「教養と知識は身を助けるんだよ、バルバラ」
テレサの診察の間、ガキどもの遊び相手をしていたエステラがふらっと俺たちのもとへとやって来る。
「きょーよーなんかなくても、アーシはこの腕一本で自分とテレサの身を守ってみせる!」
「うん、違う。そういうことじゃないんだよバルバラ……」
身を助けるの意味を完全にはき違えているバルバラは、まだ知識の尊さを論じる土俵にすら上がっていない状態だ。
必要なものを必要だと感じる知識がまず必要なんだな、こいつには。
というかだ。
勤めに出るようになったってのに、バルバラの言葉遣いが一切直らないのは、ヤップロックにも責任がある。
「頑張ってくれればそれでいい」的な寛容とは名ばかりの甘やかしをするからこーゆー仕上がりになってしまうのだ。これも甘やかし放置の一種だ。
「雇用主には、従業員の教育に関しても義務が発生すると、俺は思う」
「そうだね。今度ジネットちゃんに話しておくよ、そこんところ」
俺を教育しろとでも言うつもりなのか、エステラが口を挟んでくる。
ジネットが厳しいこと言うわけないだろう。目一杯怒っても「ぷんぷん」が関の山だぞ?
ロレッタたちの無理なダイエットに怒ったのが奇跡的確率のレアイベントだったくらいだ。
「困りましたねぇ……」
テレサを教育したいベルティーナが息を吐く。
教育ってのは、環境が重要なファクターになってくる。
家庭環境がこれじゃあなぁ……
「ヤップロックの家じゃ、子供に厳しい環境にはならないだろうしな」
「ヤップロック自身も、子供たちには甘々だからね」
息子のトットに娘のシェリル。ヤップロック夫妻は二人の子供を溺愛している。
一時期、金銭的な理由で苦労をかけたせいもあり、今では甘やかし放題だ。
救いなのは、トット自身が分別のつくしっかりした性格に育っているおかげで、甘やかされるまま堕落せず、自分を律してまっとうに成長していることだ。
そんなトットは、シェリルの面倒もよく見ているし、親が甘やかす分、兄として妹に躾をきちんと教えているらしい。……ダメ親、多過ぎないか、この街。
「さしものトットも、テレサには厳しく出来ないだろうしね」
出会ったばかりの従業員の妹。
しかも、目が見えないという境遇に、つい厳しさが姿を隠してしまう。
俺は分け隔てなく、もっと普通に接すればいいと思うんだが……トットにはまだ難しいだろうし、そこまで期待するのは酷か。
本来なら、ヤップロックがしゃしゃり出てもいい案件なんだけどなぁ。居候させている身なんだし。
まぁ、テレサが気になって仕方ないバルバラのために、こんな午前中に仕事を切り上げさせてしまうような雇い主には、期待するだけ無駄だろう。
いくら雨とはいえ、仕事なんかいくらでもあるはずなんだ。夜まできっちり酷使してやりゃあいいものを……あれは雇用関係じゃなくて扶養関係だな。
「ヤップロックじゃ話にならねぇし、こいつに言うことを聞かせられるヤツを呼んでくるか」
雨の降りしきる中、俺はもういっちょお使いをしてやることにした。
雨だから、きっと暇をしているだろう。呼べば来てくれるに違いない。
――というわけで、デリアを呼んできた。
「姐さぁ~ん! ごぶさたしてます!」
「おう、ベルバラ。昨日ぶりだな」
どこがご無沙汰だ。
あと、バルバラの名前まだ覚えてないのか、デリア。
「なんだろう、あの『ご無沙汰』の言い慣れてない感じ……」
「頑張って難しい言葉使ったつもりなんだろうよ、本人は」
やっぱ教育って大事だ。
好意を持つ相手にその好意を伝えるのにも、語彙力や教養というものは問われるわけで、勢いだけでは不十分なのだ。
「あねしゃ~! ごぶたた~!」
「おー、テレサ。あたいのこと分かんのか」
「うーん! ……あ。ぱーい!」
テレサもすっかりデリアに懐いている。姉の影響で。
つか、デリア。テレサの方は名前覚えてんだな。子供好きだよなぁ、お前。
