「あぁ……どうしようかなぁ」
俺は地面にしゃがみ込み、盛大にため息を吐いた。
「よし! 大宴会を開こう!」――と、大々的に宣言してから、五分ほど後のことだ。
「リベカさんは、麹工場を継いでくれるお婿さんが欲しいんだよね」
「あぁ……そして、ドニスは獣人族を領主の関係者に入れるつもりは毛頭ない……いや、毛根がない」
「言い直さなくていいところを訂正して言い間違えないでくれるかな? ショックなのは分かるけどさ……」
リベカとフィルマンが両思いだと分かってテンションが上がったものの、それならそれで別の――当初から横たわっていた問題が鎌首をもたげることになったわけだ。
「フィルマンが家を出れば、どっちの要望も叶うんだけどなぁ……」
「そうすると、ミスター・ドナーティ最大の要望が叶わなくなるんだよ」
フィルマンが麹工場へ婿入りすれば、リベカもにっこりだし、ドニスも領主の館に獣人族を入れずに済む。
ただし、「フィルマンを次期領主に」という大元の願いは棄却されることになる。
「大体、あれもこれも全部を思い通りにしたいなんて虫のいい話が通る訳がないんだよ。世の中舐めんなって話だよ!」
「だとするなら、ミスター・ドナーティはフィルマン君を次期領主にすることを最優先とするだろうね。たとえ強引に二人の仲を引き裂くことになったとしても」
「…………あいつの一本毛を抜いてやったら、ショックで他のこととかどうでもよくなったりしないかな?」
「おそらく……戦争が起こるだろうね。そして後世に語り継がれるのさ。『一本毛戦争』としてね」
そんなくだらない理由で命を落とす者が出てはシャレにならないか……くそ。
「ヤシロ。これは君が自ら選んだ道だよ」
にまにまとした笑みを浮かべて、エステラが俺の肩に両手を載せる。
もちろん、片肩に片手ずつだ。
俺の真っ正面にエステラの顔がある。……チューすんぞ、このやろう。いや、しないけど。
「フィルマン君が伏せった後、どうにかこうにかミスター・ドナーティを言いくるめるという手段も取れたはずなんだ。にもかかわらず、君は持ち前のお人好しを発揮してフィルマン君の心の傷を癒やすために行動を開始した――それが、さらなる厄介ごとを引き起こすきっかけになってしまう可能性も理解した上でね」
「そんな可能性、微塵も考えてなかったよ」
「まさか。そんなわけないだろう、君ほどの男が。四十二区随一の策士と名高いオオバヤシロが、後先考えずに行動なんか起こすわけがないよ」
「……褒めていないってことだけはよぉ~っく伝わってくるよ、こんちきしょう」
エステラの手を振り払い、体ごと横を向ける。
「ぷん!」だ。
……大体、何が「持ち前のお人好し」だ。そんなもん、持ち合わせてるかっつの!
もし俺の中にそんな忌々しい成分が1ミクロンでも含まれているのだとすれば、それは――
「全部ジネットの責任だな。あいつに伝染されたんだ、きっと」
「それはどうかな? ボクの目には、五十歩百歩という風に映っていたけれどね」
「そりゃ、お前の目は、真っ平らが『微かながらも膨らんで見える』程度に節穴だからな」
「膨らんでるよ!」
うん。
やっぱり怒るのは「節穴」についてではなく、そっちについてなんだな。
「とにかく。もう観念して、全部を丸く収める努力を始めるべきだね。きっとそっちの方が『君の利益になる』と思うよ」
「……思うだけならなんとでもほざけるよな」
「夢を語ることを、精霊神様は断罪したりしないからね」
どんなに嘘くさくても、嘘でなければ裁けない。
まったく、欠陥だらけだな『精霊の審判』ってのは。
「この真っ平ら!」
「真っ平らではないよ!」
「『精霊の……』っ!」
「張っ倒すよっ!?」
「あ、あの……お二人とも。ケンカはよくないですよ」
ソフィーがおろおろとした顔で俺たちの間に割って入ってくる。
あ、そうそう。俺たちはまだ教会にいる。
ソフィーが来客を追っ払って戻ってきている。
……やっぱり追っ払うんだな。
バーバラはというと、木彫りの置物みたいな風貌で庭にあるウッドチェアに腰掛けている。 ……サルの干物みたいだな。
「別にケンカをしていたわけではないぞ。干もn……バーバラに聞いてくれても構わない」
「何と言い間違えたんだい、今!?」
「俺はただ、嘘はいけないと、エステラに教育を施そうとしていただけだ」
「ヤシロ、この次ふざけたことを口走ったら、手が出るからね?」
こいつはどうして、こうもすぐ腕力に訴えようとするのか。
「よよよ……」と泣き崩れて、哀愁で訴えるくらいのか弱さをもう少し持ち合わせてもらいたいもんだな。
