「あ、あの……今聞いたことは忘れますので、手荒な真似はやめていただけますか?」
そっと俺の腕を掴んで、ジネットがギルベルタに訴える。
細い声は微かに震え、俺の腕を掴む手にはきゅっと力が入っている。おそらく、少し怖いのだろう。それでも、……これって、俺を守ってくれてるつもりなんだろうな。
実際、ギルベルタの視線が俺からジネットへと逸れている。
鷹のような鋭い目が、ウサギのようなほわほわしたジネットを捉えている。
その鋭い視線が、不意に下降した。
「…………おっぱいの人」
「にゃっ!?」
爆乳を凝視しつつ、ギルベルタが呟く。
視線の行き先に気付いたジネットが、慌てて胸を隠すも、腕に押しつけられて余計にけしからん状態になってしまっている。
どっちもグッジョブだっ!
「おっぱいの人が、二人も……」
「あ、あのっ! わたしは違いますからね!?」
頬を染め、必死に否定するジネットなのだが……わたし『は』って…………俺も、違うからな?
「おっぱいの人だらけなのかも、四十二区は」
「やめてくれるかな、そういう間違った認識を抱くのは!?」
このまま放置すると、有りもしない妙な噂が蔓延しかねないので、エステラの発案により、俺たちも自己紹介を行うことになった。
……その際、なんでか「まったく、ヤシロのせいでっ!」と、理不尽な怒りを向けられたのだが…………納得いかん。
「うむ。理解した、私は。名前覚えた、あなたたちの」
一人一人の顔を確認するように順番に見つめ、ギルベルタが頷く。
そして、俺、ジネットの順で指さす。
「おっぱいのヤシロ。おっぱいのジネット」
「その覚え方、やめていただけませんか!?」
涙目で訴えるジネットを軽やかに無視して、ギルベルタの指がすすすっと、下降する。
「ジネットのおっぱい」
「やめてくださいってば!?」
う~ん……粗相って、まさにこういうヤツのことだと思うんだけどなぁ……
「ちっぱいのエステラ」
「それは宣戦布告かい、ギルベルタ?」
些細なことですぐに目くじらを立てるエステラ。事実を指摘されて青筋を立てる。
まったく、どこに行っても騒ぎを起こす困ったちゃんめ。
ちょっと変わった給仕長ギルベルタと話をしているうちに、ハビエルの馬車は御者によってどこぞへと運ばれていった。
すぐそばにはなんとも豪奢な屋敷が建っており、一目で領主の館だと分かる。
威厳と品格を醸し出す、少し硬いイメージのある建物だ。
三十五区は海に近い港町だから、もっと陽気な街並みかと思っていたのだが……なかなかどうして、規律に厳しそうなお堅い印象を受ける。
乱れなく整然と並んだレンガの道なんかが、そんなことを思わせるのかもしれないな。
領主の館は、大通りから少し外れた場所に作られるのが普通なようで……まぁ、領主の館は観光名所でもないし、大通り沿いに作ったりすると何かと問題が起こるだろうから当然といえば当然だが……三十五区の領主の館も例に漏れず、静かな場所に建っている。
これから大通りを抜けて、ウェンディの実家を目指すわけだが。はてさて、どんな街並みなのか、少し興味があるな。
四十二区の落ち着いた賑わいも悪くはないのだが、やはりこういう大きな街の雑踏というものには心躍るものがある。
お祭り民族日本人の血が騒ぐのかもしれないな。
まぁ、人ゴミは大嫌いなのだが、遠くから眺める分には問題ない。
「それじゃあ、そろそろ行こうか」
ギルベルタと、馬車の受け渡し等のアレコレを確認していたエステラが、会話終わりで俺たちへと声をかける。
日帰りの予定なのであまりのんびりはしていられない。
片道数時間とはいえ、あまり遅くはなりたくないのだ。明日に響くからな。
ウェンディの両親に会い、出来ることなら結婚式への参加を取り付けたい。
それがうまくいけば、三十五区の領主にも挨拶などをしたいのだが……時間が読めないな。
とにかく、迅速に行動するに越したことはない。
「じゃあ、ウェンディ。案内してくれるか」
「はい。……少し、気が重いですが……」
ウェンディが軽くスパークする。
