしないで、自分でホールの状況を確認し、自主的に行動していたはずだ。
「すまん、アッスント。話の前にちょっといいか?」
「はい? なんでしょう」
お前に用件があるわけではない、と目で伝え、俺は厨房へ声を向ける。
「ロレッタぁー、客に水ー!」
「は、はいです!」
慌てた様子で飛び出してきたロレッタ。
手にはきちんと水差しを持っている。
が、こちらを向いてぷっくりと頬を膨らませる。
「マグダっちょ、いるじゃないですか」
だったら代わりにやってくれればいいのに、とでも言いたげだ。
だが、それがもうおかしい。
ロレッタは、そこに誰がいようが、「あたしがやるです!」と、全力で前に出てくるタイプの人間だったはずだ。特に、陽だまり亭に関することならば。
やっぱり、こいつはちょっとおかしい。
「はい、アッスントさん。お水です」
「ありがとうございます」
「そういえば、『いらっしゃいませ』って聞こえてないです、よね?」
「おう、言ってないからな」
「ちゃんと言ってです!?」
「……ごめん。マグダは、アッスントに対してあまりいい印象を持っていないため、心を込めた接客とかしたくないと思っているから……」
「あの、マグダさん……冗談でもちょっと傷付くのでやめてくださいね」
「……『精霊の審判』をかけてもらってもいい」
「個人の感情に精霊神様は裁きを下されませんよ!? ……の、前に、その自信満々な言い草に傷付きまくりですからね!?」
好きな相手に「嫌い」と言っても、それは『精霊の審判』には引っかからない。会話記録を使っても判断のしようがない事案だからな。
けれど、これだけははっきり言える。
マグダはアッスントがさほど好きではない!
「マグダ。ミートゥ」
「何に同意したのかはあえて聞きませんが、一応お客として来ているのですから、相応の対応をしてくださいませんかね?」
握手を交わす俺とマグダの間に割り込んで俺を見てくるアッスント。……顔、近いっつの。
「それで、アッスントさん。ご注文はお決まりです?」
「そうですね……では、カレーをいただきましょうか」
「承りましたです! ……カレー……カレー……カレー……」
先ほどの失敗がこたえたのか、間違わないように小声で注文を反芻している。
「カレー……芳醇な香りで、コクがあって、一口食べるとパラダイスを体感できる、辛さと美味さの絶妙なコラボレーション…………じゅるりっ」
どうにも、脳内でカレーの妄想が広がったらしく、ロレッタはよだれを垂らして盛大に腹を鳴らした。
腹、減ってんだろうな。
「……ぴりっと辛い香辛料が食欲をそそる……」
「……タコス」
「……そう、タコス。あのピリ辛のサルサソースが舌を幸福感で包み込み……」
ぶつぶつ言いながら厨房へ引き返していくロレッタ。
……つかマグダ。なんで「タコス」って呟いた?
「気のせいかもしれませんが……タコスが出てきそうな予感がするのですが」
「奇遇だな。俺もそんな気がする」
「まぁ、タコスでも構いませんけれどね。食にこだわりは、あまりない方ですので」
「どうにも最近ボーッとしててな」
「ロレッタさんですか?」
「あぁ。ちょっと休ませた方がいいかもしれんな」
「そうですねぇ。いくら好きとはいえ、体力は有限。疲れも溜まるでしょうし、好きだけで乗り切ろうとすると体調を崩してしまうこともあるでしょうし……って、なぜ私がヤシロさんのお話を聞く立場になっているんですか? 私の話を聞いていただきたくて参ったというのに」
険しい顔で水を飲み、会話の流れを断ち切るアッスント。
このまま話せば自分の話が出来ないと踏んだのだろう。なんて自己中なヤツだ。
「……ブタちゅう」
「なんですか、その可愛らしい悪口は。むしろちょっと嬉しいですよ」
確かに、どこぞのゆるキャラみたいなニュアンスになってしまったな。
ち、不愉快な。
「で、なんなんだよ。話って」
「実は、四十一区での話なのですが……」
「他所の区の問題を四十二区に持ち込むなよ……」
「いえ、それが対岸の火事で済まない可能性があるのですよ」
アッスントがわざわざ忠告をしに来るなんてのは、得てして面倒くさいか煩わしい問題であることがほとんどだ。
取り越し苦労の無駄話をしに来るようなヤツではないからな。
「聞きたくないけど、一応聞いておこう」
「では……。四十一区内で活動している行商人が襲撃されるという事件がありまして」
「襲撃?」
穏やかではないその情報に、黙って聞いていたマグダとオシナの表情も若干硬くなる。
