マグダは、その大きな背中を見上げていた。
街門を飛び越えて四十二区の中に飛び込んできたキメラアントを、片手で粉砕した豪傑。
噂に違わぬ強さは、まさに伝説級。
狩猟ギルドギルド長、メドラ・ロッセル。
今のマグダでは、どう足掻いても勝てない、相手にすらならない、強者。
大袈裟過ぎる噂の数々が、それでもまだまだ控えめだったと思い知った。
ギルド長の強さは、言葉などでは語れない。
さすが、ママ親が唯一敵わないと手放しで称賛する人物。
そんなギルド長が今、陽だまり亭の前でヤシロと話をしている。
「もっと長くいられると思ったのに、本当に残念だよ」
「気を付けて帰れよ、メドラ」
「アタシを心配してくれるのかい!?」
「いや、帰り道付近に生息している野生動物が絶滅しないように、気を付けて帰ってくれ」
「やだよ、もう! 冗談ばっかり!」
「……いや、割とマジなんだけどな」
ヤシロと出会って数日で、あんなにも打ち解けているギルド長は、女子力が高いと言わざるを得ない。
豪傑の代名詞、鋼のように強靱な肥大した筋肉が、今は丸みを帯びた女性っぽい肢体に見える。
マグダの見上げている背中は、強く、しなやかで、美しい。
「あ、あのね、ダーリン、こ、……これ、アタシの家の合い鍵だよっ!」
「そっか、じゃあ絶対なくさないようにしっかり握りしめて帰れよ。落とすと大変だからなぁ。ほら、グーして。握り込んで。家に帰るまで指を開くなよ、絶・対・にっ!」
「ダーリン……そこまでアタシのことを、大切に…………尊いっ!」
さりげないアプローチ。
これが、大人の女の駆け引きというもの……参考になる。
好きな男に合い鍵を渡すのは、「私はいつでもあなたを受け入れる覚悟がある」というメッセージ。
かく言うマグダも、ヤシロには「いつでも部屋に入ってきていい」と伝えてある。「マグダが眠っている時でも可」と。
……なぜか、「トイレくらい一人で行けるわ」と返されたけれど。
そして、結構な頻度でヤシロはトイレに一人で行けていないけれど。
やはり、『鍵』がないと、男心には火がつかない模様。
ギルド長はそれを理解し、巧みに淡くも熱い恋心をアピールしている。
狩人としても、女としても、ギルド長はマグダの遙か先を行っている。
……まだ、今のマグダでは歯が立たないけれど。
いつかは、ギルド長を越えてみせる。
「それじゃあね、ダーリン。また会いに来るからね!」
「いや、そんなに気を遣ってもらわなくても――」
「はい。お待ちしていますね、メドラさん」
「お前、ジネット……なぜそんな命を粗末にするような発言を……」
「店長さんも、ありがとうね。今日は世話になったよ」
「いえ。わたしも、とても楽しかったです。賑やかで」
「……俺は鼓膜が有給休暇を欲しがってるけどな」
「それじゃあね、バイバ~イ!」
可愛らしく手を振って、ギルド長が帰っていく。
何度も振り返り、何度も手を振って、遠く離れてもなお、何度も何度も「バイバ~イ!」を繰り返す。
「それ、ミリィがやってた可愛いやつだから! 記憶に上書きしないで! つか、こんなに離れても耳に届く声量変わらないって、とんだ肺活量オバケだな!?」
最後の最後までヤシロの興味を独り占め。
ギルド長、メドラ・ロッセル。――デキる女である。
「……マグダは、ギルド長のような女になる」
「やめろ、マグダ! 早まるんじゃない!」
「マ、ママ、マグダたんは、今のままで十分可愛いッス! 間違ってもアッチ路線には行っちゃダメッス!」
けれど、こうも力の差を見せられては……
キメラアントにしても、マグダはロープを握って動きを押さえ込むので精一杯だった。
ギルド長のように強くなれば、もっと、ヤシロの役に立てる。
この街を守ることが出来る。
店長に、心配をかけなくて済むようになる。
それに、店長はギルド長を甚く気に入った様子。
ヤシロにしたって、あそこまで素直な好意を見せられて、満更でもないはず。
現に、ヤシロはギルド長がここにいた間中、ギルド長から視線を離さなかった。
釘付け。
「すごく印象に残る方でしたね」
「脳に焼きついてなかなか消えてくれないんだよな……」
「ヤシロさん、ずっとメドラさんのことを見ていましたね」
「ジネット、いいか? クマってのは、目を離した瞬間襲いかかってくるんだぞ」
「メドラさんはフェレット人族だったと思いますけれど……?」
ヤシロの視線を独り占め。
あれこそが、女子力!
