門のところまで見送ってくれたナタリアが、いつになく真剣な顔でこんなことを言ってきた。
「エステラ様は随分と変わられました。それもすべて、ヤシロ様のおかげです」
エステラが領主になったことで、ナタリアはもうエステラを「お嬢様」とは呼ばなくなっていた。
その変化がほんの少し寂しさを感じさせるのはなぜなのだろうか。
「んなわけねぇだろ。買い被り過ぎだよ」
「いいえ。あなたは周りの人間に影響を与えています。私も、ヤシロ様のおかげで変わることが出来たと自覚しております」
「どう変わったってんだよ?」
「職務に忠実であることだけを志していた私が、ヤシロ様と出会ったことで……」
ここでナタリアは髪を掻き上げ、反対の手の小指を口にくわえて、体を「S」字にくねらせる。
「『オ・ト・ナ』な自分を発見いたしました」
「ホントごめん。それが俺のせいならマジで謝るから、元に戻ってくれないかな?」
こいつのポンコツ化を俺のせいにされちゃ堪らん。
「おはようとおやすみのチューをしてくれないと眠れません」
「じゃあ、ここんとこずっと不眠なのか、大変だな、あとおはようのチューの後は寝るな」
姿勢を戻し、メイド長らしい凛とした表情に戻って、ナタリアは続ける。
……つか、こいつはどれが素の顔なのかいまだに分からんな。
「エステラ様は変わられました。それも、かなりいい方向に、です」
それを、俺のおかげなのだと言うつもりなのだろう。
「先ほどの言葉は、本心であると、私は思います」
先ほどの…………アレ、か。
「恋愛云々は置いておくとして、人として、あなたは好感を抱くに値する人物であると、私も思いますので」
「あんま褒めるな。褒められ慣れてないから腹でも壊しそうだ」
昔、ちょっと高級な飯を食った直後に腹を壊したからな。
慣れないことはするもんじゃないと、その時に学んだよ。
「………………このブタっ!」
「貶しもすんじゃねぇよ!」
極端だねぇ、相変わらず!?
「こんな風に、冗談が言い合える人が出来るとは、私自身、考えてもいませんでした」
「俺も、こんなぶっ飛んだ冗談をかましてくるヤツと知り合うとは、想像もしてなかったよ」
いい加減疲れて、そろそろ帰ろうかとした時、ナタリアが一歩、俺へと近付き、そして――
「私も、あなたのことが好きですよ。……人として」
そっと、俺の髪を撫でた。
たったそれだけの動作で、まんまと心の中を掻き乱されてしまった。
照れくささとむず痒さと……悔しさが一斉に込み上げてくる。
「では、お気を付けてお帰り下さい」
二歩身を引き、深々と頭を下げるナタリア。
くそ……一瞬でメイド長に戻りやがって。どう反応していいか分かんねぇじゃねぇか。
「……じゃあな」
ぶっきらぼうにそう言うと、ナタリアはふわりと微笑み、会釈をしてくれた。
「それでは、私はエステラ様のところへ行き『ぷぷぷ、ドキドキ感上書きしてきちゃった、ザマァ』と伝えてまいります」
「おい、やめろ! やめとけ! 館の中に殺伐とした空気を充満させるんじゃない!」
こいつは、出来るメイドなのかダメなメイドなのかよく分からん。
エステラによろしくと伝え、俺は帰路につく。
街道は、四十二区西側に設置される街門から、教会、陽だまり亭の前を通り、大通りと交差して、領主の館の前へと延びている。そして、さらにそのまま四十一区、四十区へと繋げるのだそうだ。
人と物の行き来をスムーズに行うために、大きな街道を三区の間に通すことにしたのだ。
これで、一気に発展しそうだな。
四十二区の街門は、外の森の最奥へ繋がるため、よほど腕に自信のある者でなければ使えない。
一方、四十一区の街門は、四十二区の門とは向いている方向が違うので、初心者でも比較的安心して使える。俺みたいな非戦闘型のイケメンにだって使用できるレベルだ。
そうして、使用者をその熟練度によって分けることで利益の食い合いを解消するのだ。
それでも、四十一区の街門による収入は減るだろうが、それ以上に中間の街として、物流の中心、また街門利用者が滞在する宿場町としての利益が大きくなる。
大食い大会の経済効果が、はっきりと数字に表れたことで、リカルド率いる四十一区は四十二区の街門に一切反発しなくなっていた。
それどころか、早く完成させろとばかりにどんどん人を送り込んでくる。当然、工事の人員だ。平均筋肉率が無駄に高い四十一区の連中は、力仕事に向いている。
余談だが、カンタルチカで虫事件を起こした狩猟ギルドの二人組は、すっかりパウラに熱を上げて、カンタルチカに通うことを目的に街門の工事に進んで参加しているようだ。
どっかのトルベック工務店の代表者みたいな連中だ。
もっとも、パウラは「常連客が増えた」程度にしか思ってないようだが……
「あっ! ヤシロさ~ん!」
そんなことを考えていると、整備中の街道でウーマロに会った。
よし、スルー。
「ちょっ!? ちょっと待ってほしいッス、ヤシロさん!?」
通り過ぎた俺の前へと回り込み、ウーマロが俺の行く手を妨害する。
なんだよ。お前は仕事してろよ。
道路の整備に精を出すハムっ子たち。
そこの指揮から離れて、ウーマロは俺の顔を覗き込んでくる。
あんま見んな。
それやっていいのは、爆乳美少女限定だ。
「オイラ、頑張るッスから!」
「あ? 道路工事か? おう、頑張れ。死ぬ気で頑張って、頑張って死ね」
「最後の、意味変わってるッスよ!? ……じゃなくって、オイラ、頑張るッスから!」
「だから……何がだよ?」
「頑張るッスから!」
「…………」
俺を見つめるウーマロの目を眺め返してみる。
無駄に暑苦しく、瞳の奥にはメラメラと炎が燃えていた。
「ま、頑張れ」
「はいッス!」
はっきりと返事をし、ウーマロは作業へと戻っていった。
「さぁ! 時間がないッスよ! 街門が完成するまでに、街道も仕上げてしまうッス!」
「「「「はいッスー!」」」」
威勢のいいハムっ子たちの声を聞きながら、俺はその場を離れた。
整備中の街道を進むと陽だまり亭が見えてくる。
店の前の道が拡張され、若干雰囲気が変わっている。
庭から見える森の木々も、当初は田舎感丸出しだったのだが、今では『緑のあるおしゃれなお店』っぽく見えるから不思議だ。
ドアを開け、陽だまり亭へと入ると――
「お帰りなさい、ヤシロさん」
ジネットが笑顔で迎えてくれる。
「今、お茶を入れますね。あ、コーヒーがいいですか?」
「じゃあ、コーヒーで」
「はい。そこに座って、少し待っていてください」
くるりと踵を返し、踊るような足取りで厨房へと向かう。
厨房へ入る直前でもう一度こちらを振り返り――
「美味しいコーヒーを淹れますね」
――そんなことを言う。
もう、大会前のように一人になることを過剰に嫌がるようなことはなくなった。
むしろ、以前より少し落ち着いたくらいだ。
ジネットがあの大会で何を感じ、何を思ったのかは分からない。
けれど、一つだけはっきりと分かることがある。
あの大会を経験して、ジネットは一回り大きくなった。確実に。
だからきっと、もうすぐなのだろう。ジネットの願いが叶うのは。
陽だまり亭が、あの頃の賑わいを取り戻すのは。
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