「襲撃事件自体はままあることなのですよ。ならず者ギルドの者たちや、定住地を持たない者、他所からやって来た不届き者が金品や食料を狙うという事件自体は」
「結構物騒なんだな」
「四十二区にいては出会わないような事件ですからね。ここ以外ではそう珍しいことではないのですよ」
仕事しろよ、自警団。
「高級品を扱う行商人は、腕の立つ用心棒を雇っているくらいでして……と、それはまぁ、今は置いておきましょう。今重要なのは……」
「四十一区の行商人が襲われた事件、か」
「えぇ。彼は食料の売買を主に行う商人で、その時も様々な食料を荷台に積んでいました」
「そこを襲われた、と」
賊は一人で、大きな袋がいっぱいになるくらいの食料を強奪していったのだそうだ。
「まぁ、商人に怪我はなく、被害額としても、決して安くはありませんが甚大と言うほどでもない、その程度で済みました」
手痛い損失ではあるが、ギルドを上げて大騒ぎするほどではないレベルなのだという。
少なくとも、懸賞金をかけて賊の首を狙うほどではないのだとか。
……そんな制度あるのかよ。よかった、俺懸賞金とかかけられなくて。ここに来たばっかりの頃に指名手配はされたけど。
「その話の中で気になったのが、賊が口にしたとある言葉……なのですよ」
もったいをつけて、アッスントが俺たちの注目を集めるように指を一本立てる。
グッと身を乗り出し次の言葉を待つ。
「賊はこう言ったそうなんです――『ポップコーンはないのか』と」
「……ポップコーン」
マグダが小声で呟く。
自身の得意料理の名が出て、思わず漏れ出してしまった言葉なのだろう。
賊がポップコーンを狙った。日本で聞けば笑い話になるかもしれないが、ポップコーンは甘味の少なかったこの近辺の区にとって革命を起こした一品だ。
少なくとも、四十二区から三十五区までの、かつて陽だまり亭が屋台を曳いて歩いた区の間では話題のスイーツとなっている。
三十五区の方ではケーキよりも有名なスイーツというポジションだ。向こうの方ではケーキの販売までは出来なかったからな。
「それで、その賊に襲われた商人がうっかり口を滑らせてしまったのですよ。『ポップコーンが食いたけりゃ、四十二区へ行け』と――」
その言葉に、俺の背筋に自然と力が入る。
賊が……四十二区に?
「当然、迂闊な発言をした商人には厳しい指導をしておきましたが……」
「そういや、お前ってこの辺一帯の責任者なんだっけ?」
「はい。流行の発進地四十二区から四十区までを統括する責任者です」
「……すげぇポジティブな捉え方になったな」
以前は最貧三区という扱いだったはずだが。
「とにかく、ポップコーンを狙ってる甘党な賊がいるから、陽だまり亭や移動販売の屋台は気を付けろってことだな」
「はい。もし万が一、陽だまり亭やみなさんに何かあったら……本部に多額の賠償請求も辞さない覚悟です」
アッスントの目がマジだ。
アッスントの管轄する地区の行商人の発言が発端となり、まかり間違って陽だまり亭関係者に被害が及んだり、あまつさえ怪我人でも出ようものなら、その責任はアッスントへと向かい、また個人的な感情として俺たちとの友好的な関係にヒビが入りかねない……とか、そんなことを考えているのだろう。
「……ヤシロさんとの友好関係に傷を付けようものなら、本部といえど……潰してやりますよ」
「俺を勝手に祭り上げるんじゃねぇよ」
本部よりも優先するような相手じゃないだろうが。
お前らの俺に対する評価がちょっと怖ぇよ。
「もし何かありましたらすぐにご連絡ください。なんなら、護衛隊を結成して派遣いたしますので!」
「そこまでしてもらわんでも……まぁ、何かあったらすぐに伝えるよ」
「ふぅ……まったく。最近の若い者は、迂闊というか、緊張感が足りないというか……」
オッサンじみた小言を漏らすアッスント。
まぁ確かに、俺が来る前のこの近辺でなら迂闊な発言はそのまま自分たちの首を絞めることになり、最悪ギルド崩壊すら招きかねない事案だ――と、こいつなら考えただろうな。
「……平和ボケですかね。まったく」
不満そうに、コップの水を飲み干すアッスント。
だが、平和ボケしてんのはお前なんじゃないのか?
以前のお前なら、その辺の教育を徹底的にやってたろう。それが最近は豆板醤やその他の新しい商品の取り扱い、販路拡大に意欲を燃やしているようで、他者を手玉に取るための講習会は開かれていない様子だ。
アッスント曰く、「必要のないスキルの習得に時間を費やすことは浪費ですから」だそうだ。丸くなったなぁ、ホント。
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