「ジネット。ちょっと来い」
俺は、しゃがみ込むジネットを立たせ、カウンターの奥へと連れて行く。
厨房の中に入り、ウーマロたちに聞かれないよう気を付けて、ジネットに釘を刺しておく。
……が、そのまま反対しても、こいつは「でも、みなさん大変でしょうし……」とかなんとか言って善人パワーを炸裂させてしまうのが目に見えている。
だから、ここは変化球で攻める。
「朝食の配達は無しだ」
「どうしてですか? みなさん、お仕事前で大変でしょうし」
ほら見ろ。
「わたしは、みなさんのためになればと思って……」
「ヤツらのためを思うなら、尚のこと配達はやめておけ」
「どういう、ことでしょう?」
ジネットが目をまんまるく開く。
配達しないことがヤツらのためになるということが理解できないようで、俺に説明を求めているのだ。
「見てみろ、あいつらの顔を……」
厨房から客席を覗くようにこっそりと連中の顔を窺う。
ウーマロはマグダと何かを話している。
表情が緩みっぱなしだ。姪っ子が可愛くて仕方ない親戚のオッサンのようだ。……日本なら通報されているかもしれないレベルでデレデレしている。
……これ以上病が悪化するようなら、マグダへの接近禁止令も視野に入れなければいけないな。
とはいえ、とても楽しそうだ。
他の二人も、温かい朝食を頬張り、笑顔を覗かせている。
「……楽しそうですね」
その光景を見て、ジネットは幸せそうな笑みを浮かべる。
幸福を噛みしめるように、その光景をジッと見つめている。
「楽しいのさ、実際」
ジネットの背後に立ち、その頭越しに客席を覗く。
まだ日も昇らない時間にもかかわらず、食堂の中は賑やかで幸せそうな、温かい空間になっていた。
「それを奪うようなマネはしちゃいけない」
「奪っ……きゃあっ!」
俺の言葉に驚いて、勢いよく振り返ったジネット。
だが、すぐ後ろに俺が立っていたことにもっとビックリしたようで、可愛らしい悲鳴を上げる。
俺も少し前屈み気味の体勢だったもんで、顔と顔が急接近してしまったのだ。
「す、すす、すみません。まさか、そんな近くにいらっしゃるとは思いませんで……」
「い、いや、こっちこそ、……すまん」
今、危うくチューしちゃうところだった。
……もうちょっと屈んでおけば……っ!
「えっと……あの……なんでしたっけ……あ、そうです! わたしがやろうとしていることは、ウーマロさんたちにとってマイナスになることなのでしょうか?」
「そうだな。確かに、弁当を届けてもらえれば楽になるだろう。朝もゆっくり眠ることが出来る。だが……」
ジネットの鼻先に指を突きつける。
少し寄り目になって、ジネットは俺の指先を見つめる。
……なんだ、その顔。ちょっと面白可愛いな。
そう。
この顔が見られないってのは、不利益と言ってもいいだろう。
「お前たちに会えなくなる」
「…………え?」
「弁当の受け渡しで一瞬会えるかもしれんが……お前たちを見ながら飯を食うことは出来なくなるだろう?」
「それは……そんなに大したことなのでしょうか?」
「大したことだよ」
まったく、こいつは何も分かっていないんだな。
「眠けりゃ寝てればいいんだ。飯なんか食わなくたって大した損失ではない。弁当だけなら、誰か一人が代表して取りに来れば済む話だ。けど、あいつらは毎日三人揃って、誰一人欠けることなくここに通っている。……なぜだと思う?」
「……わたしたちが、いるから…………だと言うんですか?」
「その通りだ」
信じられない、というより、納得できないというような表情で、ジネットは小首を傾げている。
こいつはどこまでも自分を過小評価する女だな。
分かりやすいたとえでも言ってやるか。
「もし俺が『ジネットは毎朝早起きをして疲れているだろう。教会への寄付は俺が引き受けるから、お前はゆっくり寝てろ』と言ったら、お前はゆっくり眠れて幸せだと思うか?」
「思いません! わたしは、シスターやみんなと一緒に楽しく食事するのが…………あ」
「ま、そういうことだ」
自分に置き換えて考えることで、相手のことが分かることはままあることだ。
完全に同じ状況ではなくとも、少しでも感情がリンクすれば見えてくるものもある。
「ウーマロなんか、『来るな』って言っても絶対マグダに会いに来るぞ。グーズーヤやヤンボルドも同じだ。お前に会いに来るさ」
寝るなんてのは、個人的な、とても小さな満足感しか得られない。得続ければそのわずかな満足感すら得られなくなる、その程度のものだ。
なにせ『睡眠』とは、人間が何かに夢中になった際真っ先に削られるものだからな。所詮その程度のものなのだ。
世の中にはもっと重要なことがいくらでもある。
それが、『毎朝巨乳美少女に会いに行く』なんて内容だったとしてもだ。
まぁ、そんなわけだから、あいつらのためにも配達なんて七面倒くさいことは考えるんじゃない。ある意味で人助けだぞ、これは?