「……とりあえず、形から入ってみる」
マグダは、ギルド長の髪型を真似てみる。
長い髪を二つに分けて、耳の後ろ辺りできゅっと押さえて持つ。
「……どう?」
「ぐっはぁぁあああああああん! おさげのマグダたん、マジ天使っぐふぁぁぁあ!」
「ヤ、ヤシロさん!? ウーマロさんが吐血しながらいつものお言葉を!?」
「安らかに眠らせてやれ。その方が静かになるから」
……むぅ。
視線がウーマロの方へ。
マグダは、まだまだ。
「マグダさん、少しよろしいですか?」
店長がマグダの前に来て、そっと髪の毛を撫で、分けていく。
「もう少し高い位置で結ぶと、きっともっと可愛くなりますよ」
「ジネット、ほい、髪留め」
「あっ。ありがとうございます」
なぜかヤシロがピンクの可愛い髪紐を持っていて、それを店長に渡す。
……ヤシロ、もしや、そこら辺で思いがけず出会った野生の幼女の髪の毛を結ってあげるつもりでそんなものを持ち歩いている?
ヤシロのお兄ちゃん属性は留まるところを知らない。無差別。
「お、なんだマグダ? いいことしてもらってんじゃねぇか。あたいもやってもらおうかな?」
「あんたには似合いやしないさね。年齢を考えなよ」
「いや、ノーマよりは似合うぞ」
「なんでやる前から断言できるんさね!? やってみなきゃ分かんないじゃないかさ!」
「ノーマより若いし」
「アタシもまだまだ若いさよ!」
「では、みなさんでお揃いの髪型にしてみましょうか」
「え……ジネット。お前って、どこまで勇者なの?」
ヤシロの視線がノーマに向かう。
……ノーマがやると、キツい?
「なんか言いたいことがあるなら、はっきり言いなね、そこの二人」
「な、なんでもねぇよ。なぁ、マグダ」
「……マグダ、人を傷付けるのも嘘を吐くのも嫌い」
「上等さね! 店長さん、この中の誰よりも可愛く仕上げておくれな!」
ノーマがムキになった。
ノーマは、乗せられやすく、ノリがよく、ムキになりやすい。
ヤシロが好きそうなタイプ。
「ふふ~ん、どんなもんさね?」
「おぉ、可愛いじゃ~ん。指名するから酒でも注いでくれよ」
「そーゆーお店の女じゃないんさよ、アタシは!?」
……ね?
「マグダ、見ろ見ろ! お揃いだぞ!」
「……ふむ。デリアもなかなか可愛い」
「だろ~? へへっ、なんか嬉しいな」
デリアがマグダの肩を抱いて頬をこすりつけてくる。
デリアは、スキンシップがとても分かりやすい。
「むゎああ! なんか楽しそうなことやってるですね!?」
ギルド長の見送りの際、一人店内に残って接客をしていたロレッタが庭に出てくる。
「いいな、いいな、いいですね! あたしもお揃いやりたいです!」
「いや、ロレッタは無理だろ。髪、ないし」
「なくはないですよ、デリアさん!? ハゲ扱いやめてです!」
「けど、ロレッタの毛の長さじゃあ、結べないさねぇ」
「そんなことないですって! こうやれば、ほら! ちょこんって、可愛いしっぽ髪です!」
「ほらほら、後れ毛が酷いさよ」
「むぅうう……店長さぁ~ん! あたしも可愛くしてです~!」
「はい。任せてください」
店長に泣きつくロレッタ。
デリアもノーマも、それをニヤニヤして見つめている。
「どいつもこいつも、マグダの真似しやがってよ」
ヤシロがマグダの隣でぽそっと呟く。
「……マグダの?」
「おう。お前の真似だよ」
マグダは、ギルド長の真似をしているつもりなのだけれども。
ギルド長のように、強く、女子力の高い女になれるようにと。
けれど、ヤシロはなんの迷いもなく、嘘や冗談を含まない綺麗な色の瞳でこんなことを言う。
「今日のマグダ、カッコよかったからな。みんな看過されたんだろうよ」
「……かっこ、…………よか、った?」
マグダが?
