「ヤシロ、いるかい!」
大雨の中を、外套も羽織らずに傘を差してやって来たエステラ。
……知ってるぞ。イメルダの日傘が四十一区女子の間で「可愛い! お洒落!」って持て囃されたのを見てから、お前がこれ見よがしに傘を差して出歩いてるってことをな(ナタリアによる確かな情報)。
でもなエステラ。
日傘と雨傘は違うからな。
「素晴らしい情報が手に入ったから、是非君に教えてあげようと、こんな大雨の中を大急ぎでやって来たわけだよ。嬉しいだろう?」
「ってことなら、俺は聞かん」
どうせろくでもない情報だ。
エステラがあんなに嬉しそうな顔をする時は、大抵俺に不幸が降りかかる時なのだ。忌々しい。
「実はね、四十一区の『美の通り(仮名)』の名前候補が二つに絞られたんだよ」
「聞かねぇっつってんだろうが」
「いやいや、聞いておいた方がいいと思うよ。もし聞かなければ、君はきっと後悔する」
「…………話してもらおうか」
「んふふ。しょーがないなぁ。では教えてあげよう」
これでもかと、おしげもなく、とどまることを知らないドヤ顔をさらして、エステラがその正式名称の候補とやらを発表する。
「『ヤシロ・アベニュー』!」
「却下だ!」
どこのどいつだ、そんなふざけた名前を応募しやがったイタい人間は!?
「す、すごいです、ヤシロさん……通りの名前に採用されるなんて……」
「されてないから! されそうになっても断固妨害してやるから!」
「……ヤシロが歴史に名を刻んだ瞬間」
「刻んでねぇし、刻んでたまるか、そんなとこに!」
俺は、歴史の裏側で暗躍して一人儲けを甘受してほくそ笑む、そんな人生が理想なんだよ。
表舞台に立つことも、陰で世界を操るなんてこともやるつもりはさらさらない。
名前なんぞ刻まれてたまるか。
「どういう了見なんだ、そのふざけた名前は?」
「公正な審査の結果さ」
「あぁ、なるほど。リカルドの嫌がらせか……あのヤロウ」
「違う違う。リカルドは全力で反対したらしいよ。『あんな野郎の名前が俺の四十一区の一角に付けられるなんて縁起でもねぇ!』って」
「それはそれで……あのヤロウ」
なんだろう、何をされてもムカつくな、あの筋肉領主には。
「けれどね、この名前を推す女性が後を断たなくてね」
「女性が……ですか?」
驚いた顔をして疑問を口にしたのはジネットだった。
おっさんの嫌がらせであるならば納得は出来るのですが……ってことではないのだろうが、ジネットの場合は。けど、女性票を集めているってことには、俺も疑問を持たざるを得ないな。
あの街の女性たちには、俺はとことん怖がられているはずだからなぁ……大食い大会以降。
「君の演説が心に刺さったらしいよ」
「演説?」
「ほら、参加してくれた女性たちをその気にさせるために言っただろう? 『素敵やん』って」
………………え、刺さったの? そんな面白ワードが?
いや、刺さるように言いはしたんだけど。
「四十一区には、どうにも女性の機微には疎い男性が多いみたいでね。君のように女性の美しさを褒めたり、美しくなりたいと思う気持ちを肯定してくれたりする異性は珍しかったんだよ」
いや、だからって……
「正式名称選考の会場前に大挙して押し寄せてきたらしいよ、女性たちが」
「『ヤシロ・アベニュー』を採用しろってか?」
「そう。あんな大規模のデモは、四十一区では初めてのことらしいよ。狩猟ギルド優先の影響で仕事を奪われた者たちが大勢いたにもかかわらず、領主に意見一つ言わなかったあの街でだよ? すごいよね」
「すごいっていうか……怖ぇよ」
なに、デモって?