で、テレサが「ぱーい!」って言った瞬間「ヤシロ……」みたいな顔でこっち見んじゃねぇよ、デリア。ベルティーナに「はい」って言いなさいと教えられた結果、なんでかそういう風に仕上がったんだよ。俺のせいじゃねぇよ。
「信頼度抜群やなぁ、自分。みんな自分の影響や思ぅとるで」
けけけと、魔女っぽく笑うレジーナ。
やかましい。お前に言われるのだけは心外だし、「ウチと同類やなぁ」みたいな仲間を見るような目も心外だっつの。
「ん? ……ぉおう、レジーナか!? なんか白いから分かんなかったぞ」
レジーナに白いイメージがなさ過ぎたのか、今頃デリアがその存在を認識した。普段とは真逆のカラーリングだからな。
「どないや? この清純な感じが、逆にエロいやろ?」
「ははっ、何言ってんのかよく分かんねぇけど、似合ってるぞ」
レジーナ、空振りである。
デリアにはそういうの通用しねぇよ。ツッコミはもちろん、同意も反論も寄越さないんだから。そもそも興味ないだろうしな、お前の服装に。
「んで、あたいにしてほしいことってなんなんだよ?」
「あぁ、実はやね。そこのサルっ娘はんに『言葉遣い直すために勉強しぃやぁ』いぅて説得したいんやけど、聞く耳持ってくれはらへんでなぁ」
「なんだよ、ボルボリ。言葉遣いはちゃんとしなきゃダメじゃねぇか」
「せやでぇ。言葉っちゅうんは、相手に伝わってこそ意味があるんやさかいな」
「あたいも、丁寧な言葉には気を遣ってるんだぜ。な、ヤシロ?」
「どうしよう、エステラ。『どの口が言ってんだ!?』ってあの二人にツッコミたい」
「君も、他人のことは言えない口だと思うけどね」
まぁ確かに、ここにいる連中は若干言葉遣いに難のある面々ではあるが……
「俺はいいけど、バルバラは言葉遣いを直せ!」
「ヤシロ。『どの口が言ってんだい?』」
バカヤロウ。
敬語なんてのは所詮敬いの気持ちを分かりやすく表すためのツールでしかないんだ。心の中で十分敬っておけば、言葉遣いが多少マズくてもその思いはそこそこ伝わるもんなんだよ。
「だが、バルバラ! お前は直せ!」
「ヤシロ。言えば言うほど……だよ」
確かに、胡散臭さが増していく。
くそぅ。
「それにな、ポリポリ。バカより賢い方がカッコいいだろう?」
「それは、そう……っすけど」
そこでバルバラは、「なら名前くらい覚えろや」とツッコミを入れるべきなんだろうけど、しないんだよなぁ。
「アーシ、勉強ってのが、どうにも苦手で……」
「計算とか出来ると役に立つぞ。その……頼りに、されたりな」
チラチラと、こちらに視線を寄越しては口元をゆるっと緩ませるデリア。
よほど嬉しかったんだな、かつて移動販売の時に頭脳を頼られたことが。
あれからデリアはインテリ路線に舵を切った……つもりらしい、自分の中では。
「計算なんて……考えただけで頭が…………」
目に見える物を数えられればそれでいい。と、そんな考えの者は少なくない。
バルバラもそのタイプなのだろう。
「たとえばだ。リンゴが五個あったとして、そのうちお前が三個食ったら、残りはいくつだ?」
「アーシは食い物を残したりしやせん!」
「うん。それは偉い心がけだな」
「ざっす!」
「……エステラ」
「……ごめん、ボクに振らないで」
うんうん、じゃねぇーんだわ、お前ら。
なんでデリアまで納得してんだよ。引き算しろよ。
「これはもう、あれだね」
お手上げとばかりに肩をすくめて、エステラはベルティーナへと提案する。
「先にテレサへ教育を施して、算数を覚えさせる方が近道かもしれないですね」
「テレサさんが頑張っているから、バルバラさんも頑張りましょうと、そういう働きかけをするのですか?」
「いや。……『妹とお揃いになりたくないかい?』と言えば、あの姉バカは釣れると思いますよ」
さすがエステラ。
俺もその方法をとるのがベストだと思う。
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