「……静かだ」
思わず漏れた自分の言葉に、改めて実感する。
「……終わったなぁ」
祭りは終わり、四十二区は眠りについたように静まり返っている。
陽だまり亭前の道には、もう人影はなく、物音ひとつ聞こえない。ただ、風が通り抜ける微かな気配を感じるだけだ。
教会へと続く道には点々と光るレンガが設置され、暗い夜を明るく照らしている。
等間隔で並ぶ光が、これまで恐怖の対象でしかなかった暗黒にのみ込まれていた夜道を幻想的な道へと生まれ変わらせた。
同じ道とは思えない変貌ぶりだ。
「ヤシロさん」
深夜。
もう随分深い時間だというのに、ジネットが起きていた。
食堂から出て、庭で道を眺める俺の隣まで歩いてくる。
「眠れないのですか?」
普段なら、とっくに眠っているはずの時間だ。特にジネットはマグダと同じく眠るのが早い。
他の連中はもう眠っていることだろう。
祭りが終わり、後片付けもそこそこに、みんな帰宅してしまった。疲れていたのだろう。
エステラもロレッタも、今日は早々に帰り休むと言っていた。
マグダも、部屋に戻るなりベッドに飛び込んで眠ったようだった。
どの店も想像以上の売れ行きで、当初予定していたよりも早く完売していた。
すべての店が在庫切れとなり、今回の祭りは予定を繰り上げて終了ということになった。
店が終わっても、何人かの客は明るく浮かび上がる幻想的なこの道を歩いていたようだが、そんな客たちも、もうすっかりいなくなってしまった。
静寂に包まれ、街はすっかり眠りについたと思っていたのだが……
ジネットが俺の隣に並び、俺の顔を覗き込んでくる。
そんな仕草に、少し心臓が跳ねる。
「いや、まぁ……、終わったなぁって思ってな」
「ヤシロさん、ずっと頑張っていましたからね」
「頑張ってたのはお前だろう」
「私はいつも通りでしたよ」
そんなわけはない。
ここ最近は、俺とロレッタが抜けた穴をずっとフォローしてくれていたのだ。人の何倍も動き、働き、誰よりも笑顔を振りまいていた。
今日なんか、ずっと途切れることのない客を相手に走り回り、休憩するヒマすらなかっただろう。
目の前で賑やかな祭りが行われていたにもかかわらず、こいつはそれを見て回ることすら出来なかったのだ。
……逆に、悪いことをしたかもしれない。
出かけることが出来ないジネットに、非日常をプレゼント出来ればと思っていたのだが……そばにあるのに見に行けない、その非日常のせいで逆にジネットを店に縛りつけてしまった。
ジネットは楽しむ側ではなく、常に楽しませる側にしかいない。
「楽しかったですね、お祭り」
声には出していないはずだが、ジネットが俺の考えを否定するようにきっぱりと言う。
「楽し、かった?」
「はい。とても」
「いや、でも……お前、ずっと店にいただろ? 祭り、回れなかったじゃないか」
「それはそうなんですが……」
くるんと口角を持ち上げ、溢れ出る感情を抑えきれないというような感じでくしゃくしゃの笑みを浮かべる。
「すごく賑やかで、みなさんがすっごく笑顔で……楽しかったんですっ!」
楽しむ人を見て、それを楽しいと言う。
こいつは本当に妖精や天使の類いなんじゃないのか?
「お前もいろいろ見て回りたかったんじゃないのか? 客が話してるのを聞いたりしたら尚更さ」
「うふふ……」
なぜここで笑みが零れるのか、まるで意味が分からなかった。
そして、その意味を聞いても、やっぱり意味が分からなかった。
「それはですね、ヤシロさんのおかげなんですよ」
俺が、何をしたというのだろうか?
