――ッカーン!
開始の鐘が鳴り、砂時計が反転させられ砂が落下を始める。
「た、食べますよっ!」
グスターブが腹を決めてウサギさんリンゴに手を伸ばす。
「『ぅわ~い! 家族でお出かけなんて、嬉しいなぁ~』」
「なっ!?」
グスターブがリンゴを掴もうとした瞬間、俺はウサギさんリンゴAにアテレコをする。
すると、ウサギさんリンゴに触れる直前でグスターブの手が止まった。わなわなと震えて硬直している。
「『こらこら。あんまりはしゃぐなよ~』『お父さん、お母さん、早く早く~!』……この時、この幸せなウサギさん一家は……後にあんな惨劇が起こるなど、思ってもみなかった」
「あぁっ! 無理です! 出来ません! 私には、幸せなウサギさん一家を引き裂くようなことなど…………出来るはずもありません!」
「『お父さん。これからもずっと、ず~っと、家族四人で、一緒に暮らそうねっ』」
「うぉぉおおっ! 誰一人欠けさせてなるものですかぁ!」
よしっ! 思惑通りだ。
以前、ジネットとエステラはこのウサギさんリンゴを食べることが出来なかった。
マグダですら抵抗を覚えていたくらいだった。
この世界の精霊神像はみな抽象的な造形で、この街の住民はこのウサギさんリンゴのようなデフォルメされたものを異様に可愛く思う傾向がある。
ただし、それがグスターブやハビエルに当て嵌るかは疑問だった。
可愛らしい女子たちならともかく、オッサンどもが可愛いウサギさんを食べられない、なんて可能性は低いのではないかと危惧していたのだが……どうやら、俺は賭けに勝ったようだ。
グスターブはバカがつくほど信仰心の強いヤツだから、こいつはきっと食えないだろうなとは、思っていたがな。
「えぇい! ワシは食うぞ! こんなもん、ただのリンゴだろうが!」
グスターブの向こうで、ハビエルが己を鼓舞してリンゴを手に取る。
させるかっ!
「『お父様っ! ワタクシ、お父様のそのようなお姿を見たくはありませんわっ!』」
「イメルダッ!? お前、イメルダなのかっ!?」
ハビエルが、手に持ったウサギさんリンゴに問いかける。真面目な顔で。あ、摘まんでいたのを大切そうに両手で持ち直した。
「『美しいものは、永遠に壊されてはいけないのです! ワタクシは、心からそう願っていますわっ!』」
「イメルダッ! 間違いない、このウサギさんリンゴはイメルダだ!」
「……いえ、違いますわよ、お父様」
舞台の下でイメルダ(本物)が引き気味の顔で呟く。
「ひ、卑怯だぞ、オオバヤシロ! 正々堂々戦ったらどうだ!?」
リカルドが拳を握り、俺を強く非難する。
「何が卑怯だ? 食事中のおしゃべりは禁止だなんてルール、どこかに書いてあったか?」
「そ、それは…………だが、他の選手の妨害になるようなことは、当然のモラルとして……!」
「ただの独り言だ、気にせず食えばいい」
「気になるに決まってるだろう!?」
キャンキャンとうるさいヤツだ。
「さてと、外野は無視して、俺も食~べよ~っと!」
「……なら、お前も同じ目に遭うがいい! 『ぴょんぴょんっ、ボク、かわいいかわいいウサギさん! 甘いお菓子が大好きなんだ、ぴょんぴょん』!」
「………………」
「………………」
「………………」
「………………」
「…………リカルド、頭大丈夫か?」
「やかましいわ! テメェの真似をしただけだろうがっ!」
リカルドの顔が真っ赤に染まる。
相当恥ずかしかったようだ。
まぁ、『ぴょんぴょん』は、ねぇわなぁ……
「はいはい、ウサギさんぴょ~ん、ウサギさんぴょ~ん」
リンゴを持って、テーブルの上を跳ねさせてみる。
「テッ、テメェ! 俺をバカにしてるのか!?」
「ぴょ~んぴょ~んぴょ~ん……」
三度跳ねた後、俺はそのウサギさんリンゴを口へと運び……
「ガブーッ!」
これでもかと噛み千切った。
「「「「「ぎゃあああああああああああああああああああっ!?」」」」」
観客席に絶叫が響く。
