飯が終わると、エステラはそそくさと帰っていった。
エステラもエステラで、明日の準備があるのだろう。
俺もさっさと寝てしまわないとな。早起きは苦手だ。
「ヤシロさん。お湯、お先にどうぞ」
「いいのか?」
「はい。わたしは、明日の仕込みをやってしまいますので」
ジネットはこれから明日一日分の仕込みを行うらしい。
教会への寄付もあるし、朝だけでは到底終わらない。
「手伝うか?」
「いえ、平気です。マグダさんとロレッタさんがお手伝いしてくださるそうなので」
「……いかにも」
「大船に乗ったつもりでお任せですっ!」
むふんっと、マグダとロレッタが揃いのポーズで胸を張る。
なんだか今日は随分協力的だな。
「……好印象を与えて、あわよくば…………」
「……むふふ、です」
……何かを企んでいるらしいことはよく分かった。
ジネット。あんまりこいつらに仕事を振るなよ。恩を着せられるぞ。
「じゃあ、俺は先に休ませてもらうな」
「あ、お兄ちゃん! あたしがお湯運んであげるです! お兄ちゃんよりかは力あるですから!」
「そうか? じゃあ、頼む」
「えへへ。頼れるいい娘、ロレッタをよろしくです」
「……何がだ?」
「なんでもないです。ただ、ちょこ~っと、『一緒がいいなぁ』とか思ってくれるだけでいいです」
「…………いや、よく分からんが」
「……ロレッタ。しぃ~」
「はぅっ!? そ、そうでした。お兄ちゃんは警戒心の塊ですから、多弁は危険です……なんでもないです!」
「いや、この流れで『なんでもない』とか言われてもな……」
まぁ、なんでもないってんなら気にしないことにするが。
一切っ! 一切合財っ! それっぽいおねだりオーラを感知してもスルーすることにしよう。
「……ヤシロ」
「なんだ?」
「……あとで洗いに行く」
「それは断るっ!」
「……マグダの体は…………泡立ちがいいっ」
「知らんし! 何で洗う気だ!?」
「ヤシロさん……えっと、懺悔してください」
「迷うなら言うなよ!? お前も一瞬『あれ、これはヤシロさんに言ってもしょうがないですよね……』って思ったよな!?」
「し、しかし、同じ職場で働く者として、そういった風紀の乱れは看過するわけにもいかず……」
マグダに注意するって選択肢はないわけか……甘やかしやがって。
「いいから、マグダはジネットの手伝いをしてやってくれ。ロレッタも、お湯を運んだらよろしく頼むな」
「……了解。マグダは『そばに置いておきたいいい娘』だから」
「あたしも分かったですっ! 『旅のお供に最適の何かと役に立ついい娘』ロレッタですから!」
…………えっと、スルー、スルーっと。
部屋にデカいタライを置いて、ロレッタに湯を張ってもらう。
ロレッタが部屋を出てから、ゆっくりと湯を浴びる。
肩まで浸かることは出来ないが、これはこれで、なかなか気持ちがいい。
マグダとロレッタが何を考えているのか、まぁ大体想像はつくが……
さすがにそれを認めてやるわけにはいかないしな……下ごしらえもしちまってるし。
まぁ、そのうち店を休みにして遊びにでも……
『……首尾はどう?』
『なんか、反応がイマイチです』
『……そう』
ドアの向こうから、声を潜めた会話が漏れ聞こえてくる。
……わざとやってんのかってくらいはっきり聞こえる。
『お兄ちゃんは鈍感ですから、もっとアプローチをかけるべきだと思うです』
『……では、さり気なくその気にさせるための練習をしておくべき』
『じゃあ、あたしがおねだりするので、マグダっちょはお兄ちゃん役をやってです』
『……心得た』
『えっと……「お兄ちゃん。あたし、三十五区に行くとEカップになれる気がするですっ!」』
『「……マジでかぁ。そりゃすげぇ。よし一緒に行こー」』
『完璧ですっ!』
