「うっひゃ~! すっげぇうめぇじゃねぇかですね!」
教会から戻り、開店準備を終えた頃、ナタリアに引き連れられてモコカが陽だまり亭へとやって来た。
モコカのことをざっくりと紹介し、早速飯を食ってもらうことになった。
出した料理は麻婆茄子だ。
二十四区で作ったと言ったら、「是非教えてくださいっ!」とジネットにつめ寄られて、ついさっき伝授したばかりの新商品だ。……なのに、俺が作るより美味いんだもんな。チートだよ、ジネットの料理の腕前は。
で、麻婆茄子を出したのには、もう一つ狙いがある。
「こいつは、今二十四区で作ってる新しい調味料を使った料理で、ここにいる人間を除けば、麹工場のリベカと次期領主のフィルマンしか食ったことがない、最先端の料理なんだ」
「どっひゃー! そいつぁナウいじゃねぇかですね!? バリナウだぜです!」
バリナウ――バリバリナウい最先端料理を、情報紙に掲載してもらえないかと企んでのことだ。……バリバリ(≒物凄く、滅茶苦茶に、とてつもなく)とか、ナウい(≒先鋭的、流行の最先端、イケている)なんて言葉を使ってるヤツに頼るのはどうなんだって気もしなくはないが……
情報紙に掲載されて人気が出れば、料理自体が飛ぶように売れて陽だまり亭はウハウハ。おまけに豆板醤が人気になれば、ソラマメの需要が飛躍的に伸びるだろう。
マーゥルに恩を売れるというものだ。
「こんな美味ぇナウいもの、情報紙に載せねぇ手はねぇじゃねぇかですよね! よぉ~っし! 描いて描いて描きまくってやるぜです!」
半分くらい残っている麻婆茄子を置いて、モコカはカバンからスケッチブックのようなものを取り出す。……小汚い紙の束だ。チラシの裏的な何かなのだろう。貧乏が滲み出している。
だが、紙はともかく筆の方は金がかかっていそうだった。筆入れの中に色鉛筆のような物がずらりと並んでいる。
色鉛筆というか、クレヨンか……クーピーみたいな感じだ。
一瞬で自分の世界へ入り込み没頭するモコカ。
横から口を挟めるような雰囲気ではなくなる。
冷める前に食べてほしそうな顔をしているジネットも、何も言わずにモコカの作業を見つめている。
俺も、背後からイラストを覗き込んでみる。………………赤い、ベチャッとした物がそこに描かれていた。お世辞にも美味そうには見えない。
「…………吐血?」
「血の海で蠢く黒い虫です……」
「なっ!? なに言いやがるですか、このちびっ子様どもは!? 麻婆茄子を描いてんだっつーのですよ!」
いや、どう見ても麻婆茄子には見えない。
俺も、ミートソーススパゲッティをイラストにした際、こいつらに物凄く冷たい視線を向けられた経験があるからよく分かるぞ。食い物のイラストって、地味に難しいんだよな。
「そっか、分かったぜです! もっと茶色っぽい方が本物っぽいんだぜですね!」
そう言って、茶色でひき肉をもりもりと描き足していく。
「…………吐しゃ物」
「やめてです! ウチのお店はこんなものご提供してないです! 営業妨害です!」
「麻婆茄子だっつんだろうがですよ! このちんまい小娘様どもめ!」
いやいや。
マグダの意見は真っ当だし、お前も十分「ちんまい」ぞ、モコカ。
「やはり、芸術には『美しさ』が必要なのでしょうね? 脱ぎましょうか?」
「静かにしてるからいないのかと思ったけど、やっぱり口を開くとどこまでもナタリアだな、お前は。あと脱げるもんなら脱いでみやがれ」
エステラによって、食堂の隅に連行されていったナタリア。
モコカに相当持ち上げられていたようで、ドヤ顔のレベルが四つくらい上がっていた。
目に余るということで、モコカから引き離していたのだ。追い返すぞ、このやろう。
「……ベッコの絵を見慣れているせいで、なおチープさが目に付く」
「ですねぇ。ござるさんは残念な顔で残念な性格ですけど、技術だけはピカイチですからね」
「……変態なのに」
「変態なのにです」
「お二人とも、酷いですよ」
真実を口にする二人をやんわりとたしなめるジネット。
真実は人を傷付けることがあると教えたいのだろう。でも、真実であることは間違いない。
「ややっ、これはこれは。すでに盛り上がっているでござるな」
と、そこへ。噂の残念系男子、丸メガネのハチ人族、ベッコがアホみたいな顔をさらしてやって来た。
「ようこそ、ベッコ。アホみたいな顔をして」
「やややっ!? 会って早々ディスられたでござるぞ!?」
「……ようこそ、ベッコ。アホみたいな顔をして」
「待ってたですよ、ござるさん。アホみたいな顔をして」
「みんなして寄ってたかってでござるか!?」
連係プレーが陽だまり亭の強みだからな。
……ただ、悲しいかな、ロレッタ。お前のだけは、「アホな顔をして」が自分にかかっちまってるぞ。文脈的に。まぁ、ロレッタもアホみたいな顔をしているから嘘ではないけれどな。
「むぐぅわあぁぁあ! ムズ過ぎだぜです! んなの描けるわけねぇだろうがです!」
頭をガシガシと掻き毟るモコカ。食堂で奇声を発するなよ。
「おや、見ない顔でござるな。……吐しゃ物のイラストでござるか?」
「違ぇーよですよ! 麻婆茄子だぜです!」
「はて? 初耳でござるな?」