そこまですることか、街の中のほんの一角に名前を付けるだけのことで。
「ごめんくだされ。ヤシロ氏はご在宅でござるか?」
うっすらと背筋に寒さを感じているところへ、ベッコがユニークな顔でやって来た。
「こんな緊迫した状況だってのに、ふざけた顔をするな!」
「この顔は生まれついてのものでござるよ!?」
外套を脱いで、メガネに付いた雨の滴を袖で拭い、俺の前までやって来る。
「……ベッコ。外套を」
脱いだ外套を小脇に抱えたベッコにマグダが近付いていく。
そうだな。濡れた外套はカウンター横の外套掛けに掛けておかなきゃな。
マグダもしっかりと一人前のウェイトレスに――
「……あそこにフックがあるから、掛けてくるといい」
――は、まだもうちょっと届かないかなぁ。
まぁ、ベッコ相手では仕方がないと言えるか。うん、これはベッコが悪い。
「ヤシロさん。このお店の『常連ほど雑に扱っても心が痛まない』システム、一度見直した方がいいんじゃないかと、オイラは思うッスけど……」
「なんだよウーマロ。マグダとベッコ、どっちが悪いと思ってるんだ?」
「そりゃベッコッスよ。マグダたんに悪いところなんて一つもないッスから」
「ウーマロ氏も、きっちりとヤシロ氏派閥のお人でござるよ……」
全会一致でベッコの有責が可決されたところで、ベッコがここへ来た目的を語り始める。
「それよりも、一つお耳に入れておきたい情報があるのでござる」
先ほどまで話をしていたエステラに軽く断りを入れてから、ベッコが俺に向かってとんでもない情報を寄越してくる。
「四十一区の『新たな通りの名称を考える会』という市民団体から、ヤシロ氏の特大イラストの依頼があったでござる」
「はぁ!?」
「なんでも、新たな通りのシンボルに推奨するべく領主様に訴えかけるため、早急に必要とのことでござった。ゆくゆくは、通りのいたるところにヤシロ氏の肖像画や銅像を設置したいのだそうでござる」
なんてろくでもない市民団体なんだ……
「ね、分かっただろう? このまま放置して『ヤシロ・アベニュー』なんて通りが誕生したら…………ボクの腹筋がもたないよ……ぷっくく」
「楽しそうだな、チクショウ!?」
小腹を抱えて笑いをこらえるエステラ。
他人の不幸を面白がるヤツには、必ず報いがあるんだぞ!
たとえば、俺が暗躍して豊胸エステの店の名にお前の名前を付けさせるとかな!
『ぺったんこエステ(ラ)』とかな!
「どうやら、先日のイベントで拙者の作品を見て依頼してくれたようでござる」
ベッコには、バルバラのビフォー・アフター比較のためにイラストを描いてもらった。
その速さと精度、そして生き写しのような出来栄えに会場は大いに湧いていた。
ちぃ、誰だよそんなデモンストレーションやらせたの、俺だよ、チキショウ。
「他区からの依頼ということ自体は嬉しかったのでござるが、念のためヤシロ氏にお伝えしてからと思い、『通りの名前が正式決定するまでは保留』ということにさせてもらったでござる」
「お前にしては、随分と慎重な判断だったな」
こいつは、暇さえあれば俺の蝋像を作ったりしていたのに。
「これは、芸術家としての些末なこだわりなのかもしれないでござるが…………拙者の意志とは異なる方向でヤシロ氏の名声が轟くのはなんか悔しいでござる」
「なに言ってんのお前?」
「ヤシロ氏は『美のカリスマ』などではなく、『民衆を導く解放の英雄』でござる!」
「どっちでもないけど!? つか、なに、え、俺四十一区で『美のカリスマ』とか言われてんの!?」
そんな連中のたむろする場所に俺の肖像画とか……ベッコを土に還してでも阻止しなければ。
「ベッコ、今までそれなりに楽しかったぜ☆」
「そうならぬように、拙者保留をかけたでござるよ!? 最終手段を真っ先に考慮するのはご勘弁願いたいでござる!」
しかし……
この街の連中は単純過ぎる。
四十二区だけじゃなくて、四十一区の連中もだ。
要するに、これまでずっと『それはそういうものだから』という固定観念により我慢を強いられてきたということなのだろう。
当たり前に甘受しなければいけなかった苦しみから抜け出すための道を示してくれる相手に、少々極端な依存心を持ってしまうのだ。
それもこれも、まともな生活改善策を取ってこなかった領主が悪い!
もっとちゃんと領民のこと考えとけよ、アホ領主め!
………………とか言うと、まるで俺がいい人みたいじゃねぇか!
んなぁぁぁあああああ!
「リカルドのアホー!」
「なんだかいろいろなことがごちゃごちゃになって、そこにたどり着いたんだね。まぁ、理解は出来るよ、ヤシロ」
分かったような顔で俺の背に手を載せるエステラ。
こいつは味方のような顔をするが、ちょいちょい敵なんだよな……
味方だと確信できるのはジネットくらい…………いや、待て。
ジネットも、ある条件下では俺の敵に回るんだ。
その条件が……俺の蝋像。
こいつは、何かというと俺の蝋像を手に入れようと、そして飾ろうとする。
今回みたいに、俺の銅像だの肖像画だのが設置されるなんて話を聞いたら、きっとキラキラした目で………………ちらっ。
「…………」
…………きらきら、してないな?
こそっと窺い見たジネットの顔は、どこか不満そうで、微かに沈んでいた。
あ、ほっぺたがぷくって膨らんだ。……萎んだ。…………思い立ったようにまた膨らんだ。
……えっと、今のこいつの感情を読み解くと…………「なんだか気に入らないなぁ……でも、みなさんが楽しみにされているのならわたしが文句を言うわけには……でも、なんかやだなぁ」みたいなこと、か?
読み終わったら、ポイントを付けましょう!