「なるほど……ゾルタルが、そんなことを……」
「お前も、領主として発言している際は、言葉にはもうちょっと配慮しろよ。特に、悪用する気満々のヤツと会話する時はな」
「今、ボクの目の前にいる人物がその筆頭かな?」
「バカ。俺がお前を悪用なんかするかよ」
「……ウチのエンブレム、今日使ったよね?」
「………………大事の前の小事という言葉があってだな……」
マズいマズい。
エステラに無断でエンブレムを利用したことは伏せておくべきだった。
迂闊なのは俺もじゃねぇか。
「まぁ、今回だけは大目に見るよ。ボクの尻拭いをさせてしまったようだしね」
「えっ、俺はいつの間にそんな卑猥なことを!?」
「卑猥な意味合いは含んでないよ!」
こめかみを押さえて、エステラが話の先を促してくる。
「で、ボクにどうしろって言いたいのさ?」
「スラムには川がある。川を押さえられると川漁ギルドや農業ギルド……ほとんどのギルドが苦境に立たされることになる。だから、あの地域を領主の権力下に置いてほしい」
「とりあえず、という処置なら可能だけれど、恒久的にとなると難しいかもしれないな」
「その点は大丈夫だ。そこから先は、あそこに住む住民を改革することによって手出しできなくさせる」
「改革?」
グッと身を乗り出してきたエステラ。
ふわっふわのスカートだが、その中で膝がこちらに向いていることがはっきりと分かる。
膝がこちらに向いている時は、対面に座る人物が自分の話に興味を持っている時だ。
ここで俺は、今回メインとなる話を持ちかける。
「ポップコーンの移動販売を許可してほしい」
「移動販売?」
「出来上がった商品を荷車に載せて、大通り辺りで売り歩くんだ」
「へぇ、移動する露天商か……面白そうだね」
「だろ? で、それを、スラムに住む子供たちに任せたい」
「その狙いは?」
「スラムに住む子供たちは仕事に就けていない。だから信用も低い。仕事に就いて住民たちからの信用を得られれば、無理やりな乗っ取り行為は出来なくなるだろう。そうなれば、川の上流はあの地区が守ってくれるようになる」
「なるほど…………」
背もたれに深く身を沈め、エステラは静かに考えを巡らせている。
と、その隙に、さっきから一言もしゃべっていないロレッタに視線を向けると……
「はぁ…………綺麗…………」
エステラに見惚れていて、これまでの話を一切聞いていないようだ。
……おい。お前たち家族の話をしてんだぞ。
「ナタリア、羊皮紙とペンを」
「かしこまりました」
エステラの声に、ナタリアは素早く部屋を出て行く。
「いいよ、ヤシロ。四十二区内においてのみ、移動販売の許可を出そう。ただし、区外に出たり、トラブルを起こしたりすると許可は取り下げるからね」
「おう、助かる」
「あと……」
腰を浮かせ、エステラが顔を近付けてくる。
なので、そっとまぶたを閉じてアゴを軽く上げ、エステラを受け入れる態勢を整える。
「なっ!? ち、違うよ、バカっ! 耳!」
「あぁ、そっちか」
「そっちしかないでしょう!? ……その、人の目もあるのに…………」
エステラの視線がロレッタに向かう。
で、視線がぶつかったことでロレッタは「きゅ~……です」と気絶してしまった。
……連れてくるんじゃなかった。マジで。
「面白い娘だね」
「陽だまり亭の新人だ」
「へぇ、じゃあまた会うこともあるだろうね」
ロレッタの心臓がその負荷に耐えられるか……不安だ。…………割とどうでもいいけど。
「で、なんだって?」
「あぁ、そうそう」
改めて、エステラが顔を近付けてくる。
「移動販売は許可するけれど、ヤツらが必ず妨害してくるはずだから、気を付けてね」
「ヤツら……行商ギルドか?」
エステラは無言で頷く。
俺たちが新しい場所で商売を始めれば、行商ギルドの連中にとっては面白くないはずだ。
ハムっ子たちだけに任せるのは危険か。最初は俺も付き添うとしよう。
「もう少し仕事が片付いたら、ボクも手伝いに行くよ」
「あぁ、期待しといてやるよ」
顔を寄せ合ったまま、囁くような声で言葉を交わす。
……もう風呂入ったのかな? すげぇ甘い香りがする。
あ、メイクの匂いかも。
「でも、よかったのか?」
「え? 何がだい?」
突然の俺の問いかけに、エステラはきょとんと目を丸くさせる。
「俺に正体なんかバラして」
「バラすも何も、もうバレてたんだろ?」
「自らバラすのと、詮索されてバレるのとじゃワケが違うだろうが。お前が領主の権限を持っていると自ら打ち明けたからには、俺はこれまで以上にお前を利用するぞ?」
至って真面目にそう言ってやると、エステラはクスッと笑いを零し、柔らかな表情を向けてきた。
「遅かれ早かれ、君がここを訪れることは予想してたからね。それに、別に隠してるってほどのことでもないから」
「俺には名字を隠したじゃねぇか」
「それはだって、出会った当初、君は油断のならない男だったからね」
「今は?」
「えっ!? ……ま、まぁ、今もその……油断のならない男だとは……思ってるけど……………………当初とは違う意味で……」
エステラが顔を赤らめごにょごにょと口ごもる。
その格好でそういう表情をするんじゃねぇよ。変に意識するだろうが。
「何はともあれ、あんま無茶するなよ」
「うん……ありがと」
「何かあったら、言えな。格安で助けてやるから」
「なんだよ、それ…………」
くすくすと笑うエステラの声は、本当に懐かしく思えた。
そういや、ずっと会ってなかったんだよな。
「お嬢様」
「「――っ!?」」
突然降ってきた冷たい声に、俺とエステラは弾け飛ぶように距離を取る。
別に何もやましいことはしていないのに、心臓が物凄い速度で脈打っている。
「羊皮紙とペンをお持ちしました」
「う、ううううう、うん、あ、あああああ、ありありあり、ありがとう! そこ、置いといて」
「かしこまりまし……たっ!」
「どぅっ!?」
トレーに載った羊皮紙とペンをテーブルに置くと同時に、ナタリアはカッチカチの黒パンを俺のみぞおち目掛けて放り投げてきた。
……お前、日本男児に生まれていたら、甲子園のヒーローになれたぜ…………呼吸が一秒止まって、真剣に泣きそうだ……
その後は、凄まじく鋭い視線に監視され、俺とエステラは事務的な会話しかせず、粛々と手続きを終え、気絶しているロレッタを叩き起こして領主の館を後にした。
とりあえず、スラムの応急処置と、移動販売の許可は取り付けた。
大成功だと言える。
なのに……なぜこうなるのだろう。
俺は、逃げるようにして館を去ったのだった。
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