馬車がガタンと揺れて、その一瞬のうちにルシアが雰囲気を変える。
「頼りになる給仕長がそばに張りついているとはいえ、油断はするなよ。エステラは、少し心配になるくらいに心が脆い」
「そういうのはエステラ本人かナタリアに言ってやれ」
「デキる領主というのはな、最少の労力で最大の効果を発揮するところへ働きかけるものなのだ」
「そっかぁ、お前無能なんだな。可哀想に」
俺に言って、俺が何かをすると思うか?
俺にはそんなことに口出しする権利すらねぇっつの。
「たとえば、大通りで見知らぬ女たちに『うっわ、何あの服? ダッサ!』と、三日ほど続けて噂されたら、エステラは館に閉じこもるであろう?」
「やめろよ。アイツ、マジでヘコむからな?」
容易に想像できるよ。何も服が着られなくなって、下着姿で布団にくるまって落ち込んでいるエステラの姿が。
「私が敵なら、四十二区を潰すのは容易だ」
まぁ、そんなことで潰されるほど、四十二区は脆くないけどな。
「シーゲンターラーが本気を出せば、狩猟ギルドの腕利きを五人ほど動員するだけで、エステラの尊厳を踏みにじれるだろう?」
いくらナタリアといえど、狩猟ギルドの腕利き五人を相手にエステラを守りきるのは難しいか?
「そうでなくとも、あの給仕長を慰み者にするだけで、エステラは潰れる」
「……何が言いたいんだよ」
いい加減、気分が悪くなってきた。
リカルドがそんなことを画策することなどあり得ないし、メドラが手伝わせはしない。
絶対にあり得ない。
そう分かっていても、この話は気分が悪い。
「すべては、貴様が腹を括れば済むという話だ」
「そしたら、俺が暗殺者に狙われんじゃねぇのか?」
「はっはっはっ! 貴様が暗殺者などに殺されるタマか?」
いや、さっくりヤられると思うけど。
俺、エステラよりもか弱いからな?
「まぁ、色恋だけでなく、様々な搦め手を使ってくる者も多い。そして、三十区の領主ウィシャートは、そういう男だ」
港の建設において、いろいろと口を挟んでくる三十区領主、ウィシャート。
ヤツはそういう男らしい。
エステラが向こうの要求を突っぱね続ければ、意に沿わない『格下だと向こうが思い込んでいる』相手に対し、どんなことをしてくるか分からない。
新米、女、甘ちゃんと、イヤラシイ貴族が突いてきそうな弱みをエステラは多数抱えている。
そういうところを突いてくるような嫌な相手なのだろう。
「三十区の領主はキナ臭い男だ。十分に注意することだな」
「ふん、キナ臭くない領主なんているのかよ?」
「一人いるぞ。素直で無防備で、見ていると不安になるくらいにお人好しな新米領主がな。アレは、警戒をするだけ無駄というものだ」
「あぁ、俺もそいつのことは知ってるよ。あれだろ? 『絶壁の領主』とかっていう」
「はて、おかしいな。私が聞いたのは『微笑みの領主』だったはずだが……まぁ、同じ人物を指す言葉で間違いないだろう」
揺れる馬車の中で笑みを交わす。
つまりこいつは、エステラに『気を付けろ』と忠告するよりも、俺に『エステラを守れ』と言う方が効率がいいと踏んだわけだ。
なんでも、デキる領主ってのは最少の労力で最大の効果を発揮するところへ働きかけるものらしいからな。
「随分と親切になったもんだな」
「貴様が言うか? 初めて会った時とは瞳の色が違って見えるぞ」
「ほぅ、ってことは、俺の騙しのテクニックが上がったってことだな。得意なんだよな、善人のフリするの」
「貴様が下手なのは照れ隠しの嘘だものな」
バッカでぇ~。
俺ほど嘘が巧い男もそうそういないってのに。
「貴様への忠告は、私の利益のために必要なものだったまでだ」
「へぇ。どんな利益があるんだ?」
「知れたことだ。もし、他所の貴族が四十二区にちょっかいをかけ、あまつさえ四十二区に影響を及ぼせるほどの力を得てしまえば、私の別荘が建てられなくなる。他所の区の領主が他区に別荘を建てて入り浸るなど、常識的に考えてあり得ないことだからな」
「自覚があったことにびっくりだよ。なら非常識な行いは控えればいいのに」
「愚かだな、貴様は。……非常識だからこそ、愛は燃え上がるのだ」
「炭になればいいのに、お前だけが」
もし、どこぞのバカがエステラを利用して四十二区を実効支配しようと考えるなら、ルシアの別荘なんか認めるはずがない。
他区の領主。それも、切れ者だと評判のルシア・スアレスだ。
おっかなくて近くには置いておけないだろう。
だから、俺にエステラを守れって?
