異世界詐欺師のなんちゃって経営術

分割版π(パイ)
宮地拓海
宮地拓海

追想編14 エステラ -3-

公開日時: 2021年3月12日(金) 20:01
文字数:3,347

「ねぇ……」

 

 悔しいなぁ……

 こんな単純なことで……心底嬉しいだなんて…………

 ヤシロの温もりが、こんなに落ち着くだなんて……悔しいなぁ。

 

 悔しいから、ボクも甘えて、ヤシロを困らせてやりたい……

 

「どうすれば思い出してくれるの、ボクの名前」

 

 うわ……ボクって、こんな甘えた声が出せるんだ……

 なんだか、変な感じ。

 

「昔のことを追想すれば、もしかしたら思い出せるかもしれないな。たとえば……乳首の色を教えてくれるとか?」

「教えたことないよね?」

「谷間に顔を埋めるとか」

「谷間があったためしがないんだ、残念だけどね……」

「俺の故郷では『当てている』という文化があってな、ぺったんこでも素肌同士ならそれはそれとして楽しいひと時が……」

「ヤシロ…………刺すよ?」

 

 ……君はこんな時にまで冗談ばっかり………………冗談、だよ、ね?

 

「だいたい……君は大きな胸が好きなんじゃないのかい? ボクのなんか……」

「バカモノ! 乳に貴賎はない!」

「……いいこと言ったつもりかい?」

 

 なんだか、ひっついているのもバカバカしくなってきたよ。

 そろそろ離してもらおうかなぁ……

 

「俺は好きだぞ、お前の胸」

「ふぇっ!?」

 

 バ、バカ! なにちょっと喜んでんのさ、こ、こんな、サイテーなセクハラセリフで……

 ……くそ。嬉しいな、くそ!

 

「弄りやすくて」

「よかったぁ、諸手を挙げて喜んだりしなくて」

 

 絶対刺してやる。

 

「お前と話すのは、楽しいんだよ」

「…………へ」

 

 ギュッと、ヤシロの腕に力が入る。

 ボクより大きいヤシロが覆い被さってくるようで……少しだけ、苦しい。

 けど…………嫌じゃ、ない。

 

 まるで、ヤシロがボクにすがりついているようで……少しだけ、ヤシロが震えているのが分かったから…………なんでだろう…………堪らなく、愛おしい。

 

「……なぁ。このまま、ちょっと聞いてくれるか?」

「…………ん。いいよ」

 

 耳元で聞こえる声に返事をする。

 顔は見えない。

 分かるのは、いつもよりも少しだけ頼りない声と、ヤシロの香りと……体温。

 

 ボクはそっとまぶたを閉じて、今感じるヤシロのすべてに身を委ねた。

 

 自然と腕が持ち上がって、ヤシロの背中を……ぽんぽんって、撫でていた。

 

「胸の話をすると、お前はいつもムキになるだろ」

「ムキになんてなってない。事実誤認を修正しているだけさ」

「そんで、怒って拗ねて、たまに油断してつい笑って……」

「ホント、疲れるよ。君といると」

「それがさ……好きなんだよな、俺」

「………………そっか」

 

 ……あぁ。なんで泣きそうになってるんだろ……なんで、こんなに嬉しいんだろ……サイテーなこと、言われてるはずなのにな、今。

 

「お前を忘れたくない……」

「え……」

「…………心底、そう思ったんだ」

「………………ぅん」

 

 心臓が、高鳴る……

 世界が、揺らめいていく……

 

 ヤシロ以外の何もかもが、世界から消失していく…………

 

「怖かった……お前に会って、話しても、……もし、思い出せなかったらって思うと…………なかなか、会いに行けなかった」

「…………っ」

 

 ヤシロ…………

 ダメだよ、ヤシロ…………

 

 泣かさないでよ……返事、ちゃんと出来なくなるじゃないか。

 

「待たせたか?」

「……っ!」

 

 そんなことない、って言いたかったのに、言葉が胸に閊えて出て来なかった。

 だから、精一杯首を振った。

 きちんとヤシロに伝わるように。

 

「………………よかった」

 

 はぁ~……っと、長い、とても長い息を漏らす。

 どれだけ不安だったんだよ…………ヤシロ…………

 

「怒ったり……しないよ…………順番くらいで……バカだな、君は……」

 

 いつしか、ヤシロの背中をぽんぽんと叩いていたボクの腕は、しがみつくようにヤシロの服を掴んでいた。

 ギュッと……強く。

 

「ん……そうじゃなくてな」

「ん……?」

 

 言葉を発するのが、こんなに難しいなんて思ったのは初めてだ。

 今のボクは、最小限の音を鳴らすのが精一杯になっていた。

 

 ヤシロの言葉を、耳が、心が……ボクのすべてが待っている。

 

 この次に聞こえてくるであろう、ヤシロの声を…………

 

 

「エステラ」

 

 

 ……ダメだ。これは、こらえきれない。

 

 

「ちゃんと思い出せたよ、お前の名前…………あぁ、よかった」

 

 

 ……涙が…………っ!

