「それで、何をするんですが?」
「漁のための下準備です」
そう言って、少年が腰にぶら下げたカゴの蓋を開ける。
興味深そうにそのカゴを覗き込むモリーに、少年はカゴの中身を取り出して見せる。
そいつは、げじげじしていて、うにょうにょしていた。
「ゲジミミズです。魚のエサにするのでたくさん獲ってくださいね」
そいつは、ざざ虫みたいな節くれ立った足を持ち、げじげじのように全身に毛が生えた、ミミズのような長さと『うにょろん感』を併せ持った、女子が悲鳴を上げそうな生物だった。
「ぃにゃぁぁあああああああ!?」
そして案の定モリーが悲鳴を上げた。
いきなり顔面の真ん前にアレは、きついよな。俺でも声出るわ。
ただし例外はいて、ジネットは「あ、ゲジミミズさんは水場に多いですよねぇ」なんて笑顔でうにょろ~んとした生き物を見ていた。
あんなもんにまでさん付けしなくてよろしい。
「モリーさんは、虫さんが苦手ですか?」
「い、いえ……ミミズは、畑仕事で慣れているので……好きではないですけど、まだ大丈夫なんですが…………そ、それは、なんか、物凄く凶悪というか……」
「何言ってんだよモリー。こいつは魚の食いつきがいいんだぞ」
「すみません、私魚じゃないんで良さが理解できません……」
「じゃあ、捕まえるのは自分たちがやりますんで、手伝いだけお願いします」
少年にそう言われて、ジネットの背中に隠れたモリーが「そ、それなら……」と涙目でカクカク頷く。
すると少年は河原に点在する高さ1メートル級の岩を指差す。
「あぁいう岩の下にたくさんいるので、頑張って持ち上げてください」
「サイズ、間違えてませんか!?」
「警戒心の強い虫なんです。美味しいから、敵も多くて」
「お、美味しい……ん、ですか?」
「あ、魚や鳥にとっては、ですよ」
屈託なく笑う少年たちに、モリーの顔が盛大に引き攣る。
あぁ、獣人族でもどん引きすることってあるんだ。
マグダなら片手で持ち上げそうなサイズだなぁとか思ってたけど、パウラやネフェリーには無理かもなぁ。
「モリー。それが出来るようになれば痩せるぞ」
と、デリアは言うが、んなアホな。
「分かりました! やります!」
と、モリーがやる気になったが、んなアホな。
「どうしよう、ジネット。残念な娘しかいなくてツッコミが追いつかない」
「えっと……女の子の悩みは大変なんですよ」
だから命がけなんですって? んなアホな。
「それじゃあ、自分こっち待ちますんで、お姉さんはそっちお願いします」
少年の一人とモリーが岩を持ち上げて、他の二人がゲジミミズを獲るらしい。
「お姉さん…………あはぁ」
と、その前にモリーが『お姉さん』という響きにうっとりしている。
妹だしな。憧れでもあるのかねぇ。
いつの日か『先輩』と呼んでくれる後輩が出来たらねこっ可愛がりしそうな気がする。モリーも結構ネフェリーと同じ性質を持っているんじゃないだろうか。気が合うかもな。
「それじゃあ、お姉さんに任せてください!」
すっかりやる気になったモリーが、岩を抱えるように腕を回す。
岩を挟んで向かい合った少年と視線を合わせて「せーの!」と掛け声を揃えて岩を持ち上げる。
ズズズ……と、ゆっくりと大岩が持ち上がり、岩の下に身を隠していたゲジミミズたちが驚いて一斉に逃げ出してくる。
ぞわっと這い出してきたゲジミミズの中の一匹が、岩のそばで踏ん張るモリーの足の上をカサカサうねうねと通過していく。
「ぅひゃぁぁあああああああああっ!」
肌を撫でる感触にモリーが特大の悲鳴を上げて、抱えていた大岩をぶぅん! ――と放り投げる。
「やだ! 取って取って取って!」
なんて大騒ぎしているモリーを見ているヒマもなく、俺は大空に放り投げられた大岩を必死に視線で追っていた。
だってこの軌道――
「こっちに投げるな、モリー!」
頭上から振ってくる大岩に身がすくむ。
咄嗟に逃げなきゃいけないのに一歩が出なかった。