「よろしければ、ベッコさんも召し上がりますか? まだメニューにも載っていない新作なんですよ」
「おぉ! それは是非にもお願いしたいでござる!」
「金は払えよ」
「……料金は徴収する」
「言われた額を置いていくですよ、ござるさん!」
「そういう時ばっかり息が合うでござるな、御仁方!?」
「くす。では、少しお待ちくださいね」
ジネットが俺たちのやりとりを見終えた後、楽しそうに厨房へと入っていく。
今は作りたい時期なのだろう。覚えたてで。
「ジネット。麻婆茄子のナス抜きで!」
「どのような料理かはいまだ分からんでござるが、名前的にそれを抜いては本末転倒ではないのでござるかヤシロ氏!?」
「……いっそ、麻婆も抜きで」
「じゃあ何が出てくるでござるか!?」
「お皿も抜きです!」
「何も出てこない気がしてきたでござるっ!?」
「来て早々、騒がしいな、お前は」
「明らかに非はそちらにあると思われるでござるよ!?」
こちらでわちゃわちゃしている間も、モコカはうんうんうなりながら色鉛筆を振り回している。もはや、修正が不可能なレベルだ。
「私、人物以外うまく描けねぇんだよななんですよね」
得手不得手というものはある。
人物画がすごくうまくても、背景や小物が苦手というヤツはかなりいる。
そりゃ仕方がないことだ。こっちには、教本とかお手本になるような物もそうないだろうしな。
「そちらの御仁は、絵を描かれるのでござるか?」
「あぁ。こう見えてこいつは一応はプロでな。情報紙ってのにイラストを載せてんだよ。なぁ、ナタリア。お前、今情報紙とか……」
「はい。当然持っております」
自分が描かれた情報紙を肌身離さず所持しているナタリア。
もう、突っ込まない。
それをベッコに見せると、丸いメガネの縁を指でなぞり、「ほほぅ」と声を漏らした。
「ナタリア氏でござるかな? 特徴を捉え、それを簡略化・強調し、なかなか面白い画法でござるな」
エステラたちの言うこの街の所謂芸術とも、ベッコの描くリアルな画法とも違う、似顔絵のようなイラスト。興味を惹かれたようだ。
「ヤシロ氏の作られたデフォルメフィギュアに近しいものを感じるでござる」
「特徴を強調して簡略化ってのは、そうかもな」
「拙者には出来ぬ芸当故、羨ましいでござるな」
ベッコは、見たものを見たまま形にすることしか出来ない。
ただ、その「見たまま」というのが常人離れした再現度であるわけだが。
「ベッコ。ちょっと描いてやってくれよ」
「ナタリア氏をでござるか?」
「あぁ。出来ればドヤ顔じゃないヤツを」
ナタリアのドヤ顔はもう見飽きた。
「うむ。心得たでござる。ジネット氏の料理を待つ間の、座興となれば幸いでござる。紙と筆はあるでござるか?」
「あ、じゃあこれを使ってくれよです」
「かたじけないでござる。えっと、お名前は……?」
「モコカだぜです!」
「感謝するでござる、モコカ氏。拙者は、ベッコと申すつまらぬ芸術家でござる。名を覚える必要はない故、聞き流してくだされ」
「おう! 聞き流して覚えねぇぜです!」
いやいや!
モコカ? お前が「ベッコに会いたい」つって四十二区に来たんだよな?
忘れちゃったのか?
忘れちゃったんだろうなぁ! だって、なんかアホの娘臭ハンパないもんな!
「ベッコさん。……最大限セクシーにお願いします」
「心得た!」
「心得ないで、ベッコ! 気品のある感じで頼むよ! 領主の館の給仕長として恥ずかしくない感じで!」
ナタリアからの要望をエステラが上書きする。
俺的には、セクシーな絵が出来れば枕元に飾っておいてもいいくらいの気持ちなのだが。
「はい、出来たでござる」
「早ぇな、お前は」
「なに。簡単に描いたお遊びでござるゆえ」
そんな、ベッコの「お遊び」を覗き込むと……そこには、気品に溢れる給仕長が立っていた。
まるで写真のようだ。
「よかった。まともな絵になって」
「ですが、この絵の私はノーパンです」
「無理やりセクシーさを入れ込まないでくれるかな!?」
豪華な額にでも入っていれば、部屋に飾っておいてもおかしくないクオリティなのだが、わざわざ飾ってやるほどの価値が本人にはなさそうだ。
……下から覗き込んだら、スカートの中見えないかな?
「ヤシロ。刺すよ?」
ちっ。
覗き込もうとしただけなのに。まだ覗き込んでないのに! 未遂なのに!
「こ、こいつぁ…………ぶったまげた…………ですね」
ベッコの絵を見て、モコカがぷるぷると震え出した。
瞬きも忘れ、気品を纏ったナタリアの絵を見つめ続けている。目が離せない、そんな雰囲気だ。
「ベッコさん、お待たせしました。麻婆茄子の麻婆とナスとお皿有りです」
俺たちが抜けと言った物を全部入れてきたと、ジネットがわざわざ言う。おふざけなのだろう。こういう小さなイタズラが、最近はお気に入りらしい。
「ほほう! これはまた、なんとも甘美な香りでござるな。うむ。あと三日もすればイメルダ氏から食品サンプルの依頼がかかるでござるな、これは」
陽だまり亭が新メニューを発売すると、即座にイメルダから依頼がかかり制作しているようだ。
もうすっかり仲良しだな。
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