 

「……ャ…………ッ!」

 

 ……零れ落ちる。

 

「ヤシロォ!」

 

 服を掴んでいた腕を、今度はしっかりとヤシロの体に食い込ませる。

 もっと近く。もっと近くにヤシロを感じられるように!

 

「遅い……っ! 遅いよ、ヤシロ! まったく、一体どれだけ待たせるつもりなのさ!?」

「悪い……」

「許さない!」

「じゃあ、どうすりゃ許してくれるんだよ?」

「ボクの頼みを、なんでも一個聞いてもらう!」

「あぁ、ハンカチだろ? やるよ。好きなだけくんかくんかしろよ」

「なっ!? し、しないってば!」

「そうか?」

「そうだよ!」

「だって、お前…………今、ものすげぇ鼻くんくん言わせてるぞ?」

 

 鼻くんくん……と言われて……ボクはようやく自分の格好に気が付く。

 ヤシロの首に顔を埋めて……確かに、鼻をクンクン言わせている…………いやだって……ヤシロの匂いが落ち着くから……………………ぅぁぁぁぁあああああああっ!?

 

「な、ななな、なんで抱き、抱き、抱きついたりしてるのさ!? は、離れてよ! エッチ!」

「はぁ!? お前だろ、『ぎゅぅうう!』ってしがみついてるのは!?」

「しがみついてないですぅ!」

 

 両腕を伸ばして、ヤシロから一気に遠ざかる。

 

 体が離れても、全身にヤシロの匂いが残っている。

 ……むぁぁあ! 顔が熱い!

 

「……真っ赤な顔してんじゃねぇか」

「し、してないね! 真っ赤なのは、ヤシロの方だろ!?」

「は、はぁ!? お、俺はなぁ! あの、ほら、あれだ! 魔草! そう! 魔草に記憶を弄られててちょっとナーバスになってたんだよ! 記憶を食われるってのは相当な恐怖でな! ……お、ほら見ろ! 種だ! 全部こいつが悪い! 別に俺が抱きつきたかったわけじゃない!」

 

 と、小さな、ち~~~さな種をボクに見せつける。

 こんな小さな物のせいにして、男らしくない!

 

「ボクだって、君が泣いているから、慰めてあげただけだからね!」

「泣いてたのはお前だろう!?」

「泣いてないよ!」

「泣いてたね! 『精霊の審判』かけるぞ!?」

「やってみなよ!」

 

 むむむ……っと睨み合う。

 

 けど、途端に恥ずかしくなる。

 

 何やってんだろ、ボクら?

 

「……もぅ…………今回は、魔草が原因のことだから……その、忘れてあげるけど……つ、次からは、軽率に女性を抱きしめたりしないようにね!」

「わ、分かってるよ!」

 

 ほぅ……っと、息を漏らす。

 これできっと、また前みたいに普通に会話が出来る。

 

 

 ボクは、貴族で、領主だから。

 今はまだ、そういうことは……考えていられないしね。

 

「じゃ、帰ろうかな」

「おい。食堂に行くんじゃないのかよ?」

「今日は、もういい」

 

 とてもじゃないけど、食事なんか喉を通らないよ。

 

「帰るなら送ってくぞ」

「いいよ。街道は明るいし」

「そういう問題じゃないだろう」

「それに、ボクは君より強いんだから」

「そういう問題でもない」

 

 ボクが歩き出すと、ヤシロはボクの後を付いてくる。

 夜道が怖いのは君の方じゃないか。

 

 ボクは平気なんだよ。夜道くらい。

 

 なのに、ヤシロはずっと付いてくる。

 

「平気だってば!」

「俺が嫌なんだよ!」

「わがままだよ!」

「あぁ、そうだよ」

 

 開き直りだ。なんてヤツだ。

 

「強引な男は女子に嫌われるんだよ? どうするのさ、ただでさえモテないのに」

「うっせぇ」

 

 そして、隣にピタリと並ぶと、こちらを見ないでこんなことを言った。

 

「お前を一人で帰すくらいなら、他の女にいくらでも嫌われてやるよ」

 

 …………それは、ちょっと…………ズルいんじゃ、ないかい?

 こんな時に……このタイミングで…………そんな言葉を…………

 

「か……、勝手にすればっ?」

 

 ……もう、顔を見られない。

 なんだよ、それ……まったく、ヤシロは、まったく…………

 

 

 結局門の前までヤシロはずっと付いてきて、ボクが門をくぐると「じゃあな」って言って帰っていった。

 

 

 …………ヤシロ。

 また明後日、会いに行くよ。その時は、もっと普通に会話しよう。

 

 ……明日は、無理だ。恥ずかし過ぎて、顔を見られる自信がない…………

 

 

 私室に戻った後、自分の手にヤシロのハンカチが握られていることを思い出し……ボクは一晩中おのれの中の欲望と向き合って葛藤する羽目になってしまったのだった。

 

 

 

 

 

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