『……ヤシロはそれでいい。だが、馬車にはエステラも乗っている』
『むがぁっ!? しまったです! そこを忘れていたですっ!』
『……ロレッタの胸の成長を……ヤツは絶対許さない』
『じゃあ、違う手を考えるです』
『……もっと、止むに止まれない感じが出ると尚よい』
『止むに、ですか…………「お兄ちゃん。あたし、三十五区に包丁落としてきたかもですっ!」』
『「……包丁がなきゃ料理が出来ないなー。しょうがない、一緒に取りに行くかー」』
『またしても完璧ですっ!』
『……うむ。これならヤシロもきっと……っ』
ドア、オープン。
「連れてかないからな?」
「にょはぁ!? お兄ちゃん!?」
「……なぜここに?」
いやいや。俺の部屋の真ん前だっつの。
ドアを開け、首を廊下に出すと、ドアの前にマグダとロレッタが座り込んでアホな作戦会議を開いていた。……わざと聞かせるためにそこで話してたんじゃないのかよ……なんで二人してマジビックリしてんだよ……
「いや、あの、こ、これはその…………別に何かやましいことをしていたわけでは…………あの……あ、そ、そうですっ! ただの覗きですっ!」
「悩んだ結果、物凄くやましいところに着地しちゃってるけどっ!?」
「はぁあっ!? これではあたしとマグダっちょがただの変態にっ!?」
「……マグダは、ロレッタを止める係」
「むはぁっ!? 裏切りが発生したですっ!? 自分だけ被害を逃れようなんてズルいですっ!」
「……ヤシロ、平気だった? マグダは、心配した」
「ズルっこいです! ズルっこいですぅっ!」
あぁ、もう、煩わしい。
なまじ、湯に浸かった後だから、ドアのこっち側ではあられもない格好してんだよな、俺。もちろん、二人には見えないようにドアの陰に身を隠してはいるが……
「とりあえず分かったから。ジネットの手伝いしてきてやれ。な?」
「むぁぁ! 信じてです! 違うです! あたし、変なことしてないですっ!」
「バッ!? ドアを持つな! 今開けられるとマズいんだよ!?」
「信じてですっ!」
「分かった! 分かったから、ドアから離れろっ!」
「……きゅぴーん、察知」
「おぉ、マグダ。気が付いたか、助け……」
「……ロレッタ、加勢する」
「おぉおいっ!?」
ヤバイ!
腰に巻いたほっそいタオルを片手で押さえているせいで、ドアを閉めているのは右手一本だ。
マグダが本気を出したら引っ張り出されてしまう……丸出しでっ!
「い、言うことを聞くいい娘には、ジネットと一緒に行く日帰り旅行をプレゼントだっ!」
「……ロレッタ。ヤシロを困らせてはダメ」
「その変わり身の早さ、もはや神がかっているですよ、マグダっちょ!?」
マグダの寝返りにより、ロレッタは速やかに排除された。
…………はぁ。健全な少女にとんでもないものを見せてしまうところだった。
「まぁ、なんだ……明日は無理だけどよ」
こいつらが頑張っていることはよく知っている。
ジネットだって、こいつらのためなら融通を利かせてくれるだろう。
ここで約束しちまっても、問題なんかないだろう。
「今やってるあれこれが片付いたら、またみんなで遊びに行こうぜ。今度は、ちょっと遠出してよ」
「お兄ちゃんっ!」
「おい! こっち来んな! 俺、今裸だからな!?」
「にょひっ!? お、お兄ちゃんっ、あた、あたしたちに隠れてな、なな、何してたですっ!?」
「風呂入ってたんだよっ! お前が持ってきてくれたお湯を使ってな!」
「そういえばそうだったですっ!?」
忘れんの早っ!?
俺の状態をようやく察し、ロレッタが真っ赤な顔でものすご~く遠くまで後退っていく。
照れんの遅っ!?
「お、お湯の匂いが生々しいですっ!」
そんなことを廊下の隅っこまで避難して叫ぶ。
嗅覚、すごっ!?
