異世界詐欺師のなんちゃって経営術

分割版π(パイ)
宮地拓海
宮地拓海

【π限定SS】その返事は保留のままで

公開日時: 2020年10月21日(水) 20:01
文字数:3,087

「……なんだよ。俺も一緒にベッドに入って、人肌で温めてほしかったのか?」

「んぃっ!? そ、そんなわけないだろう! もう! 着替えるんだから、さっさと出て行って!」

 

 ジネットちゃんが渡してくれたタオルを投げつけ、ボクはヤシロを部屋から追い出す。

 

 ……はぁ。

 本当に、脱ぐのか……

 いや、脱がないと体が冷えて、風邪を引いてしまうし…………けど、ヤシロの部屋で……?

 

「えぇい、女は度胸!」

 

 濡れて張りつくシャツを無理やり体から引きはがす。

 寒さが増し、体が震える。

 

 下着まで汚れて……

 どちらにせよ、濡れているので着けているわけにはいかない。

 

「……大丈夫、だよね?」

 

 念のため、ドアを確認する。

 壁に覗き穴がないかも確認する。

 ……なさ、そう……だね。

 

「はぁ……」

 

 ヤシロは見ていない。

 そう思うのに、心臓が早鐘を打つ。

 

 そ、そもそも、他人の部屋で服を脱ぐなんて、これが初めてで……

 それがなんでヤシロの部屋なのさ。

 あんな、油断ならない、要注意人物の――

 

 

『俺のことを嫌いでもなんでも構わんが、お前に風邪を引かれるとジネットが気にするだろうが! お前がいいと言っても、俺とジネットが許さん! いいからお前は、湯が沸くまで俺の部屋で体を温めろ!』

 

 

 ボクを抱き上げた彼の腕は、見かけによらず力強くて……

 

「この辺りを、ぎゅっと……」

 

 二の腕と膝の裏に、大きな手の感触がいまだに残っている。

 その力強さを思い出すと、ぞわ……っと、背筋が震えた。

 寒いと思った瞬間、顔が急に熱くなってきた。

 

「……真面目に、心配してくれているんだもんね」

 

 彼自身は、到底信用に値しない要注意人物ではあるけれど……

 

「今だけは、君の善意を信用してあげるよ」

 

 むき出しの肩が冷たくなってきた。

 急ごう。

 

 胸部下着を外し、ふと視線を落とすと……我ながらなだらかな胸元が……

 

 

『ボクの貧相な体なんか見ても、君は楽しくないだろう?』

 

 

 ……いらっ!

 絶対に、死んでも口にしてやるものか、そんなセリフ。

 

 怒ったら、少しだけ体が温まってきて。

 泥水を吸って重くなったズボンを脱ぎ、下着も外す。

 ……下着は、見えないように服とズボンの間に隠しておく。

 

 …………見るなよ?

 

 一応、信じることにして、ドアの前に待機する。

 ドア一枚を隔てた向こうにヤシロがいて、自分が一糸纏わぬ姿だというのがなんとも心許ない。

 あぁ、なぜタオルを投げつけてしまったのか……悔やまれる。

 

「…………ヤシロ」

 

 最大限に警戒しつつ、ヤシロに呼びかける。

 

「部屋の中が見えない位置に移動して、絶対中を見ないようにね……」

『へいへい』

 

 分かっているのか分かっていないのか分からないような声で返事がくる。

 本当に分かっているのかい?

 もしチラリとでも見たら、大問題なんだよ? 責任問題だからね!

 

 念のため、念を押しておく。念には念というからね。

 

「………………絶対だからね。見たら、絶交だからね!」

 

『へいへい』

 

 同じような声が聞こえ、ボクはゆっくりとドアを開ける。

 …………ほっ。

 とりあえず、見える場所にヤシロはいない。

 よかったよ、君が最低限のモラルを弁えている男で。

 

 濡れた衣服を廊下に出し、そっと外へ押しやる。

 

「……ジネットちゃんによろしく」

「あぁ。渡しておくよ」

 

 ドア越しではないヤシロの声が聞こえて、肩がはねる。

 心臓が縮む。

 

 早くドアを閉めてしまいたい。

 けれど、今回ヤシロはボクにとてもよくしてくれた。

 普段はふざけてばかりいるけれど、いざという時は紳士的に振る舞ってくれるということが今回の一件でよく分かった。

 だから、お礼くらいは……

 

「…………ありがと。あと、ごめんね」

 

