「じゃ、豆板醤はこんな感じでよろしく」
「ぬぉ!? なんだか我が騎士が早く帰りたそうなオーラを発し始めたのじゃ!? 照れておるのか? まぁ、分からんでもないのじゃ」
「まぁまぁ、そう急がずに。皆様、どうかごゆっくりしていってくださいませ。なんなら、お布団のご用意もさせていただきますので、泊まっていかれてはいかがですか?」
オイこらバーサ。
他所の領主を長く引き留めるのは迷惑とかなんとか、その口がほざいてなかったか、さっき?
あと、お布団なんだ。ベッドじゃなくて。
「よし、アッスントを残していこう」
「申し訳ありませんが、私は既婚者ですので」
拒否されてしまった。俺たちの中で誰よりも生け贄っぽい顔してるくせに! 悪魔の生け贄にしたい系男子のくせにっ!
「リベカ様」
「なんじゃ、バーサ」
「明日……お寝坊さんしちゃうかもしれません…………ちらっ」
「よし、帰るぞお前ら! 領主を待たせちゃ悪いからな! 二時間くらい早いが、早めに行って門の前で待っていよう! それが礼儀というものだよな、うん!」
全身鳥肌だ。
いったい、俺の何がバーサに気に入られてしまったのだろうか?
……図らずも心霊スポットに迷い込んでしまって取り憑かれるヤツって、こんな気持ちなのかなぁ……寒気、止まらないし。
いっそ思い切って、「俺、エステラとデキちゃってます!」とか宣言すれば、この悪夢から逃げられるのだろうか。
……いや、そうしたらしたで、後々まで面倒くさい事案に付き纏われそうだ。軽率な発言は命取りだな、うん。
そんなわけで、俺たちは工場をお暇することにした。
「もっとゆっくりしておればいいのに……のぅ、バーサもそう思うじゃろ?」
「個人的には同意いたします。が、皆様はお忙しい身。無理に引き留めることは出来ません」
「なんじゃ~、つまらんのじゃ」
ぷっくりとむくれたリベカが俺の服の裾を引っ張って体を揺する。やめろ、伸びる。
「絶対また遊びに来るのじゃぞ! エステラちゃんも!」
「えぇ、是非また」
エステラが人のよさそうな顔で安請け合いをしている。
こんな遠い区にはそうそう来てられないだろうに。
「アッスントも、また競争するのじゃ」
「は、はい……はは、是非、また」
盛大に引き攣ってはいるが、失言をチャラにして、前よりも少し気に入ってもらえたようだし、アッスントにとっては万々歳な結果だろう……ぷぷっ。また汗だくで走り回るといい。
「それから、給仕長のナタリア」
リベカがナタリアを呼び、そして、急にもじもじし始める。
「今度、どうすればそなたのような大人っぽいいい女になれるのか、レクチャーを頼むのじゃ」
なんだとー!?
ナタリアみたいになりたいだとー!?
これは全力で阻止するべき事案か!?
いたいけな(非常に小生意気ではあるが)少女が、残念ロードに踏み込もうとしているのだ。やはりここは全力で止めてやるべきだろう、大人として!
「リベカ様」
俺が制止するよりも早く、ナタリアが淡々とした口調で語り始めてしまった。
「大人の女性は、女性的な魅力に溢れているものです。ですので、誰も見ていない時であっても、常に身を引き締め、己を律し、客観的に見つめることが重要です」
おぉ、なんだかまともなことを言っている。
自分を律するって部分で言えば、給仕長たるナタリアは他のヤツよりもしっかりしているかもしれない。
そういうアドバイスなら、わざわざ止める必要もないか。
「ですので、寝る時は全裸をお勧めします」
「何言ってんの、お前!?」
「とりあえず、自分を律して発言に気を付けてよね、ナタリア!」
俺とエステラのダブルツッコミにも動じず、涼しい顔をして先天性残念病のナタリアがこともなげに言う。
「全裸で過ごせば、己のボディラインを常に観察することが可能です。見られることで身も心も引き締まるのです」
なんか、いかにももっともっぽいことを語り始めたぞ、この残念娘!?
「本来なら、家にいる間はすべて全裸がいいのですが……素人には厳しいでしょう。風邪を引くかもしれません。ですので、寝る時だけと譲歩したのです」
「……なんで誇らしげなの、君は?」
「素人ってことは……お前は全裸のプロなのかよ?」
まぁ、さすがに、こんなアホ丸出しなアドバイスは聞き入れられないだろう。
聞くんじゃなかったと、せいぜいガッカリされるがいい。
「ちゃんとメモを取るのじゃ、バーサ!」
「抜かりありません! 本日より実行いたしましょう!」
「おい、やめろババア!」
なんか、近所迷惑になりそうな気がする! たとえ壁に囲まれていたとしても!
「覗いちゃ……ダ・メ・よ」
「アッスント。ロングソードとか取り扱ってないのか、お前?」
「ダメですよ。バーサさんがいなくなると、味噌と醤油が市場から消えますよ?」
くっ!
そういや、こいつが工場の実権を握ってんだったな。
……妖怪を野放しにしておきたくはないのに……っ!
「それじゃあ、ボクたちはそろそろ」
エステラがぺこりと頭を下げ、ナタリアは恭しく礼をする。
アッスントが商人らしく頭を下げて、俺は片手を上げて挨拶としておく。
「なかなか楽しい時間だったのじゃ! そなたらはわしの友達なのじゃ! 何かあったらいつでも頼ってくるといいのじゃ!」
「豆腐を作ってくれ」
「それは無理じゃ!」
満面の笑みで拒否られた。
……大豆の生産量が増やせれば…………麻婆豆腐……俺は諦めないぞ……!
来た時と同じように、俺たちは徒歩で宿へと向かう。
随分と長居をしてしまったようで、空はすっかり明るくなり、街に人々が溢れていた。
そろそろ昼時だ。
俺たちは宿に、アッスントは行商ギルドへと戻る。
アッスントとはここでお別れだ。
麹工場でのあれこれを行商ギルドへと報告しに行くらしい。
その前に、宿の前に馬車を持ってきてくれることになっている。
荷物をまとめ、チェックアウトをし終えた頃、いいタイミングで馬車がやって来た。
そいつに乗り込むと、ゆったりとした速度で馬が歩き始める。
向かうは二十四区領主の館。
ようやく領主に会える。
随分と回り道をした気分だ。
『BU』からのふざけた要求を却下するための根回しをしに行く。
可能ならば仲間に引き込んで、内部からの崩壊を誘ってやる。
「そう、うまくいけばいいけれど……一筋縄ではいかない相手だと思うよ」
馬車の中で話したところ、エステラはそのように語っていた。
頑固ジジイと呼ばれる領主。
『気難しい麹職人』のような意外な正体ってのはないだろう。俺も一度会っている。まぁ、見かけただけで会話はしていないが。
正真正銘、ただの頑固ジジイだ。
どんなヤツなのかは、話してみなければ分からんが……今は、出来ることをやっておこう。
領主の館にたどり着くまでのこの時間を使って。
「ハゲ、ハゲ、ハゲ、ハゲ、ハゲ、ハゲ、ハゲ!」
「……君は、それをやらないと気が済まないのかい?」
初対面で、あまりのハゲ上がり具合にビックリして言葉が漏れてしまわないように今のうちに言い尽くしておく。
「……癖になって、ぽろっと出ちゃわないことを願っているよ」
おぉ、そういう危険もあるのかぁ……なんてことを学びつつ、俺は馬車に揺られていた。
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