「ですので、ひとつだけ覚えておいてくださいましね」
ふわりと髪を揺らし、イメルダが微笑む。
らしくないほど、穏やかな表情で。
「ほんの些細なことで、この上もないほど幸せな気持ちになれる。そういう生き物なのですわよ、女性というものは」
あまりにまっとうな意見で、本当にイメルダが発した言葉なのかと疑ってしまう。
ジネットやベルティーナとは違う甘え方をするヤツだ。
「紳士なら、それくらい弁えておけ」と、こちらに要求してくるとはな。
「いつか言わせてみせますわ。あなたに。価値のある一言を。覚悟なさいまし」
そう言って笑った顔は、いつも通りの、実にイメルダらしい笑顔だった。
まったく、小癪な。
あまりに癪だったので、ちょっとした反撃を試みる。
「さっきみたいな高飛車な態度とってるより、そうやって笑ってた方が可愛いと思うぞ、お前は」
「かっ、かわっ!?」
勝ち誇ったようだった笑みが一瞬で崩れる。
面白い形で固定され、じ~んわりと肌が色付いていく。
「か、可愛いなどと……ワ、ワタクシには『美しい』こそが相応しい褒め言葉ですわ! それを、言うに事欠いて可愛いなどと………………ぅぅうううぅっ! 反応に困りますわっ!」
けけけ。
そうだそうだ。困るがいい。
まったく、俺をやり込めようなんて十年早いっつうの。
「い、今のは無しですわ。ワタクシの求めていたものとは異なりましたもの!」
ってことは、俺に『価値のある一言』を言わせる計画は続行するってことか。
「ですがっ」
ツン、とそっぽを向き、イメルダが高飛車な態度で言い放つ。
「本当のことを言うと、ナタリアさんとマグダさんは、なかなかに魅力的な女性だと思っておりますわ。ちょっと羨ましいくらいに」
発言は全然高飛車じゃなかったが。
自分を持ち上げるためにこき下ろしてみたものの、どこかで引っかかりを覚えてたんだな。
なんだかんだ、こいつは知人を悪く言うようなヤツじゃないからな。
「むゎあああ! もう! 何をしても様になりませんわ! まったく、ヤシロさんのイタズラにはほとほと困りますわ! もうお帰りくださいまし。ワタ、ワタクシ、木材の準備がありますの。最高の木材を真剣に選ばなければいけないので忙しいんですわ」
急き立てるように言って、俺たちを部屋の外へと追いやる。
廊下へ出た俺たちを、室内の、ドアの陰からじっと見つめて、最後の負け惜しみを口にする。
「いきなりで驚いただけで、全然舞い上がっていませんので。勘違いなさいませんように!」
今お前に『精霊の審判』をかけたらどういうことになるだろうな。
「とにかく、素晴らしい木材を見繕っておきますわ。後日取りにおいでなさいまし」
「それじゃ、期待してるぞ」
「もちろんですわ。陸揚げされた大船に乗ったつもりでいてくださいまし」
絶対沈没しないな、その船。
「それでは、ヤシロさん、店長さん。ごきげんよう」
平常心を装いつつも、全然装えていないイメルダがドアを閉める。
やっぱり「可愛い」はイメルダ的には不服らしい。
「次来られることを、お待ちしてますにゃん」
最後に可愛いのぶっ込んできたっ!?
ドアが完全に閉まり、室内から弾むような足音が聞こえてくる。
……結構嬉しいんだな、「可愛い」って。
「じゃ、そろそろ行くか」
と、ジネットに目をやると。
じぃ~~~~~~……っと、見つめられていた。
あ、やっぱイメルダだけに言ったのはマズかったか?
そんな不安が胸に広がり始めた頃――
「くすっ」
不意に、笑い声が漏れた。
口元に手を添えて、ジネットが声を殺して笑っている。
「なんだ?」
「い、いえ……すみません……ふふ」
チラッと俺を見て、申し訳なさそうな顔をしつつも、こみ上げてくる笑いを我慢しきれないでいる。
……ってことは、笑われてるのは、俺か?