「というか、こっちの内緒話は全部聞こえてんだろ?」
ここから何十メートルも離れた足音すら聞き分けられる聴覚を持っているのだ。
どんな内緒話も筒抜けに違いない。
「いえ。盗み聞きはよくありませんので、内緒話をされている方には耳を向けないようにしています」
「耳を向ける?」
「こんな感じです」
言いながら、ソフィーは俺に耳を向けた。
真っ白な耳の中に、薄いピンクの肌が見えてなんとも可愛らしい色合いになっている。
「そして、こうすると……ほとんど聞こえないんです」
次いで、ふいっと耳を背けた。
耳の背がこちらに向く。
「おっぱい突かせろや、ねーちゃん」
試しにぼそっと呟いてみるが、俺の脇腹を殴ってきたのはエステラだけで、ソフィーはなんの反応も示さなかった。
「……げほっ…………本当に、聞こえて……ない……んだな……」
「ぅひゃあ!? な、なぜ急にボディーブローを!? 何か言ったんですか、ヤシロさん!?」
ソフィーの顔はずっとこちらを向いていた。背けられたのは耳だけで、視覚からの情報はばっちり脳へと伝達されたようだ。
聴覚からの情報はシャットアウトされていたみたいだが。
「耳が向こうに向いていると、まったく聞こえなくなるんですか?」
「いえ。大きな声は聞こえますよ。あと、そばで話されるとさすがに耳に入ります」
自分の背後で話しかけられる――くらいの感じで聞こえるというわけか。
それにしたって、随分なカット率だ。
「本当に何も聞きたくない時はこうします」
そう行って、ソフィーは耳をくるくると丸めた。
おしぼりを丸めるように。器用にまん丸く。……折れた方の耳は動かないようだが、こっちはもとより聴覚が落ちているので、この状態になると何も聞こえないのだろう。
「おっぱい、そこそこ大きいですねっ!」
腹の底から大声を張り上げたにもかかわらず、俺のみぞおちにスクリューパンチをめり込ませてきたのはエステラだけだった。
マジで聞こえていないらしい。
「ぅひゃひゃあ!? こ、今度は何を言ったんですか!?」
音が聞こえない状態で、急にエステラが凶行に走れば、そりゃ驚くだろう。
……しかしなぜだ? なぜ俺が余計なことを口走ったという前提で話をするんだ?
エステラが単に暴力的なだけだという可能性もあるだろうが………………あ、ベルティーナの手紙に何か書いてあったんだな、きっとそうだ。
「ぼ、暴力はよくないですよ、エステラ様」
領主であるエステラを尊重しつつも、教会内での暴力は容認できないという姿勢を見せる。
「ボクも、極力はそうしたいのですが……他区のシスターに対する狼藉を見過ごすわけにはいきませんので」
「ろ、狼藉……というのは?」
「ヤシロ、自分の口から白状したらどうだい?」
「なんだよ。ただ単に、『Dカップくらいかな』ってことを言っただけじゃねぇか」
「バーバラさん、モーニングスターの使用許可をお願いしますっ!」
「武器はやめろ!」
エステラのパンチなんか、手加減されてるからそこまで痛くないのだ。ツッコミみたいなもんだ。だが、モーニングスターはシャレにならん!
「『懺悔してください』じゃないのかよ、教会関係者はみんな!?」
「そんな甘い処置で済ませるのは、ベルティーナさんくらいのものですっ! 破廉恥です!」
そうか、ベルティーナは物凄く寛容だったのか。
そして、そんなベルティーナに育てられたジネットも。
「ベルティーナとジネットはエロに寛容!」
「そういうことじゃないよ!?」
「バーバラさん、モーニングスター二刀流でっ!」
く……っ、おっぱいに対する風当たりが強いぜ、二十四区。
早く、四十二区に帰りたい。
「おっぱいの街・四十二区に帰りたぁーい!」
「風評被害まき散らすの、やめてくれるかな!?」
エステラに取り押さえられ、ソフィーからは割ときつめの視線で睨みつけられる。
……散々な日だ。
ただ、バーバラだけが、そんな俺たちを穏やかな表情で眺めていた。
「ところでソフィー、――こんな取り押さえられた痴漢みたいな格好で申し訳ないが――お前の家族について教えてくれないか?」
「……『みたい』では、ないのではないですか?」
「いや、痴漢というなら、さりげなく俺の二の腕をぷにぷにして楽しんでいるこっちの領主のことだろう」
「た、楽しんでないよ!? ……別にぷにぷにしてないし!」
物凄い勢いでエステラが飛び退いて、俺は解放される。
自由を手に入れたところで、面倒くさいルートに入ってしまった現状を切り抜ける方策を練らなければ……
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