「そういえばさ。マグダはまだ寝ているとして、ロレッタは?」
「今日は泊まってないぞ」
「ハム摩呂さんのお話にあった『謎の声』が怖いって、妹さんたちがロレッタさんから離れなくて」
昨晩の状況を思い出して、ジネットがくすくすと笑う。
ハム摩呂の話は、同じ家に住む姉弟にとんでもない恐怖を与えたらしく、小さい妹たちがロレッタにしがみついて離れなくなったのだ。
「今日はおねーちゃんと寝るー!」
「一緒じゃなきゃ寝ないー!」
「お゛ね゛ーぢゃーん!」
「あぁもう、分かったですから、泣き止むですよ! あたしが朝まで一緒にいてあげるですから!」
妹たちがここぞという時に頼りにするのは、やっぱり頼れる長女なようだ。
次から次へと妹がロレッタに飛びついてしがみつき、最終的にはシャインマスカットみたいなシルエットになって帰っていった。
あれはあれでオバケ話として語られるんじゃないだろうか? 夜道を歩くシャインマスカットとして。
「そういえばヤシロ、知ってるかい? ミスターハビエルのこと」
「あぁ、そういえばあいつ、どこに埋められたんだ?」
「埋められてないよ。昨日は大人しかっただろう?」
まったくだ。
大人し過ぎて一切存在感がなかった。
小さなガキがわんわん泣いていたあの現場では「ワシが慰めてあげりゅ~!」とか言って暴走してさっくり刈られると思っていたのだが……
「静かだったのは事後だったからじゃないのか?」
「健在だったよ。胸にね――」
と、自分の胸を指差して可笑しそうにエステラが笑う。
「奥方の肖像画を持たされてたんだって」
なんでも、イメルダがベッコに母親の絵を描かせたらしい。
実家にある在りし日の母親の肖像画を見せて。
「ミスターハビエルは、奥方の肖像がある部屋ではいつも落ち着いた紳士なんだそうだよ」
「相当惚れ込んでたみたいだな」
「わたしも、イメルダさんから聞いたことがあります。お二人はいつも仲がよかったと」
で、肖像画のある館を離れ、四十区を離れ、四十二区なんて辺鄙なところへ来てしまうと自制の箍が外れてしまっていたようだ。
「効果は覿面だったみたいだね」
「だな。いないのかと思うほど静かだったぞ」
「奥様を大切にされる、誠実な方なんですね」
いやぁ、ジネット。嫁さんの肖像がなきゃ幼女に興奮して羽目を外すような変態はとても誠実とは言えないだろう。
というか、ハビエルを鎮めるためだけにベッコを四十区の実家に招いたのか、イメルダ……まさになりふり構わずって感じだな。妙な噂が立ったら……ま、立たないか。ベッコだしなぁ。
「なんにせよ、イメルダの作戦勝ちだったね。おかげでイベントがスムーズに進行したよ」
「死者も行方不明者も出ていないのか……たいしたもんだな」
「もう、ヤシロさん。ダメですよ」
くすくすと笑いながら俺の肩をペしりと叩く。
そんなジネットをモリーがじっと見つめ、ジネットが叩いた俺の肩をじっと見つめ、その後でエステラをじっと見つめ、物言いたそうな目で俺をじっと見つめてきた。
なんだよ?
何が言いたいんだよ?
言わなくていいけど、その目はやめろ。
「ごめんくださいまし!」
「お、噂をすれば」
イメルダの声がして、エステラが入り口の方へと振り返る。
一方、俺とジネットは顔を見合わせた。
イメルダがこんな朝早く、教会への寄付の前に陽だまり亭へ来ることなんかそうそうない。
あったとすれば、オバケが怖くて誰もいない自分の館から逃げ出してきた時くらいだ。
「エステラさん……」
「ちょっ、イメルダ、どうしたのさ? 顔が真っ青だよ?」
「なんですの、あの人魚は!? 何上戸ですの、あれは!?」
「あぁ……マーシャね。はは、面倒くさいだろう?」
「領主&金物コンビに引けを取らない面倒くささでしたわ……人見知りくらいすれば可愛げもありますのに……っ!」
「あはは、マーシャは誰とでもあんな感じだから」
「だとしたら痴女ですわ!」
「あっ、相当気に入られたみたいだね」
何があったんだよ!?
