俺たちは今、四十区にある砂糖工場へと来ている。の、だが……
「すごく大きい工場ですねぇ」
俺の隣にいるのがジネットであることに、俺は少々驚いている。
これまで、ジネットは毎日陽だまり亭で料理を作っていた。雨の日も風の日も、朝から晩まで、年中無休でだ。……リフォームの時は休んだが。
故に、ジネットはどこかへ出かけるということが出来ずにいた。
それが、今、俺と一緒に四十区へと来ているのだ。
「この中を見せてもらえるなんて、なんだかワクワクしますね」
大きな瞳をキラキラさせて、まるで社会科見学に来た小学生だ。
施設内では大きな声は出さず、絶対に走らないこと。そして、施設内にある物には手を触れないこと。
――なんて注意を嫌というほど聞かされた記憶があるな。工場見学。
俺は飴を作る工場を見学に行ったんだよな。帰りに飴玉をもらったっけ。
「はぁぁあ……あの、わたし、実は昨日の夜からわくわくして、全然眠れなかったんです」
知ってる。
普段ならとっくに寝ているであろう時間になっても歩き回る音が聞こえていたからな。
もっとも、静かになったのも確認したから、俺より先に寝たことは確かだが。
「すみません。なんだかわがままを言ってしまったようで」
「いや、たまにはいいだろう。むしろ、お前もこうやって適度に食堂を休める仕組みに変えていかなくては、陽だまり亭は長続きしないぞ」
ずっとジネットに任せっきりではいつか破綻してしまう。
ジネットが体調を崩すだけで、店が開けられなくなってしまうのだ。
だから、今から少しずつ慣らしていく必要がある。
ジネット以外の者が店を切り盛りできるように。
そして、ジネットがその状況を甘受できるように。
今日はずっと陽だまり亭のことを気にしていそうだけどな。まぁ、それは仕方ないか。
「……大丈夫でしょうか、マグダさんたち……」
早速だ。
「大丈夫だよ。作る料理を限定したし、下準備は済ませてある。今日一日くらいはうまくやってくれるさ」
「そう、ですよね。信じましょう、みなさんを」
今日は、マグダをリーダーとしロレッタとデリアがそのサポートをしてくれることになっていた。
デリアには、あとで甘いお菓子をご馳走するということで話をつけてある。
フルーツみつ豆が完成したのだ。……あんみつを作っていたのだが、いろいろやるうちにそういうことになった。……あんこが意外と難しい。なんというか……この前食べた今川焼きの味に負けているのだ……そんな中途半端なものは提供できない。小豆か? 小豆との相性か? やっぱり黒砂糖では思った味にはならなかった。
上白糖が手に入れば、あんこだって作れるのに……
「上白糖……なんとかなるといいですね」
「まぁ、期待薄だけどな」
今日、工場を見学させてもらったところで、すぐに砂糖が手に入るとは思っていない。
ただ、なんでもいいからきっかけが掴みたかったのだ。
現在の八方塞がりを打破する、ほんの些細なきっかけが。
「よぉ。あんたらがアッスントさんの言ってた人たちか?」
工場を見上げていると、背後から声をかけられた。
振り返ると、細身の軽薄そうな兄ちゃんが立っていた。
目の周りが黒い。……タヌキ? 見た感じは普通の人なのだが、目の周りだけが黒い。なんだか奇妙なルックスだ。……獣人族で言えば、女性的な男なのだろうか。
あと、気になるのが、この兄ちゃんは口に細長い植物の茎を咥えている。
昔の漫画の番長が謎の葉っぱを咥えていたりしたが……あんなノリか?
「あぁ、これ? これな、サトウキビなんだよ。こうやって『しがんでると』ずっと甘ぇの」
まるでどこぞのホストのような軽薄でチャラチャラした印象を受ける。……なんとも胡散臭いものを感じる。なんなんだ、こいつは?
「あんたがパーシー・レイヤードか?」
「ん~、そだぜ」
へらへらと笑い、パーシーは手を差し出してくる。
軽く握手を交わすと、パーシーは一瞬眉根を寄せた。
「あんちゃん、職人さん?」
「いや。食堂の従業員だ」
「イモとか剥く係?」
「経営戦略担当だ」
「へぇ……にしちゃあ、手の皮厚いんだな」
こいつ、細かいところを見ているな。
それを探るために握手を求めたのかもしれない。……ってのは考え過ぎか?
「あんたは……パーシーさんはタヌキ人族なのか?」
「ん。そだぜ。あとさぁ、パーシーさんとかやめてくんない? なんかノドんとこ『いぃー!』ってなっからさ」
着飾らない男だ。
ある意味で自由。
ある意味で無礼。
どちらにしても、自分をしっかりと持ち、揺るがない男であるようだ。
「あの。わたしは、陽だまり亭の店長、ジネットです」
そう言ってジネットが手を差し出す。
「あ、いや。握手はやめとくわ。オレの手、今スゲェ汚ぇからさ」
「っておい!」
「なんだよぉ、手が汚れて嫌がるような顔じゃねぇだろう、あんちゃんは」
「嫌がるわ! 無菌室で生まれ育ったかの如く綺麗好きだっつの!」
「はっはっはっ、顔に合わねぇよ」
……こいつ。どこまでも無礼なヤツだ。
「実は、さっき畑で大根を採ってきたところなんだ」
「家庭菜園をやられているんですか?」
「あぁ。砂糖工場だけじゃ、まともに生活できねぇからな」
え?
「砂糖工場は貴族御用足しなんじゃないのか?」
「そんなの、上の方の、ほんの一握りの工場だけの話だって」
白い歯を見せて苦笑を漏らす。
パタパタと振る手には……確かに土がついていた。両手にべっとりと。
自分の手を見てみると、……土で真っ黒になっていた。…………こんにゃろ。
ザルに載せられた大根が三本。どれも痩せ細っており、お世辞にもいい出来とは言えない。
こんな細い大根じゃあ、『大根足』が褒め言葉になっちまう。白くて細いってな。
もっとも、その大根には土がべったりとついているので白いのは葉っぱ側の一部分だけだけどな。
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