洞窟を出ると、デリアとウッセたち狩猟ギルドの連中が港周辺をガサガサと捜索していた。
「なんかあったか?」
「何があれば何かあったことになるのか分からなくなるくらいに何もねぇな」
何もなさ過ぎて、逆になんだか全部が怪しく見えてしまっているようだ。
要するに何もないんだな。
実際、「こういう形跡を探してくれ」って明確な指示がないと、調査ってのは難易度が格段に跳ね上がる。
「何か変なところを探せ」と言われて「あれれ~、おかし~ぞぉ~」とすぐに気が付けるのは名探偵くらいなもんで、一般人には無茶な話なのだ。
あとになって「実はあの時、こんな異変があったんだよ」と言われても、正直「そんなもん、気付けるかボケぇ!」ってなもんだ。
「うぅ……っ、寒ぃ!」
ウッセが筋肉を「むきっ!」っと縮める。
気持ちの悪い音を立てるな。茹でてこそげ落とすぞ、その筋肉。
「ヤシロ、大丈夫か?」
デリアも一日中港を調査していたようで、手や顔が泥で汚れている。
「デリア、汚れてるぞ」
「ヤシロもな。髪の毛べたべただぞ」
デリアの指が俺の髪に絡む。
イタタタッ!
めっちゃ引っかかる!
「潮風に当たってたからか……あぁ、そういえば朝方は湿気がすごかったもんなぁ、洞窟の中」
「うわぁ、ボクの髪もベタベタだよ」
「私の胸もぽぃんぽぃんです」
「ん、あえてスルーするよ。みんな、相手にしないように」
「……残念。ウッセがめっちゃ食いついている」
「なっ!? ばっ、食いついてねぇよ!」
「……妖怪、むきむきチラ見」
「してねぇ!」
「……『精霊の――』」
「そーゆーのはギルド内ではなしだろ、マグダ!」
食いついてたって自白してんじゃねぇーか。
「あたい、大衆浴場寄って帰ろうかなぁ」
「少し待てるなら、陽だまり亭で入ってもいいぞ」
「そうだな。腹も減ったし、甘い物も食べたいし。うん、そうする」
にへへと、デリアが笑う。
昨日とは違って柔らかい表情だ。
この顔なら、カンパニュラも気を遣うことはないだろう。
昨日は、若干気を遣って口数が減っていたからな。
「マーシャ! マーシャは来ないのか、陽だまり亭?」
「う~ん。ごめんねぇ~。行きたいんだけど、漁もしなきゃだから~☆」
本業も疎かには出来ない。
マーシャは名残惜しそうに手を振って、今出てきた洞窟の方へと泳いでいった。
折角早まりそうだった港の完成も、これで延期になるんだろうな。
……くそ。忌々しい。
「ヤシロたちも収穫はなかったようだし、俺たちもここらで切り上げて陽だまり亭に行くか。腹も減ったし」
「……『巨乳もチラ見足りないし』」
「言ってねぇだろ!?」
「ウッセさぁ、そーゆーことばっか言ってると嫌われるぞ?」
「言ってねぇんだよ、俺は! で、俺じゃなくて真っ先にヤシロに言えよ、クマの娘!」
「ん? だって、ヤシロは仕方ないじゃねぇか。ヤシロなんだし」
はっはっはっ、デリア~?
お前の中で俺はどんな人間なんだ?
あまりの謎理論で、擁護されたんだか糞味噌に軽蔑されてんだか分かんなくなったぞ。
「とにかく街門へ戻ろう」
ナタリアとマグダが先行し、ウッセたち狩人が後方を固め、俺の隣はエステラとデリアにがっちり守ってもらって、俺たちは街門へと戻った。
「随分と大人数ではないか? よもや、こそこそと工事を再開しようなどとは考えておるまいな?」
門をくぐると、広場にウィシャートの執事が待ち構えていた。
「調査をしていたんだよ。君たちもそれを望んでいると思ったけれど、思い違いだったかい?」
「ふん。調査結果を報告するのはそなたらの義務だ。早く成果を聞かせていただきたいものだな」
「もちろんそのつもりだけれどね、いちいち邪魔をされては、それがいつになるか分かったものじゃないね」
「工事の再開が遅れて困るのはそなたらであろう?」
「へぇ、気にはならないんだね、ミスター・ウィシャートは。自区の足下にカエルがどうのと言っていたような気がしたのだけれど、真偽がはっきりしなくても日常を過ごしておられると見える」
いや~大したものだと、エステラは大袈裟な手振りで感心して見せ、鋭い目で執事を睨む。
「まるで、何かを知っているかのような落ち着き方だね」
「貴様っ! お館様が謀をしているとでも言いたいのか!? 看過できぬ妄言だぞ!」
「それくらい落ち着いていると称賛しているだけさ」
おぉ~、エステラが貴族っぽいイヤミを。
きっとルシアやマーゥルなんてガラの悪いお友達が出来たからだな。
環境って、怖いわぁ~。
「そちらこそ、今回の件に一切の裏がないと聞こえる物言いだったけれど?」
「当然であろう! カエルのことなど、お館様はご存じない!」
「その言葉に『精霊の審判』をかけられる覚悟はあるのかい?」
「無論だ! やってみるがいい! 相応の報復を覚悟の上でな!」
執事の瞳は一切揺らがなかった。
少なくとも、今のこいつの言葉に嘘はないだろう。
ウィシャートがカエル騒動を仕掛けてきたって線も消えたか。
もっとも、ウィシャートだからな。こんなことで潔白だなんて信じてやれるわけもない。
……が、今回はカエル騒動を聞きつけてそれに乗っかって嫌がらせをしてきているってのが正解だろう。
ヤツは今、情報紙と土木ギルド組合という手駒を封じられて方向転換を余儀なくされているだろうからな。
楽に乗っかれるところには乗っかって、時間を稼いでくるだろう。
「私は、貴様らがお館様の目を欺いて工事を再開しないように見張っているのだ。監視されるのが嫌なら、今この場で『お館様の許可を得るまで工事は再開しない』と宣言してもらおうか」
「そこまで他区の者に干渉される謂われはないよ」
四十二区の工事再開に三十区領主の許可がいるなんて馬鹿げている。話にならない。
そんなもんを認めちまったら、「再開したければ利権を寄越せ」と言ってくるに決まっている。
双方の信頼関係が完全に破綻している今、そんなふざけた要求は『形だけ』だとしても受け入れるわけにはいかない。
「そちらこそ、『館にカエルが出てから』モンクを言ってくれるかい?」
「斯様な汚らわしいモノが館に出ること自体が看過できぬのだ! 貴様、やはり何か企んでおるな? お館様の名に泥を塗るような何かを!」
ツバを飛ばす執事ウィシャートの眼前にナイフが突きつけられる。
「……今の言葉、安易に取り消させはさせんぞ、下郎」
ナタリアの瞳の色が変わっている。
ぶち切れ五秒前だな。
「ふん……。武に秀でているのがおのれだけだとでも思っているのか? 貴様程度のナイフ術など――」
ドン――っ!