気に入られたら痴漢してくるのか、あの人魚は!?
「人の胸は散々揉み倒しておいて、自分の胸は指一本触れさせないとか、どういう了見ですの!?」
「身持ちの堅い娘なんだよ」
「同等の配慮をこちらにもくださいまし!」
「あはは、本人に言って。聞かないと思うけど★」
エステラが嬉しそうだ。
マーシャの面倒くささを共感してもらえたことが嬉しいのだろう。
……女子同士って、大変なんだな。
「……ハロウィンが終わるまで、VIP待遇を望みますわ」
「ボクも大変だったんだよ。昨日なんかナタリアまでさぁ……」
その後、酔いどれ美女を背負い込んだ二人は互いの経験した苦労話を、というか、愚痴を互いに吐き出して妙な連帯感を生み出していた。
すっかり仲良しだな、お前ら。
「もう少し眠りたいですわね……安全な場所で」
「でしたら、わたしの部屋を使ってください。客間はモリーさんが使用されていますので」
「それには及びませんわ。ヤシロさんの部屋が空いておりますもの」
「空いてても使うなよ、婦女子」
ははーん、お前さては、噂とか一切気にしないタイプだな?
「俺のベッド使ってもいいけど、起きたら陽だまり亭を手伝えよ? 今日、ちょっと出かけるから」
「教会への寄付から戻ったらお起こししますね」
「仕方ありませんわね。ワタクシの華麗なるおにぎりを振る舞って差し上げますわ」
こいつ、後半にようやくコツを掴んで「さぁ、これから!」って時にご飯がなくなって不貞腐れてたんだよなぁ。
そうかそうか、握りたいのか。
というか、誰かに食わせて「美味い」って言わせたいのか。そうかそうか。
「マグダとロレッタに、モリーとイメルダがいれば今日は回るだろう」
「そうですね。お客さんも少ないでしょうし」
「それはダメですわ! 折角ワタクシがいるのですから、溢れるくらいの集客をしなくては!」
「いえ、あのイメルダさん。私たちだけの時にそんなたくさん来られると、困りますよ?」
「平気ですわ、モリーさん! ワタクシがいるのですもの!」
「えっと……」
「モリー、イメルダの実力はおそらくお前の想像通りだ。期待はせず、生温かい目で見ておいてやれ」
四十二区の濃い連中にはまだツッコミ切れないモリーに、助けを求めるような目で見られたのだが、その辺はもう慣れてもらうしかない。
大丈夫。たぶん害はないから。
たぶん。
自信はないけど。
「では、もう一眠りして参りますわ」
眠気が押し寄せてきたのか、イメルダがあくびを噛み殺して厨房へと入っていった。
「寝て起きたら『帰る』とか言い出すかもしれんな、あいつは」
「えっと、ヤシロさん。その場合はどうすれば?」
「武器が必要ならアッスントに頼んで――」
「もう少し平和な解決方法でお願いします」
え~、それが一番手っ取り早いのに。
「マグダに任せとけ」
「なるほど。頼りになりますもんね、マグダちゃん」
そうだな。
特に、そーゆー人種の扱いにかけてはピカイチだ。
任せておけばいい。
「それでは、マグダさんをお起こしして教会へ向かいましょう。今日は忙しくなりそうですね」
日中の予定が二つもある。
客が来そうにない日だってのに、俺は忙しいことが確定していそうだな、こりゃ。
なにせ、今回の目的はゼラチンだ。
テングサから作る寒天とは違い……ヤツは作るのがすげぇ大変なんだよなぁ。
牛や豚の腱や皮を煮込んで、アルカリ処理をして……熱も酷いし臭いも凄まじい……ちょっと憂鬱になる作業だ。
けど、それを覚えさせてやれば牛飼いも少しは大人しくなるかもしれない。
新しい販路が見出せれば……
そんなことを考えて、教会の寄付やら開店準備を済ませた後で、俺たちは牛飼いのもとへと向かった。
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