自室に戻り、一つ息を吐きました。
「はぁ……」
声が震えていました。
胸の奥がざわつき、ノドなのかアゴなのか分かりませんが、小さく震えていました。
ヤシロさんのお話は、驚くような内容でした。
罪を抱え、ずっと苦しんでこられたのでしょう。
ヤシロさんが時折見せる寂しげな瞳も、苦しそうな表情も、みんなその過去がそうさせてきたことなのでしょう。
驚きました。
確かに、驚きはしましたが……
それ以上に、話してくださったことが嬉しかったんです。
「わたしを……信用してくださったんですね」
まぶたを閉じれば、今にも泣き出しそうなヤシロさんの顔が思い浮かびます。
迷いながらも、真剣に語ってくださった瞳が思い浮かびます。
とてもきれいな瞳をされていました。
ヤシロさんは、もしかしたらご自分を嘘吐きだと感じているのかもしれません。
過去を秘匿し、自分を偽ってきたのだと。
でも、それはみんな同じです。
ことの大小はあれど、人は誰しも心に秘密を抱えて生きています。
それを詳らかにすることをためらう生き物なのです。
「……わたしの話を聞いて、ヤシロさんはどう思われたでしょうか」
わたしにも、誰にも話してこなかった過去があります。
それを、今日、生まれて初めて人に話しました。
当時を知るお祖父さんとシスター以外では、初めてです。
少し、緊張しました。
けれど恐怖は感じませんでした。
それで嫌われるだとか、避けられるかもしれないだとか、そういったことは思いませんでした。
仮にそうなってしまったら、きっとすごく悲しむことになるのでしょうが……
そうはならないと、確信していました。
シスターやお祖父さんがわたしに教えてくれましたから。
幼いわたしが「嫌われる」「捨てられる」「怒られる」と散々恐怖した秘密たちは、みんなお祖父さんやシスターに笑顔で受け止めてもらえました。
「よく話してくれたね」と、優しく受け止めてもらえました。
お祖父さんによく似たヤシロさんなら、きっと同じように受け止めていただけると信じていました。
もっとも、進んで吹聴するような内容ではありませんので、お話しするつもりはなかったのですが……
「少しでも、ヤシロさんの心の重荷を軽くする一助となれればいいのですが……」
罪は消えません。
ですが、罪を犯した者であろうと、その後の生き方次第では多くの方に愛してもらえるのです。
抱えきれないほどの愛情を注いでいただけるのです。
それを許さないという人もいるでしょう。
当事者であれば、いつまでも許せないと思うかもしれません。
そのような方には、是非『人を許す』という救いを説いてあげたいです。
『誰かを憎み続ける』という苦痛から、その方が解放されるように。
もしかしたら、どこかにヤシロさんを恨んでいる方がいるのかもしれません。
だからと言って、それはヤシロさんが幸せになってはいけないという理由にはなりません。
恨みが残るのであれば償えばいいのです。
償ったのであれば前に進むべきなのです。
加害者も被害者も、過去にとどまり続けることは不幸でしかありませんから。
「……懺悔してください」
床にヒザを突き、祈りを捧げます。
どうか、ヤシロさんの進む道の先が明るく照らされていますように。
数多の幸福に満たされていますように。
ヤシロさんが、この先の未来を笑って過ごせますように。
わたしは、長い時間そうして精霊神様にお祈りを続けました。
ランタンの灯が揺れ、わたしはまぶたを開けます。
もう少しお祈りを続けたい気持ちはあるのですが、今日は早く休まなければいけません。
明日は、四十二区にとってとても重要なイベントが開催されるのです。
ヤシロさんとエステラさんが長い時間をかけて努力し続けてきた街門がようやく完成し、その式典が行われるのです。
街門の建設にはロレッタさんのご弟妹もたくさん協力されていました。
街門が完成すれば、マグダさんたちのお仕事がすごく楽になるというお話です。