何かしただろうか。
こんな、みんながこぞってマグダの真似をするようなことを?
マグダを喜ばせようとして、ヤシロが大袈裟に言っているだけ?
ママ親もたまに、「みんながマグダのこと可愛い~って見つめてるよ~」なんて、お散歩中に言っていた。そんなわけないのに、マグダが喜ぶと思って。
けれど、今のヤシロの言葉は、そういうのではなかったようで――
「おう。今日のマグダはカッコよかったよな」
「まぁ、あれだけ出来りゃたいしたもんさねぇ」
「ですです! あたし、『やっぱりマグダっちょは違うな~』って感心してたです!」
デリアにノーマに、短いしっぽ髪を耳の上でぴょこぴょこ揺らすロレッタまでもが、そんなことを言う。
そして、店長がマグダの前に来て、しゃがんで、目線を合わせて、マグダに言う。
「マグダさんは、もう立派な教育係ですね」
「……きょういく、がかり……」
マグダが?
教育される側ではなく、教育する側……
「これからも、みなさんのお手本になるような、素敵なウェイトレスさんでいてくださいね」
ぞわっと、尻尾が膨らむ。
耳がぴるるっと震える。
振り返れば、ヤシロがマグダを見つめていて、にっこり笑って、大きく頷いた。
「あたしも、マグダっちょのように毅然と新人を指導できる先輩になるです! デリアさんとか、態度が悪いとビシバシいっちゃうですよ!」
「何言ってんだよ、ロレッタ。あたいの方が先に陽だまり亭で働いてたんだから、あたいが先輩だろ?」
「ぅえっ!? で、でも、あたしはレギュラーで、デリアさんは臨時バイトですよ!」
「うっせぇ! 先輩は先輩だ! 口答えするとバキボキいっちゃうぞ!」
「音がえげつないことになってるですよ、デリアさん!?」
「アタシは、そもそも注意されるようなことがないから、関係ないさね」
賑やか。
陽だまり亭には、笑顔がいっぱい溢れている。
その中で、マグダは店長とヤシロからちょっとだけ特別な役割をもらった。
「………………むふー」
それは、とても幸せで、嬉しくて、温かい。
「……いつまで騒いでいるの、下っ端ども。早くフロアに戻って床掃除でもするべき」
「ちょっ、マグダっちょ!? 下っ端って!?」
「あいつ、すぐ調子に乗るんだよな」
「まだまだお子様なんさよ」
「……マグダの指導は厳しい。みんな、私語は慎むべき」
「へいへい。んじゃ、働くかぁ~。仕事終わりの甘いものが一層美味くなるように」
「アタシは、風呂上がりの酒を美味くするために、さね」
「あたしは、未来の陽だまり亭を背負って立つために頑張るです!」
みんなが陽だまり亭へ入っていく。
マグダも遅れず店内へ入る。
誰がどんなに頑張ろうとも、マグダが一番頑張って、一番早く成長してみせる。
マグダに居場所をくれて、マグダをちゃんと認めてくれる、ヤシロと店長のために。
「……メドラ・ロッセルを超える日も、そう遠くはないかもしれない」
そんな予感めいたことを呟いて、マグダは残り半日の営業を誰よりも精一杯働ききろうと心に誓った。
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