 緊張から、声が出なかった。

 くぅ……っ、声を出して緊張を誤魔化そうという目論見もあったのに、逆効果だった。

 いたたまれなくなり、ヤシロの返事も聞かずにドアを閉じた。

 

 寒さが限界に来ている。

 髪や体にも泥が付いているから、きっと汚してしまうけれど、厚意に甘えさせてもらう。

 

「…………ぁ」

 

 ヤシロのベッドは、ヤシロの匂いがして…………とても暖かかった。

 

「あったかぁ……い」

 

 布団を顔の半分までかぶり、大きく息を吸い込む。

 いまだに緊張はしているし、鼓動は信じられないくらいに速いけれど……ヤシロの匂いに包まれていると、不思議と落ち着いた。

 布団の温もりが、先ほどヤシロに抱きかかえられた時に感じた温もりによく似ていて、少しだけ……嬉しかった。

 

「本当に、ヤシロはここで暮らしているんだね」

 

 どことなく朧気で、気を抜けば目の前から消えてなくなってしまいそうな、そんな危うさを常にどこかで感じさせているヤシロ。

 おそらく、何か問題が起これば、彼はすぐにでもボクたちの前から姿を消すだろう。

 

 そのために、余計な接点を持たないようにしている。

 ボクには、彼の生き方がそのように見えている。

 

 だから、たまに不安になる。

 彼には、まったくと言っていいほど自覚がないから。

 本当に分かっているのかねぇ。

 

「君がいなくなると、悲しむ人間がいるってこと……」

 

 もっとも、オオバヤシロという男は、それすらも承知の上で最善であると思われる行動をとるのだろうけれど。

 それが、誰にとっての最善になるのかは、今はまだ分からないけれど……

 

 でも、それでも……

 

 

「どこかへ行く時は、ボクに一声かけてからにしてよね……」

 

 

 そう願わずには、いられない。

 

 布団から顔を出し、ぐるりと部屋の中を見渡してみる。

 さほど広くはない、どちらかと言えば手狭な部屋。

 しかし、荷物が極端に少ないせいで、がらんとした殺風景な印象を受ける。

 

 これもきっと、わざとそうしているのだろうな。

 

 引き留めることなんて、きっと出来ないのだろうし、ボクがそれをする理由も、今はまだない。

 けれど、出来ることなら、もう少し彼とは一緒にいたいと思う。

 突飛であるがゆえに破壊力が伴うあの着眼点と行動力も、なんだかんだと人を裏切れないあの性格も、少々度が過ぎているけれど憎みきれないあのイタズラも。

 ボクは割と気に入っているから。

 

「あのスケベだけは、なんとしても直してほしいところだけどね」

 

 まったく、口を開けばおっぱい、おっぱいと……

 困った男だよ、まったく。

 

 寝返りを打つと、枕からヤシロの匂いがした。

 それはヤシロが、確かにここにいたという証明。

 

 

 この場所が、ヤシロを四十二区につなぎとめている。

 

 

 そう思うと、なんだかここがすごい場所のように思えた。

 この場所があるうちは、なんとなく、大丈夫なような気がした。

 

「まぁ、もう少しくらいは、あの小生意気な笑みを見ているのも面白いだろうしね」

 

 彼はいつか、この街を去るのだろう。

 突然やって来た時と同じように、ある日突然。

 

 ボクはそれを受け入れるつもりだし、引き留めるつもりもない。

 けれどもし、彼が望むのなら……

 

 

『エステラ、お前が必要だ。俺についてきてくれ』

 

 

 ――っ!?

 

 思わず布団をはねのけた。

 

「…………」

 

 暴れる心臓を胸の上から押さえつける。

 

 ないない。

 そんなこと、あり得ない。

 きっとあれだ。

 ヤシロの匂いが染みついた布団に包まっていたからだ。

 ヤシロの匂いに包まれていたから、変な想像が浮かんできたんだ。

 

「まったくもう…………変なこと、考えさせないでほしいものだね」

 

 ヤシロの何かが伝染うつっただけなのだ、今のは。

 きっとそうだ。

 

 そもそも、ボクがヤシロについていくなんて、そんなこと出来るわけがないし。

 土下座されたってお断りで…………

 

「…………」

 

 少し考えて、寒さに体が震えたから、大人しく布団に潜り込んだ。

 濃度の濃い匂いに包まれながら、今回の件を考慮して寛大な判断を下すことにしてあげる。

 

 

「……保留」

 

 

 その後、お湯が沸いたとジネットちゃんが呼びに来るまで、ボクは布団に包まってベッドでゴロゴロ転がって過ごした。

 

 

 

 

 

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