砂利に足を取られて走りにくい。あんな大岩、受け止めることも弾き返すことも出来ない。
だから、俺が選べる選択肢は一つしかなくて、大岩に背を向けてまぶたをぎゅっと閉じた。
「あっぶねぇなぁ、もう!」
あわや直撃か、という寸前で、デリアが大岩をキャッチしてくれた。
片手で。
「大丈夫かヤシロ、店長も?」
1メートル×2メートル×50センチくらいの岩を片手で持って、デリアが俺たちの顔を覗き込んでくる。
なんて頼もしい。
筋肉って、そこまで強化されるもんなんだね。すげぇよ、獣人族。
「すまん、デリア。助かった」
「なぁに。よくあるからな、こういうことは」
よくあるのかよ……
「それより、店長大丈夫か? なんか一言もしゃべらなくなったけど」
デリアはそう言って、俺の腕の中で固まるジネットに視線を向ける。
いや、違うんだ。
まず説明させてほしい。
急にでっかい岩がこっちに向かって飛んできてだな、自分一人なら横っ飛びでなんとか回避できるんじゃないかなぁとは思ったんだが、俺の隣には四十二区でおそらくトップ3に余裕で入る鈍くささを持ったジネットがいたわけで、俺が回避してもジネットは確実に回避できないと分かりきっていたわけで、だからといってジネットを抱えて飛び退くには時間が足りないというか、俺の筋力がちょっと不足していたというか、だからってジネットを突き飛ばして俺だけが犠牲になるのもおそらく後々大変なことになるというか、万が一それで俺に何かあったらジネットはきっと一生それを引き摺るに違いなくて、じゃあどうするんだってなった時に残されていた選択肢がジネットを庇うってのしかなかったというか…………とりあえず一言だけ言わせてほしい、下心などなかったと!
「ジネット……大丈夫、か?」
「は……はぃ…………あの……いい匂い、です」
おぉーっと、大変だ。全然大丈夫じゃなさそうだ!
「店長、なんか顔赤くないか?」
と、ジネットのおデコに手を当てるデリア。
その前に、その片手で持ってる巨大な岩を下に置こうか?
頭上でふらふらしてんの、超怖いんだわ。
とか思っていると、岩の裏に張りついていたゲジミミズがぽとりと落下していった。――ジネットの胸の谷間に。
「何しとんのじゃこの虫ー!?」
習性なのか、警戒心からか、岩の下から表に出されたゲジミミズは狭い隙間を求めてどんどんとジネットの谷間へと潜り込んでいく。
「ぬゎゎあにしとんのじゃぁあああこの虫ぃいいいいー!?」
怨嗟、十八倍増しである。
あの虫は万死に値する!
悪・即・潰!
握り潰してやる!
罪深きムシケラめぇぇええ!
「ジネット! 今すぐ取ってやるからな!」
「ふにゃぁあああ!? ヤッ、ヤシロさんはダメです! じ、自分で出来ますから!」
両腕で俺の両肩を押して腕を突っ張るジネット。
抱っこを嫌がる室内犬みたいになっている。
なぜだ!? 親切なのに!
物凄く羨ましいだけなのに!
俺もあの隙間に住み着きたいのに!
「店長、そのまま動くなよ」
「へ?」
軽~く言って、デリアが何の躊躇いも見せずにジネットの胸の谷間に手を突っ込んだ。
「ひにゃぁぁあああああ!?」
二度ほど「もぞ、もぞ」っとして、すぽっと引き抜かれた手にはしっかりとゲジミミズが摘ままれていた。
「おい、見習い! これもしまっとけ」
「ちょっと待て、デリア。それ、俺にちょうだい!」
「ヤシロさんっ!」
違うんだ!
谷間に挟まった虫が欲しいんじゃない!
俺はあの大罪を犯した虫に厳正なる処罰を科してやらなければ気が済まないのだ!
せめて、ヤツがオスかメスか、それだけは調べなければ! それで刑罰が変わるからな!
「デリア、そいつオス? メス?」
「ゲジミミズはオスもメスもいないぞ?」
「クッソ、雌雄同体!」
どうしてくれよう、このやり場のない怒り!
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