「んじゃ、そろそろ行くわ」
「ヤシロさん」
陽だまり亭を出ようとするヤシロさんを呼び止め、ドアのところまでお見送りに向かいます。
「お気を付けて」
「おう。あ、飯はリカルドあたりに奢らせるから、食ってていいぞ」
「お隣の領主様と、もう仲良くなられたんですか? すごいです」
ヤシロさんの周りには、ヤシロさんを慕う人たちが自然と集まってきます。
ヤシロさんが多くの方に心を砕き、寄り添うように接してこられた結果でしょうね。
今日陽だまり亭に集まっているハムっ子さんたちも、みんなヤシロさんのことが大好きですからね。
「じゃ、行ってくる」
「はい。お気を付けて」
片手を上げて、ヤシロさんが出て行き、ドアが閉まりました。
今日のお帰りは、遅いのでしょうか……
なんだか、ほんの少しだけ店内が静かになったような気がします。
おかしいですね。
ヤシロさんはいつもそんなに騒がしい方ではないのに。
「店長さん?」
「……へ?」
ドアの前に立つわたしの顔を、ロレッタさんが覗き込んでいました。
「どうかしたです?」
「え? い、いえ。なんでもありませんよ」
本当、何をしてるのでしょうね、わたし。
閉まったドアを見つめて。
「では、みなさん。カレーパーティーを始めましょうか」
「「「ぅはははーい!」」」
「期待が膨らむ、未知との遭遇やー!」
昨夜、ロレッタさんから今日の試食会のお話を聞いたという弟さんたちは、朝からずっとそわそわされていたらしいです。
今回は選抜の数名ですが、材料が揃えば、ちゃんとみなさんにご馳走したいですね。
教会の子供たちにも。もちろん、シスターにも。
「ではみなさん、年齢順に分かれてくださいね」
今日は、ヤシロさんの考案で辛さの違うカレーを数種類用意してあります。
刺激の強い香辛料を抜いた『お子様カレー』。
刺激の強い香辛料が少なめで、かつリンゴとハチミツがたっぷりの『甘口カレー』。
基本的なガラムマサラを使用し、リンゴとハチミツでマイルドに仕上げた『中辛カレー』。
ガラムマサラの本領が発揮される『辛口カレー』。
基本のガラムマサラに刺激的な香辛料を追加した『激辛カレー』。
試食中にウーマロさんかベッコさんが来たら出すようにと仰せつかっている試作第一号の配合である『原初のカレー』……これは、さすがにお出しできませんけれども。
ヤシロさんの見立てでは、八歳未満の子たちには『お子様カレー』で、八歳から十歳は『甘口カレー』、十歳から十三歳くらいまでが『中辛カレー』で、十四歳以上は『辛口カレー』。『激辛カレー』は好みによる、とのことでした。
さすがです。わたしも、それくらいがいいのではないかと思っていました。
……とか言うと、ちょっと偉そうですね、わたし。うふふ。
「……店長の元気が戻った」
「お兄ちゃんのこと考えてたですかね?」
「へぅ!? え……あの、わたし、元気ですよ?」
「……なら、いい」
「はいです。店長さんが元気ならそれでOKです!」
なんでしょう?
わたし、そんなに元気がないように見えたのでしょうか?
そんなことはないと思うんですが。
だって、あんなに苦労してみなさんと一緒に作ったカレーがついに完成して、それもこんなにたくさんのバリエーションが生まれて、それの試食会ですもの。
とても楽しいです。
みなさんがどんな反応をされるのか、早く見てみたいです。
ヤシロさんも、見てみたかったんじゃないでしょうか?
いっぱい食べよう大会が近いため、お忙しいのは重々承知していますけれど……もう少し、ゆっくりとする時間があればいいんですけれどね。……ちょっと、心配です。
「てーんちょーさーん!」
「は、はい?」
ロレッタさんがまたわたしの顔を覗き込んでいました。
「すみません。ボーッとしてしまって。呼んでましたか?」
「七回呼んだですよ?」
「す、すみませんっ、気付いていませんでした」
なんでしょう。わたしも、知らず知らずのうちに疲れているのでしょうか?
今日は、少し早めに休ませてもらいましょうか?
「……店長。ハムっ子たちの整列が終わった」
「はい。では、小さいみなさんは『お子様カレー』にしましょうね」
「「「「いや、ここは『原初のカレー』でー!」」」」
「危険ですよ!?」
ロレッタさんから、それがいかに恐ろしい辛さであったかを聞いていたという弟さんたちが果敢にチャレンジをしようとされていますが……ヤシロさんから「ガキどもの心をがっちりと掴むように」と厳令を受けています。
弟さんたちにアレを食べさせれば、きっとカレーが嫌いになってしまいます。
「みなさん。ヤシロさんが『お子様カレー』は小さいうちしか食べられない特別なカレーだとおっしゃっていましたよ」
「「「「特別!?」」」」
「あ~……確かに、お子様カレーは、美味しいは美味しいですけど、さすがにちょっと甘過ぎてあたしはムリかもです……」
そうなんです。
ロレッタさんがおっしゃるように、『お子様カレー』はわたしたち大人には少し甘過ぎるのであまり合いません。
ヤシロさんの言葉のとおり、小さいうちしか食べられない特別なカレーだと言えます。
「あたしはやっぱり、中辛が一番です!」
「……マグダは甘口~辛口の中のどれか」
「甘口ですよね!? なんでちょっと大人ぶろうとするです!? 甘口は甘口で美味しいですから自信持っていいですよ!?」
「……おだまりメスブタ」
「辛口違いですし、それ辛口じゃなくてただの暴言ですよ!?」
マグダさんとロレッタさんのやり取りに、思わず笑ってしまいました。
本当に、ヤシロさんが来てからというもの、楽しい毎日が続いて毎日笑いっぱなしです。
こんな日がいつまでも続きますように。――と、毎日お祈りをしています。
楽しいことだらけで、幸せで、寂しさを感じるような暇もなく……
「…………」
……ヤシロさんは、今頃どの辺りにいらっしゃるのでしょうか?