「う~めぇっ! ウサギ、うめっ!」
ワザと口を開け、粉々になった肉片を見せつけながら咀嚼を繰り返す。
シャックシャック、シャックシャック――と、咀嚼音を響かせながら。
グスターブとハビエルは顔面蒼白になり、呆然と俺を見つめている。
……もうひと押ししておくか。
俺は次のウサギさんリンゴを手に取り、今度は自分のリンゴに声を当てる。
「『おのれ、よくも兄さんを! 兄さんの仇だ!』」
「いいぞ! ガンバレウサギさん!」
「そんなヤツ、やっつけちゃえ!」
観客席からリンゴに声援が飛ぶ。
だが。
「あまいわ、小童がっ!」
俺はウサギさんリンゴを高々と持ち上げ、耳を表すリンゴの皮を持ち、勢いよく引きちぎった。
「耳、ブッチーッ!」
「「「「「いやぁぁあああああああああああああああああああっ!?」」」」」
「そして、むーしゃむしゃむしゃぁあああっ!」
「「「「「やめたげてーーーーーーーーーーーーーーーーーーっ!」」」」」
そして、残りのリンゴ二つを両手に持ち、右にガブー、左にガブーと、わんぱくな食べ方をする。
「「「「「ウサギさぁあああああああああああああああああああああああんっ!?」」」」
絶叫が轟く中、俺はすっと手を上げて、高らかに宣言する。
「おかわりっ!」
「悪魔っ!」
「鬼っ!」
「冷血漢っ!」
ありとあらゆる罵声が飛び交う。
だが、これでいい。
勝負がかかった場面で、追い詰められた者は、普段では絶対行わない行動を『仕方ないから』という理由で実行することがある。
この場合なら、勝ちを譲りたくないグスターブが、俺に対抗するために心を鬼にしてウサギさんリンゴを食べることだってあり得るのだ。
そうなれば、俺に勝ち目はない。
俺が勝つためには、徹底的に精神を追い詰めてやるしかない。
もともと心にある『こんなかわいいものを食べるなんてかわいそう』という思いに、会場全体から醸し出される『ウサギさんを食べるなんて酷い』という思いが合わさり、今、この場所でウサギさんリンゴを食べることは極刑に値する罪であると錯覚させるのだ。
知っているだろうか。
人間は、周りの声に流されやすいということを。
明らかに間違いであるにもかかわらず、その場にいる者の九割が『間違っていない』と主張すれば、本人は間違っていると確信していても『間違っていない』という主張をしてしまうのだ。
もしかしたら、間違っているのは自分かもしれないと、錯覚して。
その逆なら尚のこと、多少の罪悪感を抱いていた事柄に対し、その場にいる九割以上の者が『やっちゃダメだ』と主張した時、そいつはきっとその行動を起こせなくなる。
グスターブもハビエルも、もう、ウサギさんリンゴを食べることは出来ない。
特に、その場所に『絶対に嫌われたくない人物』がいるなら、尚更な。
マーシャとイメルダが、今回のキーパーソンとも言えるわけだ。
「あー美味しー! 可愛いウサギさん、ちょーーーうめーーーー!」
「悪魔ぁー!」
「血も涙もないのかぁー!」
「誰か、あいつを止めろー!」
「精霊神様! あの者に天罰を!」
「もうこれ以上ウサギさんをいじめないであげてぇえー!」
ま、俺は気にせず食うけどね。
「おかわり!」
「「「「「いやぁぁあああああああああああああああああああっ!?」」」」」
結局、怒号飛び交う四十五分間で、ウサギさんリンゴを食べたのは俺だけだった。
結果は、俺が八皿で、グスターブとハビエルがゼロ皿。
これで、四十区の敗退が確定した。
それにしても……
「ぐすっ……ウサギ……ウサギさんが……っ!」
「酷い……どうして、こんな…………」
「悪魔め…………悪魔め…………っ!」
……ものすげぇな、この街の連中は。
ちょっと過剰反応過ぎやしねぇか?
ウサギさんリンゴが食べられなくて号泣してたジネットは、別に大袈裟でもなんでもなかったんだな。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!