「あ、そろそろ戻んなきゃ」と、パウラが席を立つ。
情報紙を見て慌てて集まった者たちも、気分が落ち着いたのだろう。
誰も触れなかったけれど、ウィシャートの死も情報紙には載っている。
思うところはあるだろうが、それをあえて口にすることはない。
ウィシャートの末路には、俺やエステラがきっかけとして関わっている。
エステラの性格を知っていれば、その事実をエステラがどのように感じ、受け止めているのか想像するのは難しくない。
それぞれが一様に気を遣っているのだろう。
安心したのは、「ザマァミロだよねぇ~」なんて言い出すヤツがいなかったことか。
自分を苦しめた相手に対しても、この街の連中は追悼の意を表することが出来る。
死体蹴りするような者は一人もいなかった。
ま、心の内でどう思うかは自由だ。
それを口に出すか、行動に起こすかが人としてモラルのあるなしの境界線になるのだろう。
「ところでヤシロ。組合の方は大丈夫なんかい?」
ノーマが、帰りがけにそんなことを聞いてくる。
「あのキツネ大工はカッコつけて弱音を吐きゃしないけど、トップが変わったからって状況がよくなるもんなんかぃね?」
ウーマロたちを追い詰め、追放にまで追いやった土木ギルド組合。
昨日、ネグロたちが陽だまり亭へやって来て、組合を作り変えたいという話をしていったことは、ここにいる連中にはそれとなく伝えてある。あくまで大ごとにしないようにと釘を刺して。
エチニナトキシンに馴染みの深い偉い貴族様方を刺激しかねない案件だけに、下手に騒げば無関係の人間であろうと目を付けられかねないからな。
それはそれとして、組合の行いには思うところがあったらしいノーマ。
静かに尋ねてくるその目には、はっきりと怒りが浮かんでいた。
ウーマロたちを苦しめた組織など、潰してしまえばいいのにと、そんなことを思っていそうな目だ。
なんだかんだ、ノーマもウーマロのことを心配していたんだろうな。
「ゼロから作り上げるんじゃなく、徐々に塗り替えていく手法だから、最初に掲げた理念は少々曲がっちまうだろうし、払拭したい現状の色みたいなものも多少は残っちまうだろう」
「なら、やっぱり潰――」
「でも、やってみたいんだろ」
失敗したから潰して、なかったことにして、「じゃ、もう一回、一から作りま~す」ってのは簡単だし、責任を取ったようにも見える。
だがそれは、過去をないものにして、犯した失敗の責任を放棄するということでもある。
たとえば、利益重視で衛生管理を疎かにし、大規模食中毒を引き起こした飲食店があったとしよう。
その店のオーナーは責任を取ると言ってその店を潰す。
しかし、同じ場所で同じオーナーが、違う名前の飲食店を始めたとする。
それは、果たして責任を取ったことになるだろうか?
実際によくあることだ。
会社を潰して名前を変え、同じ業種で再オープンする企業なんてのは。
「組織の腐敗を徹底的に洗い出して、それを一から塗り替えていくってのは手間もかかるし反発もすごい。内部からも外部からも激しい攻撃を喰らう恐れがあるし、実際そうなるだろう」
それでも、ネグロは組合を存続させ、作り変える方法を選んだ。
力の弱い大工たちを見捨てないために。
何より、もう一度信頼を取り戻すために。
「おそらく、その苦労や苦悩が、連中の罪滅ぼしなんだよ。許せないなら見ていてやるといい。これから何度となくあいつらは苦しみ、心が折れそうになるだろう。そこで逃げ出すならそれまで。潰すのはその時でも遅くはない」
何かを始めることや何かを終わらせることよりも、最も大変なのは継続させることだ。
勢い勇んで始めたことだろうと、一年二年と続けていけば挫けそうになることが何度も出てくる。
その度にそれを乗り越えていくのは相当な忍耐を要する。
何もかも投げ出してしまえば楽になる。そんな誘惑と向き合いながら歯を食いしばって立ち向かうのは、精神をボロボロにしてしまう。
「それでも続けられるなら、連中の意思は本物だろうし、そういう強い意志を持ってる連中なら組織をうまく機能させることも可能かもしれない」
ネグロには期待しているが、信頼しているわけではない。
まぁ、お手並み拝見ってところか。
「ウーマロも、その辺は厳しく見定めるんじゃないか。まぁ、あいつは甘ちゃんだから、今後何かと手を差し伸べたりするんだろうけど」
ウーマロが見ているのは結果ではなく過程――いや、それ以前の心意気だ。
何の成果もあげていない新人であろうと、「頑張りたい!」という強い意志が見えれば、あいつは手を差し伸べてくれる。
だからこそ、ハムっ子たちを見習いとして使ってくれたんだろうしな。
で、そういうヤツだからこそ、下から信頼されるんだ。
上からの信頼は、ヤツ自身の成果と性格の賜物だろうけどな。
「ふん。まぁ、あのキツネ大工が自分で苦労を背負い込むのは勝手にしろって感じだけどねぇ」