「あ、わりぃ。道、壊しちまった」
デリアが、足下のレンガを踏み砕いていた。
綺麗に敷き詰められていたレンガは砕け、めくれ上がり、その下の地面に大きなくぼみを作っている。
足ドンであそこまで壊れるのか……すげぇな、やっぱ。
「あ~……っ、誰かさんのせいで工事が遅れて、俺たちも狩りが出来てねぇんだよなぁ……体が鈍らねぇように『どっか』で運動でもしねぇとなぁ……なぁ?」
ウッセ以下狩人たちが自慢の筋肉をこれでもかと盛り上がらせて執事ウィシャートに睨みを利かせている。
ナタリア一人なら渡り合えると踏んでいたらしい執事ウィシャートも、獣人族や狩猟ギルドの狩人を相手に乱闘はしたくないのだろう。
キザったらしい白い手袋に覆われた指でこめかみを押さえ短く息を吐いた。
「ふん……野蛮な街だ」
負け惜しみを言って、一歩体を引く。
あと半歩でも前に出ていればナタリアが飛びかかっていただろうけどな。
「執事、給仕の質が悪いのは領主の能力が不足している証拠ですよ。あまり無様はさらさないことをお勧めしておきましょう」
「なんだと……?」
身を引いた執事ウィシャートにナタリアがチクリと言葉の棘を突き刺す。
「こちらのデリアさんでさえ一目で気付けたことを見落とすとは、嘆かわしいですね」
言って、エステラの髪を一束摘まむ。
潮風と汗でべたつく赤い髪。
「美しい髪がこうなってしまうまで洞窟の調査をしていたことは明白でしょうに」
そして、エステラの頬を白いハンカチで拭きながら、静かに殺気を放ち始める。
「領主自らが、何が潜んでいるかも分からぬ外の森の、カエルを見たという報告があった洞窟の中を調査している――その誠意を微塵も感じることが出来ぬほどあなたの主が阿呆であるというのであれば特例で許可をお出ししましょうか?」
執事ウィシャートに向かい合い、一切の感情が感じられない無表情で言い放つ。
「魔獣に食い殺されるか、カエルの群れに襲われるか、精霊神様の逆鱗に触れ呪いをもらうかもしれない洞窟の調査を行う特例の許可を」
連中が喚いていたカエルの呪い。そんなモノを敢えて口にしたナタリア。
その怒り具合が窺えるな。
「やれるものならやってみろよ」と言外に言っている。
そして、エステラをそんな危険にさらしているナタリア自身の苦しさがよく伝わってくる。
「……ふん。そのような仕事、お館様のなさることではないわ」
「それを我が主が率先して行っている。それがそちらの主への誠意であると、その程度のことも分からぬ阿呆なのですか、あなたの主は」
「なんだと!?」
「あなたの態度が、そう言っているのですが……気付いていないとでも?」
「…………ちっ。調査を早く終わらせ、報告に来るように」
言い捨てて踵を返す執事ウィシャート。
だが――
「うおっ!?」
「……帰り道に気を付けて。……『何があるか』分からないから」
――背後にぴったり張り付くようにマグダが立っていて驚いたらしく、変な声を漏らしていた。
ナタリアなら、気付いていただろうな。
執事ウィシャートはナタリアには遠く及ばない執事ってわけだ。
まぁ、『ウィシャート家の中から』なんて制限が設けられた状態で選ばれた『一番マシなヤツ』がこいつってだけなのだろうし、マグダも相手の強さが分かったからこそ、デリアとウッセがいきり立った時に相手にしなかったのだ。
しかし、今の脅しは効いただろう。
武力で四十二区を攻めるのは無理だと悟ってくれればいいのだが。
どんなに強い獣人を送り込んでこようと、ハビエルとメドラがいるし、執事がマグダに後れを取るレベルじゃ話にならない。
武力侵攻を諦めてくれると、ミリィたちがもっと気楽に過ごせるようになるんだがな。
無言で睨み付けるナタリアを最後にもう一度だけ見て「……ちっ」と舌打ちを残し、執事ウィシャートは足早に広場を後にした。
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