つまり、陽だまり亭とは不思議な縁で繋がる、切っても切れないイベントなのです。
何より、ヤシロさんが陽だまり亭のためにと、街道を誘致してくださったのですから。
人通りが少なく、立地が悪いと言われていた陽だまり亭が、人通りの多い街道に面することになるのです。
わたしとの約束を覚えていてくださって、そのために、ずっと……ずぅ~っと努力を重ねてきてくださっていたんです。
鈍感なわたしは、そのことに言われるまで気が付かず……
「嬉しかったですね……その話を聞いた時は」
思わず泣いてしまいそうになるほど、感激したのでした。
まさか、ヤシロさんがそんなことを考えていてくださったなんて思わず……
そんなにも努力を重ねていてくださっただなんてつゆ知らず……
ただ当たり前にそばにいて、いつもわたしに楽しい時間をプレゼントしてくださっていたから、もう、それだけで十分満たされて……
すっかりと、甘えてしまっていました。
「そうだ。明日の式典はソレイユの髪飾りをつけて出席しましょう」
特別な日には特別なオシャレをしましょう。
ふふ……
今から少しドキドキしてきました。
ランタンを持って、飾り棚の前へと移動します。
私の宝物たちが並べられた、自慢の棚です。
お祖父さんにもらった棚を、ヤシロさんが綺麗に修繕……えっと、たしか……そう、『リノベーション』してくださったものです。
マグダさんお勧めの秘密の引き出しもついて、とてもステキな変貌を遂げました。
そんな棚の中央に、一番よく見える位置に、ソレイユの髪飾りが飾られています。
少し前まで、レンガの花瓶が飾ってあった特等席です。
……あ、レンガの花瓶は現在綺麗なお花を生けて机のそばに置いてあります。
レンガの花瓶は役目を得て存分にその力を発揮してくれています。
棚に飾られるのではなく、自身が最も輝ける場で活躍してくれているのです。栄転です、これは。
「大切なものが、たくさん増えましたね」
2.5頭身フィギュアたちが、素敵な笑顔でこちらを見ています。
ぷっくりとしたその顔を見れば、大切な人たちの声がいつだって耳の奥に蘇ってきます。
『ジネットちゃん』
『……店長』
『店長さん!』
いつだって、楽し気に声をかけてくれます。
そして――
『ジネット』
――優しく、名を呼んでくれます。
少しだけ不機嫌そうな顔をしたヤシロさんの人形の頭を撫でてみました。
ヤシロさんの人形は不機嫌そうな顔をして……何も語りませんでした。
もし、今わたしがこの人形にしたのと同じように、ヤシロさんの頭を撫でたとしたら……
「ヤシロさんは、なんとおっしゃるでしょうね……」
耳を澄ましてみても、ヤシロさんの声は聞こえてきませんでした。
いつもはおしゃべりな人形が、今日は随分と無口です。
もしかしたら、明日にはまた、元気いっぱいしゃべりかけてきてくれるかもしれませんが。
「ヤシロさん」
不機嫌そうな人形は返事をせず、ただじっとわたしを見つめていました。
「……明日、晴れるといいですね」
言いたいこととは少しだけ違う、そんな世間話をして、ヤシロさん人形に微笑みかけました。
答えを強要することは出来ません。
わたしはただ、待っています。
ランプを消そうと傾けると、ソレイユの髪飾りがきらりと光を反射させ、暗い部屋の中に一瞬だけ昼間のような温かい光を満たしてくれました。
太陽の花が照らした部屋の中で、わたしたちにそっくりな人形たちがみんな笑っていたように見えて……胸の奥がじんわりと温かくなりました。
「そうですね。陽だまり亭は、やはりこうでなくては」
明日は一日、一番の笑顔で過ごしましょう。
わたしらしく。
ヤシロさんが褒めてくださった、素敵な笑顔で。
それから――
ソレイユの花を、ヤシロさんが「一番綺麗に見える」と言ってくれた場所につけましょう。
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