どこかほっとしたような、で、ほっとした自分に気付いて腹が立っているような、そんな顔でノーマは鼻を鳴らす。
「またトラブルに巻き込まれてめそめそ泣くようなら、今度こそ焼きを入れてやるさね」
くるりと煙管を回転させ、胸の谷間へしまい込む。
煙管が消えると颯爽と振り返り、陽だまり亭を出て行った。
遠ざかる背中が『いなせ』だ。
「ノーマさん、ウーマロさんのことが心配だったんですね」
「そうなんだろうね」
ジネットとエステラがそんな会話を交わす。
俺もついでとばかりに、心に浮かんだ思いを素直に言葉にした。
「煙管になりたい」
「懺悔してください」
叱られた。
「ほんで、実際んところはどないなん?」
パウラ、ネフェリー、ノーマと、朝に忙しそうな面々が帰り、イメルダとミリィもそろそろ帰ろうかと腰を上げた時、レジーナが俺に向かって口を開く。
「組合、ちゃんと生まれ変われそうなんかいな?」
「どうだろうね」
けれど、それに答えたのはエステラだった。
「正直なところ、若い貴族の子息がどれだけ意欲に燃えようと、老練な貴族たちの巧妙で狡猾なやり口に抵抗するのは難しいと思うよ」
若造が勢いづいて拳を振り上げようと、老害どもは搦め手で厭らしくその勢いを殺してくる。年季が違うからな。
あと、「みんなのために」と考えてるヤツより、「自分のために」と考えているヤツの方がしぶといし図太い。悲しいかな、現実とはそういうもんだ。
「けれど、だからといって諦めてしまったら何も変えられない。『期待したいと思える』、それだけでも、彼らを応援するには十分な理由になると思うよ」
「要するに、未知数ってわけやね」
「まぁ、理想とかけ離れてこっちの邪魔になるようなら、その時に改めて潰してやればいい」
俺が言うと、レジーナはにんまりと口角を持ち上げた。
「せやね」
「なんだよ、その顔は」
「い~や。別に~」
にやにやと、俺を見て鼻歌交じりにくすくす笑うレジーナ。
んだよ?
「自分も、赤の他人に期待とか信頼とかするんやな~って思ぅたら、ちょっとオモロぅなってもぅただけや」
「ふん。おっぱいたすきの分、猶予をやっただけだよ」
期待や信頼なら、ウーマロが連中にくれてやっているのだろう。
なら、判断はウーマロに任せておけばいい。
俺は意識せず、煩わしくなってきた時に改めてどう潰すかを考えればいい。簡単なお仕事だ。
「あ、そうだ、カンパニュラ」
ジネットの一口サンドイッチが綺麗になくなった頃、デリアが嬉しそうな顔でカンパニュラを呼ぶ。
「オッカサンがすげぇ綺麗に部屋の中を整えてくれてるんだ。たぶん運動場のイベントが終わるころには完成するからさ、そしたら一緒に住もうな」
デリア曰く、ルピナスが張り切って模様替えを行っているらしい。
二~三日もすれば完成する見込みなのだとか。
「それは楽しみですね。母様はひらひらしたものを好まれますので、きっとお姫様のようなお部屋になると思います」
「えへへ~、あたいの部屋もやってもらってるんだ~」
ひらひらでふりふりのお姫様ルームに改装しているらしい。
デリアもそういうのが好きなのか。
にこにこと笑い合うデリアとカンパニュラを見ていると、ベルティーナが俺の前へと歩いてきた。
にっこりと微笑み、俺に向かって手を差し伸べてくる。
「では、ヤシロさん。先ほどの『おっぱいたすき』というものに関して、詳しいお話を伺いましょうか。懺悔室で」
「待て! あれは無償提供されたものだぞ!? 証人ならたくさんいる! なぁ? あれは見放題、揺らし放題、弾ませ放題の無料プランだったよな!?」
「ほな、ミリィちゃん、ウチらも帰ろか。あんま長居するとアレが伝染ってまうさかいな」
「じゃあ、みりぃたち、帰る、ね。てんとうむしさん、あんまり怒られるようなことしちゃ、ダメ、だょ?」
「ミリィさん、それは馬の耳に念仏というものですわ。多少痛い目に遭わないと覚えませんのよ、あぁいう手合いは。お父様で実証済みですわ」
「じゃあ、ヤシロ。あたいも帰るけど、懺悔頑張ってな」
「待てお前ら! いろいろ言いたいことはあるけど、懺悔は頑張るもんじゃねぇよ、デリア!?」
「まぁまぁ、ヤシロ。ジネットちゃんが教会で朝食の準備をしている間、シスターにしっかりと説明すればいいじゃないか、懺悔室で」
「だから、それもうまんま懺悔じゃねぇか!? 懺悔するようなことしてねぇっつの! あれは無料おっぱいだったんだから!」
「ヤシロさん。懺悔してください」
「ジネットまで、なぜ!?」
「お兄ちゃん、『おっぱい』連呼し過ぎです」
「……ヤシロだからしょうがない」
「もう、ヤーくん。めっ、ですよ」
味方など一人もおらず、俺は荷馬車に載せられる子牛よろしくドナドナと連行されていった。
陽だまり亭を出る間際、ナタリアが無言でサムズアップをくれたが、一切嬉しくはなかった。
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