もう馬車に乗り込まれたでしょうか。
もしかしたら、もう四十一区に着いているかもしれませんね。
お夕飯、何を食べられるんでしょうか?
今はフードコートにたくさんの飲食店があるので、いろいろな料理が食べられるそうですし、きっと何か美味しいものをいただいてこられるのでしょうね。
あ、でも、美味しそうなものがあり過ぎて食べ過ぎたりしないでしょうか?
それとも、夕飯の前に美味しそうな串焼きなんかを摘まんで、お腹がいっぱいになったりして……うふふ。ダメですよ、ヤシロさん。夕飯前に食べ過ぎては。
『いや、俺のせいじゃない。こんなところでいい匂いをさせているあの串焼き屋が悪いんだ』
……ふふ。そんな子供みたいな言い訳は通用しませんよ。もう。めっ、ですよ。 うふふ。ふふふ……
「……せーの」
「「「「てーんちょーさーん!」」」」
「は、はいっ!」
いけません。
またぼーっとしてしまっていたようです。
気が付くと、みなさんがご飯を盛ったお皿を持って、カウンターの前に並んでいました。
カウンターには、各種辛さの異なるカレーを入れた鍋が並んでいます。
「では、よそいますね」
「「「原初のカレー!」」」
「限界に挑戦やー!」
「ダメですよ! あんたたちは『お子様』を食べるです! どうしても食べたかったら、あたしの『中辛』を一口あげるですから、それを超えてからチャレンジするです!」
『原初のカレー』に群がる年少組の弟さんたちを抱え上げ、『お子様カレー』の列へ並ばせるロレッタさん。
さすが、長女さんですね。みんながきちんと言うことを聞いています。
「……店長、手伝う」
「あたしもやるです!」
マグダさんとロレッタさんもカウンターに集まってくださり、三人でみなさんのお皿にカレーをよそっていきます。
カレーを持ったハムっ子さんたちがテーブルに着き、いよいよ試食会の開始です。
「では、みなさん。いただきます」
「「「「いただきまーす!」」」」
元気よくご挨拶をして、一斉にカレーを口へ運ぶハムっ子さんたち。
「「「「うまー!」」」」
「食の、文明開化やー!」
その反応はとてもよく、みなさんきらきらと輝くような笑顔を浮かべていました。
あぁ……
ヤシロさんにも、見せてあげたかったです。この光景を。
「ヤシロさん……」
ちゃんと、今日のことをお伝えしますね。
みなさんがどれだけ美味しそうに食べていたか。
何杯おかわりされたか。
美味しい、美味しいって、みなさんが言っていたということも。
みんな、つぶさにお伝えします。
だから――
「早く帰ってきてくださいね」
ふと、視線が入り口へと向かいます。
どんなに見つめようと、ドアが開いてヤシロさんが入ってくるなんてことはありません。……今はまだ。
分かっているのに、気を抜くとわたしの視線はドアへ向いているのです。
……今日は、なんだか長い一日になりそうです。
「からぁ~!」
「これはくえたものじゃない~!」
「文明開化の、大逆襲や~……!」
どうやら、弟さんたちがロレッタさんの『中辛』を一口食べて、その辛さに悶絶しているようです。
うふふ。『中辛』であの様子では、『原初のカレー』はまだまだ食べられませんね。
そうです。
この可愛い出来事もきちんとお伝えしましょう。
うふふ。ヤシロさん、きっと呆れたような顔で笑うでしょうね。
「だから言わんこっちゃない……」って。ふふふ。
――ガチャ。
その時、ドアが開く音がして、わたしは思わずドアを見ました。
……けれど。
「こんにちわッスー! ……あ、あれ? 店長さん、ど、どうした、ッスか?」
入ってきたのはウーマロさんでした。
……そう、ですよね。
ヤシロさん、遅くなるって、おっしゃってましたもんね。
「え、あの……え、オイラ、これ、あの、ど、どーすれば?」
「……平気。ウーマロは気にせず席に着いて」
「分かったッス。ありがとうッス、マグダたん」
ちょっとびっくりしてしまって、接客が遅れてしまいました。
マグダさんに助けられてしまいましたね。
もっとしっかりしなければ。むん!
「ウーマロさん。いらっしゃいませ。すみません、驚かせてしまって」
「い、いいい、いや、へ、へへ、平気ッスよ。全然、えぇ、全然!」
くすっ。
いつものウーマロさんです。
なんだか、ちょっとほっとします。
「ウーマロさん! 今日はカレーパーティーです!」
「カレー、ッスか? むはぁ~、いい匂いッスねぇ~」
「……陽だまり亭の新商品。試食、する?」
「是非いただくッスー!」
「……店長」
「店長さん!」
「「原初のカレー一丁」です!」
「……普通に食べられるカレーにしてあげてください」
ウーマロさんが悶絶する様子は、お伝えするのが心苦しいですから。
でもその代わり――
『ウーマロさんには『辛口』を召し上がっていただきました。美味しいとおっしゃってましたよ』とお伝えするので、不服そうな顔で『なんだよ~。ちゃんと原初のカレーを食わせなきゃだめじゃないか』って叱ってくださいね。
ちゃんとお伝えしますから。
ふふ。
夜になるのが楽しみですね。
その日、ヤシロさんが戻られたのは想像より早く、わたしはなんだか得をした気分になったのでした。
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