最後の講習会が終わった時、空は真っ暗になっており、月も少し傾きかけていた。
「すっかり遅くなったな」
「さすがに疲れましたね」
俺について走り回っていたジネットは、疲労困憊な様子だ。
「でも、みなさん。幸せそうな顔していましたね」
「……だな」
ショートケーキではないことに不満を漏らす者もいたのだが……そんなヤツも、完成したケーキを食べて「こっちの方が美味い……いや、これこそが最高のケーキだ!」と、最終的には肯定していた。
いい感じで「ウチのケーキが一番」と思ってくれれば、競争も激化し、クオリティもどんどん上がっていくだろう。
「でも、少しは残念なんじゃないですか?」
「何がだ?」
疲れ切った体で、とぼとぼと陽だまり亭を目指す。
その道中、ジネットが含みのある笑みを浮かべて俺を見つめてきた。
こいつがたまに見せる、「いじわるしちゃおうっかなぁ」な表情だ。
受けて立とうじゃねぇか。
「本当は、あのケーキを独占したいと思っていたんじゃないですか? ヤシロさんはいい人ですけど、無償で自分の技術を教えて回るなんて、そんなことまではされませんでしたよね」
「必要なところになら、技術を落とすさ。それがゆくゆく俺の利益になる」
エステラに下水の権利を、ウーマロに下水工事のノウハウを、ヤップロックたちにポップコーンの真実を……俺は、必要な場所になら惜しみなく俺の知識を与えている。
確かに、今回みたいに大安売りしたことはないが……これは布石なのだ。
種蒔きと言ってもいい。
今日蒔いた種が、いつか……それもそう遠くない未来に芽を出し、大輪の花を咲かせ、やがて密林になるくらいに成長する。
その土壌を作ったのだ。
そして、その恩恵は、確実に俺のもとへと集まってくる。
なぜなら…………いや、待てよ。
「答えは、明日、教えてやる」
「え、どうして明日なんですか? 今ではダメなんですか?」
「さぁさ、帰ろうぜ」
「はぅ、ヤシロさん~!?」
そう。明日。
明日、答えを教えてやる。
で、翌日。
「そういうことだったんですね」
食堂に広がる光景を見て、ジネットは大きく頷いた。
「……これは、圧巻」
「あたしの知らないものが、こんなにあったですか……」
陽だまり亭のテーブルに、色とりどりのケーキが並んでいる。
ショートケーキ、チーズスフレ、ガトーショコラ、モンブラン、ミルクレープ、シフォンケーキにアップルパイ。そして、これはどこにも教えていない……シュークリーム。
「ふむ。なるほどでござる。つまり、四十二区のあちらこちらで食べられるようになったケーキが、この陽だまり亭に来ればすべて食べられるというわけでござるな!」
「ま、そういうことだ」
やはり、ケーキはいろんな種類が揃ってこそ美しい。
おまけにここは紛れもなく本店なのだ。四十二区内に溢れたケーキの本流。ここが元祖。
これで客が来ないわけがない。
ということはだぞ、ウチが新作を発表すれば、それが街のトレンドとなるのだ。
ケーキの文化を広めた先にあるのは、激化する競争。
その中で、俺たちは得難いステイタスを手に入れたのだ。
『元祖』『本店』『最新トレンド』
どれもこれも、スウィーツに冠するのに適した言葉だ。
あの盛大なジネットの誕生日パーティーは、人々の心に印象深く焼きついていることだろう。
そのイメージが消えない限り、陽だまり亭のケーキは『他所とは一味違う、本場の味』で居続けられるのだ。
「というわけで、ベッコ」
「相分かった! 食品サンプルを作ればいいのでござるな!」
そういうこと。
そのために呼んだんだよ。
「はぁぁあ……こんな綺麗なものを陽だまり亭で取り扱えるなんて…………わたし、幸せです」
これがうまくいけば、ジネットとの約束も果たせるかもしれない。
ずっと前に交わした約束……
『食堂を立て直すぞ』
『……え?』
『もっと客を呼べる、人気の食堂にするんだ』
『陽だまり亭を、ですか?』
『そうだ。毎日大勢の人が集まる、そんな場所にするんだ』
『お祖父さんが……いた頃のように、ですか?』
祖父さんがいた頃の陽だまり亭が、どれほど賑わっていたのかは知らんが、それにだって負けはしないだろう。
それを、祖父さんの力ではなく、ジネットの力で成し遂げるのだ。
そうすれば俺は…………俺は…………あれ?
もしそうなったら、俺、どうするんだ?
「ヤシロさん?」
「…………」
「ヤシロさんっ」
「ん!? あ、あぁ……悪い。なんだ?」
「いえ、どうかされたんですか?」
「いや……なんでもない」
……何考えてんだよ、俺は。
今は、やるべきことをやるべきだ。…………って、当たり前か。はは。
「よし! じゃあ、本日の三時より、ケーキの販売を開始する!」
「「「「おぉー!」」」」
陽だまり亭の店員となんでかベッコまでもが拳を振り上げている。
ついに、ケーキの販売開始だ。
と、いうわけで。
「すまんが、三時から三十分ほど貸し切りにしてくれないか?」
「え? ここをですか?」
「とりあえず、テーブル一つだけでもいいんだが」
「いえ。ヤシロさんが何かをされるおつもりなら、そちらを優先させてください」
「んじゃ、お前らにも協力頼んでいいか?」
「はい。よろこんで」
「あ、あたしも手伝うです!」
「……ぜひもない」
「拙者は、何をすればいいでござるか?」
「あ、ベッコはいいや。食品サンプル作っといて、大至急急ぎ型で」
「だ、大至急急ぎ型!? あ、相分かった! 大至急急ぎ型で完成させてくるでござるっ! では、御免!」
……と、準備はこんなところか。
「じゃあ、ちょっと出かけてくるな」
最後にもう一つ準備するものがある。
それを手に入れるために、俺はある場所へ向かう。
「あの、ヤシロさん」
食堂を出ようとした時、ジネットに呼び止められた。
「どちらへ?」
素朴な疑問だ。
だから、気軽に答えておく。
「ミリィのところだよ」
「ミリィさんの?」
「事情はあとで説明する。じゃ、行ってくるな」
「はい。お気を付けて」
ジネットに見送られ、俺は陽だまり亭を出る。
約束は、守らなきゃいけないからな。うん。
俺ってば、約束は守る詐欺師なんだよな。
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