誰がお前のために骨を折ってやるもんか。
俺が動く時はな、俺に利益がある時だけだよ。
「まぁ、心配すんな。エステラにはお節介焼きな友達がたくさんいるからな」
エステラが悩んでいればナタリアが素早く察知して、あっという間に情報共有がされるだろう。
不届き者が現れたら、デリアやノーマ、何よりマグダが黙っちゃいない。
そいつが貴族の権力を振りかざすなら、メドラやハビエルを巻き込んで返り討ちにしてやればいい。
誰も、――たとえ王族でさえも、四十二区のエステラには手出しは出来ない。
この街の連中が、それをさせない。
あいつが結婚する日がいつか来るなら、その隣に立っているのは、あいつが心に決めた相手でなければいけない。
それ以外はあり得ないし、認めない。
領主は、領民の代表だからな。反対意見で押し切ってやるさ。
「ふむ。確かにそうだな」
腕を組んで、ルシアが何やら言いたげなイラッとする顔で俺を見る。
「随分なお節介焼きがそばにいるようだしな」
めっちゃ見つめてくる。
ガン見してくる。
見んな。拝観料取るぞ。
「……うっふ~ん」
「なんのマネだ? アゴの骨を砕き散らすぞ、カタクチイワシ」
「俺のセクシーフェイスの拝観料を寄越せ」
「ちょうどいい。今し方受けた精神的苦痛に対する慰謝料で帳消しにしてくれる。大儲けしたな、カタクチイワシよ」
ちっ。
よく回る舌だ。
「おぉ、ようやく着いたか」
ゆっくりとした歩みで進んでいた馬車が陽だまり亭に到着したらしい。
「退屈な時間は長く感じるものだ。さっさと降りろ、カタクチイワシ」
「ふん……」
挑発的なルシアの笑みを睨み返し、おもむろにギルベルタの頭を撫でてやる。
「今日は疲れただろう? ゆっくり休むんだぞ」
「おぉ~ぅ! 歓喜する、私は、突然のご褒美に」
「年明けに会えるのを楽しみにしてるからな」
「こちらこそ思う、私は! 会いたい、友達のヤシロに、またすぐに!」
「えぇい、カタクチイワシ! 私のギルベルタに触るな! 穢れる!」
「なんだ、拗ねてるのか? 撫でてやろうか?」
「い、いらぬわっ! 下世話な笑みをこちらに向けるな! 熱々の煮物をふーふーなしで食べさせるぞ、カタクチイワシ!」
いや、それは拷問なのかご褒美なのか微妙なラインだぞ。
ギルベルタが立ち上がるより早く、馬車から蹴り落とされた俺を、陽だまり亭にいた面々が出迎えてくれた。
「本当に仲良しだね、君たちは」
エステラが呆れフェイスを晒す。
うっせぇ。お前の話のせいでわざわざ呼び出されたんだぞ、こっちは。
「……婚期遅れろ」
「なっ!? なんてこと言うのさ!? ボクは適度な時期に結婚する予定だから!」
「そいつぁ~どうかぃねぇ。予定通りいかないのが人生ってもんさよ」
「背後から妙なプレッシャーかけてこないでくれるかい、ノーマ!?」
怨念を立ち上らせるノーマに背後を取られ、エステラが身をすくめている。
うわぁ、あの邪悪な顔……見てるだけで呪いをもらいそうだ。目を逸らしておこう。
「なんか、今のノーマさん、見てるだけで婚期が遅れる呪いにかかりそうです……」
「ん~、なんだってロレッタ? 明日から一緒のベッドで寝たいんかぃ? いいさよ~。じっくりたっぷり、心ゆくまで添い寝してやるさね」
「ごめんなさいです! それだけは勘弁してほしいです!」
「じゃあロレッタ、その権利譲ってくんない!?」
「ヤシロさん」
ロレッタに伸ばした手を、そっと両手で包み込まれる。
そして、強引に引っ張られて体の向きを変えられた。
真正面にはジネットの笑顔。
「おかえりなさい」
「う、うん……ただいま」
なんだろう。
ジネット史上、もっとも迫力のある「おかえりなさい」だ。こんなにも心が癒されなかった出迎えは初めてかもしれない。
「こんなに全員で出迎えなくてもよかったのに」
「そう思ってはいたんですが」
肩を竦めて、口元を緩めるジネット。
不機嫌はあっという間にどこかへ飛んでいってしまう。
「馬車の音が聞こえたと思って外に出てみたら、馬車がすごくゆっくり走っていまして」
それで、ジネットが全然戻ってこないので、「なんだなんだ」「どうしたどうした」と人が集まってしまったらしい。
そんなゆっくり走ってたのか。
「ではな、皆の者。また会える日を楽しみにしておるぞ。それと、豪雪期には気を付けるのだぞ」
「はい。ルシアさんもお気を付けて」
領主同士が挨拶を交わし、ルシアの馬車は走り出した。
馬車を見送るエステラの横顔をそっと盗み見て……確かにちょっと無防備過ぎるよなと、そんなことを思った。
少しくらいは、注意を払ってやってもいいだろうな、と。
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