「で、でも……」
この話はこれで解決……と思ったのだが、ジネットはまだ納得がいっていない様子だ。
「マグダさんに会いたい気持ちは分かります。わたしも、マグダさんに会うと元気になりますし、あの衣装もとっても似合っていて可愛いですから……ですが、わたしなんかに会ったところで……」
こいつ、マジか!?
どんだけ自分を低く見積もってるんだよ?
道行く人全員に忌避の目で見られているとでも思い込んでるんじゃないのか?
いいか、人間ってのは、普通に生きているだけではそこまで嫌われることはない。
大抵がそいつの被害妄想か過度なマイナス思考だ。
もし、「自分なんかに話しかけられたら相手が嫌な思いをする」なんて思い込んでいる人がいたら、是非『毎朝挨拶をする』を徹底してもらいたい。無視されても嫌な顔をされたとしても挫けず、毎朝、「おはよう」とだけ言い続けるのだ。
すると、いつしか相手が自分を見る目が変わっていることに気が付くだろう。
いつの間にか、相手は自分に対する悪しき感情を失っているのだ。
なぜ、いつまでたっても霊感商法や怪しい宗教の勧誘に引っかかる人間がいなくならないのか――それは、『人間は、自分に関わろうとする者を少なからず好意的に見てしまう習性』を持っているからだ。あからさまに胡散臭くて最初は避けていた人間に対してでも、何度も顔を合わせ挨拶を交わすうちに「ちょっとくらいなら話を聞いてやってもいいかな」なんて感情が生まれるのだ。……まぁ、そこに付け込まれるわけだが。
マイナススタートの胡散臭い人間でさえそうなのだ。
ジネットのように人畜無害な美少女で、おまけに巨乳だったりすりゃあ、これはもう嫌われる要素がないと言っても過言ではない。
もっとも、そういう「自分なんか」思考の人間に「そんなことない」といくら言っても信じてはもらえないのだがな。
こういうタイプのヤツに効果的なのは、「俺は」論だ。
「お前がどう思おうが、俺はこう思う」「俺ならこうする」という、相手が否定できない論調で話してやれば「そういうものなのか」と、とりあえずは理解させることが出来る。
だから、こういう場合はこう言ってやるのが効果的だ。
「俺なら、睡眠時間を削ってでもお前に会いに来るけどな」
「え……っ」
「一緒に飯を食いたいって、思うだろうからな」
これに対して「ヤシロさんはそんなこと思うはずありません!」とは、言えないのだ。
無理やりにでも肯定させてしまえば、頑なな『私なんてちゃん』は意外とあっさり陥落してくれる。
「……ヤシロさんは、その……わたしに会うと、……楽しい気分になりますか?」
「もちろんだ」
不安げな質問には即答が効く。
お前の悩んでいることなど、大した問題ではないのだと分からせる効果があるからだ。
さらに付け加えるのであれば……
「朝が苦手なこの俺が、毎朝頑張って早起きしてるのは、お前に会いたいからだ」
「……っ!?」
「――と、言っても過言ではない」
これくらいオーバーに言ってやるのもいい。
真に受ければ自分に自信を持つことが出来るだろうし、冗談だと取られても「大袈裟だよ」と笑って済ますことが出来る。
「で、では……あの…………っ!」
だから……
「ヤシロさん。これからは、どんなに眠たくても、頑張って起きてきてください! そして、わたしと一緒に、お店に出てくださいっ!」
ジネットがこんなに必死になって……
「わ、わたしも……っ、ヤシロさんと一緒にいると、とても楽しい気持ちになりますのでっ!」
そんなことを言うとは思わなかった。
「あ……あぅ…………あの……で、ではっ!」
まして、真っ赤な顔をして、言い終わるや否や逃げるように厨房を出て行くなんて想像だにしなかった。
そして――
そんなことを言われて、俺自身がこんなに気恥ずかしい思いをするだなんて、思いもしなかった。
「ま、まぁ……これで弁当の配達は中止になったし…………結果オーライじゃね?」
そんな、ワザとらしい独り言を言い訳みたいに呟くことになるだなんて、予想できるはずもなかった。
……くそ。
純粋過ぎんだろ。
すり減って薄汚れた心には、ちょっと沁みるぜ。
気を付けよう。
散々人を騙して、金のためにいろんなヤツを傷付けて、苦しめてきた救いようもねぇ詐欺師が……
今さら、穏やかな幸せになんか……浸れるわけ、ないんだから。
俺とジネットでは、目に映る世界があまりにも違い過ぎるのだ。
ただまぁ……
「クッソ可愛かったな……チキショウ…………どさくさでチューしてやればよかった……チキショウ……」
これくらいのモヤモヤは、楽しんだっていいだろう。
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