……いや、お湯の匂いくらいはするか、この距離なら。
「……ヤシロ」
ロレッタとは対照的に、焦りを見せないマグダ。
ドアの前に立ってこちらをまっすぐ見上げている。
「……ありがとう」
それは、少し照れたような語感だった。
おねだりを見透かされ、そしてその望みがすんなりと叶えられたことに、少し恥ずかしさを感じているのかもしれないな。
「…………脇腹もなかなか」
「どこ見てんだよ!?」
違う意味で照れてたっ!?
の、割にはガン見だ!?
「……別に、遠くなくてもいい」
「ん?」
「……お店もあるし」
あぁ……なんだ。
さっきのは一種の照れ隠しだったのか。
甘えん坊のくせに、そんなところで無理しちゃってまぁ……
俺やジネットに迷惑をかけるような甘え方は、マグダ的に少し抵抗があるようだ。
いつもの甘えん坊要求はその場で出来ることや、こっちに時間があり負担にならないようなことばかりだからな。
けどな、マグダ。
俺もジネットも、んなもん、迷惑だなんて思わないぞ。
「……もっと普通のことでも、マグダは……」
「いいんだよ、遠出で」
「…………いいの?」
「俺が、マグダたちと遠出して遊びたいんだよ」
「…………」
こういう言い回しの裏にあるこちらの気持ちを、マグダなら簡単に理解するだろう。
気を遣わないようにと気を遣われている。そう感じたマグダは……きっと、さらに気を遣ってこちらの望む答えを返してくれる。
「……そう」
いつもより、ほんの少しだけ嬉しそうに微笑んで。
「……なら、付き合ってあげる」
「おう。頼む」
「……うむ。ヤシロだから、仕方ない」
嬉しそうに耳をぴこぴこ揺らして、そう言ってくれる。
服さえ着てれば頭を撫でてやってるところだ。
「……ヤシロ、ありがとう」
「おう」
「…………いい脇腹を」
「そっちかよっ!?」
満足そうな目をして、ちろっと舌を覗かせる。
イタズラ大成功みたいな達成感を滲ませて、マグダが階段へ向かい歩き出す。
「……店長の手伝いをしてくる。マグダはいい娘だから」
「あぁ。しっかりな」
「……あっちでエロい妄想に身悶えている使えないハムっ娘とは違って」
「にょはっ!? あ、あたし別にエロい妄想してないですよっ!? あたしもいい娘ですよっ!?」
「……では、駆け足でこちらへ」
「おに、お兄ちゃんがドアを閉めたら行くです!」
「……思春期の妄想は嗅覚だけで事足りる」
「やめてですっ!? なんか、どんどん恥ずかしくなっていくですっ!」
「いいから、二人とも早く下りろ。湯が冷める」
ロレッタが前を通過できるようにドアを閉める。
……まったく。
『あ、あの、お兄ちゃんっ』
いまだいささか上擦った感の残る声がドアの向こうから聞こえてくる。
『ありがとうですっ! あたしも、嬉しいですっ!』
『……脇腹が? エロッタ……』
『違うですっ!? お兄ちゃん優しいから大好きですって言いたかったですっ! …………にょぁぁああっ! なに、言わせるですか、マグダっちょ!?』
『……自爆』
『もう! 早く店長さんのお手伝いに戻るです! こうしてる間にも、店長さんなら全部終わらせちゃうですよ!?』
『……むぅ、それはあり得る。急ぐべき』
『じゃあ、行くです!』
騒ぐだけ騒いで、マグダとロレッタはバタバタと階段を下りていった。
賑やかだなぁ、もう。
お湯、ちょっと冷めちまったじゃねぇか。
けどなんでか……
こういう賑やかな方が落ち着くんだよな……なんでかなぁ。
風呂を済ませベッドに入ると、とてもスムーズに眠りにつくことが出来た。
リラックス方法ってのは、人それぞれなんだな……
その夜はいつもよりぐっすり眠れた気がする。
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