――まぶたを閉じて、神経を集中する。
風の流れ、大気の温かみ、酸素の香り。そこに存在するすべてのモノと一つになるような感覚で、意識が世界へ溶け込んでいく。
五感のすべてを解き放つ。
無と有の狭間において、俺は、世界を把握する――
たゅ~ん。
「ジネットか」
「ぅええ!? どうして分かったんですか!? 今、目を閉じていましたよね?」
陽だまり亭の奥の方、いつもの席に座って瞑想していた俺に近付いてきたジネットが驚愕の声を上げる。
……ふっ。なぁに、大したことじゃないさ。
「日頃の修練の賜物だ」
「何の修練をしていたんだい、まったく……」
「おぉ、エステラか」
揺れる音がまったくしなかったから――
「気が付かなった」
「なんだろう。今の一瞬の間に、ほのかな殺意を覚えたよ」
研ぎ澄まされたナイフのような目で睨み、研ぎ澄まされたナイフをちらつかせる。
はっはっはっ、おいおい、本物を持ち出すのはダメだろう。逮捕されちゃうぞ☆
「何をなさっていたんですか?」
「いや、ここ最近遊んでばっかりだったからな。ここらへんで気を引き締めておかなきゃなと思ったまでだ」
「遊んで……? あぁ、ハロウィンとかミスコンテストとかですか?」
そう。
ここ最近街を挙げていろんなイベントをやりまくっていたせいで、ぜ~んぜん人を騙していない。
こんなことでは、俺の詐欺スキルが鈍ってしまう。
そう思って、ここらでピシッと修行の一つもしてみようと、そう思い立ったわけだ。
「最近気が緩んでいたからな、五感を鍛えていたんだ」
ついでに、こういうたゆまぬ努力の片鱗をチラ見せしておくことで、「あ、だからヤシロさんってばそんなにすごいのね! パンピーとはレベルが違うわ! ステキ!」と思わせられるという副次的効果も狙っている。
「君は、年中そんなくだらないことをしているのかい? ……嘆かわしい」
おかしい。
賞賛の目を向けられるべきタイミングで、物凄くしょっぱそうな顔を向けられている。
エステラなら、日頃の修練の大切さを分かってくれると思ったのだが……
「あのな。修練ってのは積み重ねが大事なんだよ。練習を一日さぼると取り返すのに三日はかかると言ってな。そういう点では、ピアノもおっぱいも一緒なんだよ」
「絶対一緒じゃない」
なぜか理解が得られない。
お前だって、毎日の修練で神経を研ぎ澄ましているくせに。
というか、ピアノってこの街にもあるのか?
歌劇があるならあっても不思議ではないか。
まぁ、そんなことはどうでもいい。
エステラが毎日修練を欠かしていないという証拠を、今ここで、俺が見せてやろう。
懐から五枚のカードを取り出す。真っ白で同じ形、同じ大きさのカード。
そのうちの四枚に『ちっぱいの呪い』という文字を書き、一枚は白紙のままにする。
それを裏返し、入念にシャッフルして、完全に分からないようにする。
そして、カードを広げてエステラの前に差し出す。当然表は見えないようにして。
「さぁ、引いてみろ!」
「ふん!」
エステラは、迷うことなく白紙のカードを引き抜いた。
「おぉ~!」っと、いつから見ていたのかマグダとロレッタが拍手を送る。
「これが、修練の賜物だ」
「ボクはこんなくだらないことのために、日々修練を積んでいるんじゃないんだけど?」
「「「えっ、違うの!?」」違うです!?」
「うるさいよ、君たちは! 本当に!」
こ~んな適当に書かれた、なんんんの影響もないような『ちっぱいの呪い』なんてものにまで気を揉んで意地になって避けたがる、それがエステラというヤツだ。
「この揉みたがり」
「そんな非難の言葉を受ける謂れは一切ないんだけれど?」
ティータイムが終わり、客が退け、洗い物も粗方終わった暇な時間帯。
俺はいつものように、いつもの場所で、いつも繰り返されるくだらないバカ話に興じていた。
要するに、暇なのだ。
「あぁ……遊びたい」
「ついさっき、遊び過ぎて気が緩んでるって言ってたところじゃないか」
バカモノ。
確かにイベントはたくさんやったさ。
運動会にハロウィンにミスコン。その間に教会のパンの改革まで行ったし、素敵やんアベニューとかいうもんにまで口を出した。
それ全っ部、忙しかったから!
俺、超忙しかったから!
休ませろよ、俺を!
自分の時間をちょうだい!
思う存分詐欺を働きたぁ~い!
「エステラ。なんの御利益もないくせにやたらと見栄えだけはする胡散臭い壷を高値で買う気ない?」
「いらないよ、そんなしょーもない物!?」
そっかー。
もし欲しそうなら、ここぞとばかりに売りつけてやったのになぁ。
「あの、ヤシロさん。もしかして、お金が必要なんですか?」
「いや、金はある。いるかいらないかと聞かれればめっちゃ欲しいが、とりあえず現状金に困っているようなことはない」
「そうですか。それなら安心ですね」
ほっと胸を撫で下ろすジネット。
エステラの八倍くらいの時間をかけて胸を撫で下ろすジネット。
エステラのように、最短ルートは通れないからな。
「お金はあるけれど満たされていない。つまり君は、また何かトラブルにでも巻き込まれたいと、そんなことを考えているのかい?」
「おい、やめろ。そーゆーのは口にするとマジで寄ってくるんだからな! トラブルなんぞ御免だ」
今年はもう散々面倒くさいトラブルに巻き込まれたからな。
『BU』からの難癖とか、……そういや、ルシアと出会っていろいろあったのも今年だっけ?
もう十分だろう。あとは平穏無事に年末を乗り切りたいところだ。
でもまぁ、そうだな……
「これだけは言っておいた方がいいか」
「なんですか?」
真剣な表情をする俺に、ジネットとエステラの表情も少し引きしまる。
マグダとロレッタも、ジネットたちの後ろから俺の顔を見つめる。
「ジネットが胸を撫で下ろすと、エステラの八倍くらい時間かかるよな」
「そーゆーしょーもないことはわざわざ言わなくていいから!」
「確かに、エステラさんと店長さんでは、移動距離が違い過ぎるですからね」
「うるさいよ、ロレッタ!」
「……エステラは最短距離」
「君もね、マグダ!」
「もう、ヤシロさん。懺悔してください!」
俺以外の連中が騒がしくしているにもかかわらず、俺だけが怒られる。
いつものことだ。
あぁ、本当に変わらない。
だって、ここは――
ここは、陽だまり亭。
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