家族を思い、ちょっと気分が沈んだのだろうか……家族仲、そんなに悪いのかよ…………
「これは面白い現象……興味深い思う、私は」
パチパチと光ったウェンディに、ギルベルタが興味を引かれたようだ。
鋭く尖っていた視線をまんまるく見開いている。
「あ、あの……な、なんだか、すみません」
ジッと見つめられたウェンディが、どうしていいか分からず、とりあえず謝るという謎行動を取る。
あるけどね、意味も分からず謝っちゃうこと。
「おっぱいは、普通、あなた」
「す……すみません、なんだか……普通で」
うんうん。
意味なく謝っちゃうこと、あるよね。
この場合謝るべきはギルベルタなんだけどね。
「あなたを見ていると、今朝見かけた人を思い出すする、私は」
ギルベルタが両手を使って、その見かけた人物の説明を始める。
「朝一番で、四十二区からの乗合馬車に乗ってきた女性で……パチパチ光る彼女より、もう少し大きくて、つんと上を向いたおっぱいをしていた」
「えっ!? レジーナがこの街に!?」
「なんでおっぱいの情報だけで人物を特定できるのさっ!?」
驚く俺に驚いた様子で、エステラが声を上げる。
いや、ウェンディよりちょっと大きくてつんと上向きといえばレジーナかなって思っただけだよ。
だが、俺の予想が当たっている可能性は極めて低い。
なぜなら、人見知りをこじらせた重度の引きこもりであるレジーナが、こんな遠い区にやって来るはずがないからだ。
きっと別人だろう。
「その女は、ちょうど、そのような服を着ていたと記憶する、私は」
ギルベルタが「そのような」と、ウェンディを指さす。
ウェンディの服は、いつもながらに日光を避けるような真っ黒な服だ。
ふんわりとしたスカートにシンプルなシャツ。その上に柔らかそうなストールを羽織っている。そして、つばの大きな帽子に日傘。それが今のウェンディの服装なのだが……これに似た服装の女?
「……やっぱり、レジーナさんなんでしょうか?」
「いや、まさか……」
ギルベルタの言葉を受けて、ジネットとエステラが顔を見合わせる。
情報だけを繋ぎ合わせれば、限りなくレジーナに近しい人物像が浮かび上がる。
だがしかし、あのレジーナが一人でこんな遠いところにやって来るなんて、にわかには信じがたい……
結局、似た感じの別人だろうということで話は落ち着き、俺たちはウェンディの実家を目指して歩き始めた。
ギルベルタと別れ、大通りへ向かう。
さぁ、あと一本路地を越えれば大通りだぞ、というところで……
「アカン…………知らん人ばっかりや……心細過ぎて…………気持ち悪ぅなってきたわ…………」
……レジーナを見つけた。
「信じられねぇ……」
「まったくだよ……本当に、おっぱいの情報だけで人物を特定できるなんて……人間技じゃない」
「いや、それはどうでもいいだろう!? むしろ、それくらいは誰にだって出来るレベルだ」
「君以外には不可能だよ!?」
バカモノ!
バイク好きは、エンジンの音だけで車種まで分かるし、ソムリエはワインの香りだけで原産地を当てることが出来るんだぞ!?
おっぱいだって、よく観察しておけばこれくらいは朝飯前だ!
それよりも、レジーナが外に出ていることに驚けよ!
天変地異の前触れかもしれないんだぞ!?
「……ん? ………………………………ぁぁぁああああっ!」
五人で固まっていた俺たちの気配を察知し、レジーナがこちらを振り返る。
そして、半泣きだった顔が、まるで希望を見出したかのような眩い笑顔へと変化していった。
「メッチャ会いたかったでぇ、自分らぁ~!」
物凄い勢いで駆けてきて、勢いもそのままに飛びついてきたレジーナ。
揺れた髪から香る香りは、独特の薬品っぽい匂いで……うん、間違いなくレジーナだ。
独りぼっちがよほど怖かったのだろう。ぷるぷる震えて半泣きのレジーナは、これまで見せたこともないような力強さで俺とエステラに抱きつき、その後十数分間に亘り拘束し続けたのだった。
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