ジネットは嬉しそうに笑い、悪戯っ子がとっておきの秘密を打ち明ける時のようなキラキラした目で俺に語った。
今日一日、自分が感じていた楽しさの正体を。
「お客さんが、休憩しながらお話しされていたんですよ。『ベビーカステラが美味しかった』『フランクフルトをもう一本食べたい』『イカ焼きは癖になる』『じゃがバターの虜になった』って」
そこまで言って、「まだ分かりませんか?」と問いたげな瞳が俺に向けられる。
俺が困惑していると、ジネットはさらに嬉しそうに微笑み、「特別ですよ」とでも言いたげな口ぶりでその続きを口にする。
「それみんな、わたし、知ってるんです」
両手を広げて、そして陽だまり亭へ視線を向ける。
「ここで、ヤシロさんが作ってくださったものばかりですから」
確かに、今名前が挙がったものは……いや、もっと言えば、今回祭りで出品した食べ物のほとんどが、俺が口を出したり誰かに伝授したものばかりだ。
どの店も、『食べ歩きが出来る』という条件に頭を悩ませていたから俺がアドバイスをして回ったのだ。そして言葉だけでは不十分だと判断して、陽だまり亭で試作を行った。
当然そこにはジネットがいて、どの料理も一度は口にしている。
「『あ、それ食べたなぁ』とか、『それは美味しいですよねぇ』とか、心の中で思うだけで、なんだかわたしも一緒にお祭りを回ったような気分になれたんです」
「気分だけじゃねぇか」
知識として知っているのと、実際見て回るとでは、やはり違うと思うのだが。
「それにですね」
「うふふ」と笑みを零し、これまでで一番もったいをつけたような表情を浮かべる。
ジネットには珍しく「しょうがないですねぇ、教えてあげましょう」的な、恩着せがましい表情だ。こいつも、こんな顔をするんだな。新鮮だ。
「わたし、あの道を歩いたんですよ。それも、道のど真ん中を」
「あぁ……」
確かにジネットは祭り会場を歩いている。
ど真ん中を、誰にも邪魔されず、ゆっくり、ゆったり、のんびりとな。
「灯りの行進、綺麗だったぞ」
「ふぇっ!? ……あ、ありがとうございます」
『灯りの行進』を綺麗だと褒めたのだが、なぜかジネットの顔が真っ赤に染まっていく。
……まぁ、ジネットも…………綺麗、だったけどな。
変な空気が流れていく。
俺たちは互いに視線を逸らし、しばらく沈黙に陥った。
安心感を与えてくれる沈黙ではなく……なんというか、妙にくすぐったい。
「あ、あの。明日も、楽しみです!」
ジネットが、耐えかねたのか、話題を振ってきた。
「あぁ、打ち上げか」
明日は陽だまり亭を休みにして、今回の祭りに携わった者たちで打ち上げをするのだ。
ご招待ではないので会費はきっちりともらうがな。
さらに言うならば、『今回の祭りに携わった』という範囲が、『客として参加した』人物にまで及んでいるため、基本的に誰でも参加できる打ち上げなのだ。
……つまり、全然休みじゃないわけだ。
顔見知りがたくさん集まって陽だまり亭で飯を食う。いつものことだ。
「お前も、たまには休んで羽を伸ばせよ」
「明日はお休みですよ?」
いや、だから……お前は動き回る予定だろうが。
これはもう、どこかで強制的に休養を取らせなければいけないな。
「わたしはですね、毎日いろんな人に囲まれて、こうやって一生懸命働いているのが、楽しくてしょうがないんです」
……そんなことを言われたら、もはや打つ手がないじゃねぇか。
お前の楽しみを奪うわけにはいかないからな。……なら、別の手で…………
「寝なくて平気なのか?」
「実は、さっき少しだけ眠っていまして。お部屋に戻ったら意識が……」
えへへと頭を掻き、そして曇りのない笑みをこちらに向けてくる。
「ですので、今は少し元気なんです」
「そうか」
なら、もう少しくらいは、……いいよな?
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