俺を置いて、イメルダ邸の長い廊下を先に歩き始める。
小さく揺れる肩を追いかけて、ジネットの隣に並ぶ。
「ヤシロさん、無自覚だったんですね」
目尻の涙を指で拭い、そんなことを言う。
無自覚……って、なんだ?
「結構おっしゃってますよ? 女の子に『可愛い』とか、『綺麗だ』とか」
「いや、言ってねぇだろ!?」
「『会話記録』を見ますか?」
「…………遠慮しとく」
くっ、自信ありげな顔しやがって……マジでそんなに言ってるのか、俺?
ジネットと並んで長い廊下を歩ききり、玄関ホールにいた給仕に見送られて館を出る。
そろそろ正午になろうかという空は、雨期だというのに快晴で、心地のよい乾いた風を俺たちに吹きかけてきた。
「でも、いいことだと思います。わたしは」
少しだけ紅潮した頬を冷ますように、顔を空に向けて鼻から息を大きく吸い込むジネット。
肺に酸素が流れ込み、胸が持ち上がり、おっぱいが突き出される。
「ご自由にお持ち帰りください」とか、どっかに書いてないものか。
「ヤシロさんは、誰かを喜ばせる達人ですから」
「そんな道を究めた覚えはねぇよ」
「その無自覚が、多くの人に幸せを運んでいるんだと思います」
「運賃取っとけばよかったな、じゃあ」
「くすくす」と笑うジネットは、いつもよりもほんの少しだけ楽しそうに見えた。
厨房にいる時は、心持ち精神年齢を上げて「しっかりしなきゃ」って肩肘張っているように見えることがある。
こっちのジネットが、本当に素のジネットなのかもしれないな。
年相応の女の子に見える。
「ヤシロさんが無理をしていなくて、言われた方も幸せになれるんですから、それはとても素晴らしいこと、ですよね?」
「なのでこれからもじゃんじゃん褒めてくださいね」とでも言いたげだ。
誰がお世辞の安売りなんかするか。見返りがある時は褒めてやるよ。いくらでも。
……そう考えているから、偏っているのかもしれないな。
いや、ほら。エステラは褒めれば金が出てくるから結構褒めているような気が……
「なぁ……」
「はい?」
「ジネットも、その……褒められたいか、やっぱ?」
「へ?」
女の子なら「綺麗だ」「可愛い」と言われたいものではないのだろうか。ジネットだって例外なく。
「わたしは…………以前、言っていただきましたから」
えっ!?
俺が、ジネットに?
いつだ? いや、そもそもそんなこと言ったか?
「あぅ……っ!」
その時を思い出したのか、ジネットの顔が茹で上がる。
その反応、マジで俺言ってるね!? 確実に言ってるよね!?
なんて言った? 「綺麗だ」? 「可愛いな」?
そんな覚えは…………………………んなぁぁああ思い出した!
アレだろ!?
俺が変な魔草とかいうのに記憶を食われかけた時!
最後にジネットの名前を思い出して、その後、ジネットと一緒に散歩しようってことになって……で、ジネットが俺のやったソレイユの髪飾りを付けてきて………………あぁぁあああ、言ってる! 俺思いっきり言ってるわぁ!?
…………忘れてほしい。
土下座、してみるか?
「あの、あの時は、その…………嬉しかった……です」
俯くジネットの髪が垂れて、隙間から真っ赤に染まった首筋が見える。
顔を背けるなら、首とかもきっちり隠してくれないかな?
感情、ダダ漏れですからね!?
「そ、そういうことなら…………まぁ、また……機会があれば……そのうち……」
くぉおう……ジネットの熱が伝染して、俺がまた妙なことを口走ってる!
なんだよ、機会があればって。
「あぁいや、ごめん。やっぱ今のキャンセ……」
「……はい」
「キャンセルで」と言う前に、ジネットの顔が持ち上がり、こちらを向く。
「……期待、しておきますね」
言葉を封じられた。
どうやら、キャンセルは不可能らしい。
じゃあ、まぁ…………機会があれば、な。
鼻から熱い息を吐き出して、前を向いて歩く。
まっすぐ前を向いて、黙々と歩く。
そんな感じで、ミリィの店に着くまでの間、俺たちは一言も口を開かなかった。
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