異世界詐欺師のなんちゃって経営術

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宮地拓海
宮地拓海

21話 あえてする苦労も嫌いじゃない -1-

公開日時: 2020年10月20日(火) 20:01
文字数:3,391

 今日の四十二区は、あいにくの空模様だった。

 昨晩から大粒の雨が降り続き、アスファルトなどないこの世界の道はどこも泥水に浸っているような状態だった。

 四十二区が貧民層の街だからかもしれないが、水はけも悪い。

 トイレに行くのも一苦労なのだ。なにせ、外にあるからな。……溢れてきたりしないだろうな?

 

「いやぁ、ホントもうまいったッスよぉ」

 

 濡れた服を拭きながら、ウーマロは全然困った風には見えない顔でそんなことを言う。

 

「……風邪、引かないようにね」

「むはぁっ! もちろんッスよ! 風邪なんか引いて、マグダたんにウツすなんてこと、あっちゃいけないッスからね!」

 

 いや、風邪を引いたら店に来るなよ。周りに迷惑だ。

 

 雨音が激しさを増す早朝。

 陽だまり亭にはトルベック工務店の三バカが朝食を食いに訪れていた。

 こいつらに飯をご馳走するようになって今日で一週間。誰一人欠けることなく、毎日通ってきている。

 本来なら営業時間ではないのだが、四十区に拠点を構えるこいつらに朝飯を食わせようとすると、どうしてもこんな時間に店を開けなければいけなくなるのだ。

 四時だぞ、四時。

 こいつらを追い返した後、教会への寄付の下準備を始めるのだ。

 そして通常営業は十時からだ。

 

「すいませんね、ジネットさん。俺らのためにこんな朝早くから」

「いいえ。素敵なお店にしていただいたお返しですから」

 

 朝に強いジネットは、笑顔で朝食を運んでくる。

 雨で冷えた体に優しい、温かいトン汁だ。この世界に味噌があって本当によかった。なければ意地でも開発していたところだ。

 

「………………ん~~、いい匂いだ。美味そうだ」

「ホントですねぇ~……あぁ、ジネットさんの香りがする」

 

 それは、ジネットが味噌臭いってことか?

 

 ヤンボルドとグーズーヤはジネットに夢中なようだ。

 もっとも、恋愛感情というよりかはファン心理に近いのだろうが。

 

「女神と天使を見ながら食う朝食……最高ですねぇ」

 

 最初出会った時のやさぐれたような口調はすっかり影を潜め、ですます調で話すようになったグーズーヤ。なんでも、ウーマロが生活態度から徹底的に叩き直したらしい。

 まぁ、食い逃げの常習犯だったんだ。厳しく躾け直されても文句は言えまい。

 ただまぁ、ウーマロは本当に面倒見がいいなとは思うけどな。俺なら、そんな面倒くさいことお断りだ。

 

「……朝は、少し眠い」

「あぁっ! うつらうつらしているマグダたん、マジ可愛いッス!」

 

 ……まぁ、本人は現在重篤な病に侵されてしまっているようだけどな。

 

「おい、お前ら。もうちょっと静かに食えよ。眠れねぇだろうが」

 

 机に突っ伏していた俺は、頭を上げてクレームを入れる。

 俺だって眠いのだ。

 

「あの、ヤシロさん。眠たいんでしたら、お部屋でおやすみになっていても構いませんよ? マグダさんも。わたし一人でも出来ますから」

 

 バカヤロウかジネットよ。

 こんな飢えたハイエナの中に、お前みたいなとろいお人好し巨乳を一人で放てるわけないだろう。

 ただでさえ、お前は過去に食い逃げを何度もやられているんだ。

 俺がついていなきゃ何が起こるか分かったもんじゃない。つか、心配で寝てられるか。

 

「……グーズーヤが言ってただろ。女神と天使を見ながら食う朝食は最高だって。……天使がいなくなったら、そいつらが悲しむだろうが」

「天使ってヤシロさんのことじゃないですよ!? マグダちゃんです、天使は! で、ジネットさんは女神です!」

「そ、そんな。わたしが女神だなんて……恐れ多いです」

 

 いや、ジネット。そこで驚くってことは、お前は俺が女神枠だと思ってたのか?

 

 褒められたからだろう、ジネットは恥ずかしそうにお盆で顔を隠す。

 …………グーズーヤ如きにそんな仕草を見せてやる必要ないのに。

 

「グーズーヤ。ちょっと表を三周走ってこい」

「なんのためにですかっ!? 大雨ですよ、外!?」

 

 だからなんだ。

 俺がイラッとしたんだから、お前が酷い目に遭ってもしょうがないことだろうに。

 

「女神と天使と悪魔がいますよ、この食堂……」

 

 グーズーヤが非常に失礼なことを言う。カエルを見逃してやった寛大なこの俺に対して。

 そういうところが人間としての小ささを表しているんだろうな、きっと。

 

「みなさん。こちらが今日の分のお弁当です。容れ物はこちらで洗いますので、そのままお持ちくださいね」

 

 ジネットが弁当の包みを三つ持ってくる。

 トルベック工務店は様々な区で仕事をしている。だから、昼飯を食いに来る時間がないのだ。移動だけで数時間かかるからな。

 そこで、昼だけは弁当ということにしたのだ。

 

「ジネットさんのお弁当、本当に美味しいんですよねぇ」

「………………オレ、お昼、楽しみ」

「最初は冷たい飯なんてって思ったッスけど、さすがジネットさんッスね。この発想は大したもんッスよ」

 

 どうやら弁当はトルベック工務店の連中に好評のようだ。

 

「あ、あの。お弁当を考案されたのはヤシロさんで、わたしはただ言われたものを作っているだけですので……」

 

 持ち上げられ慣れていないジネットはすぐに謙遜してしまう。

 そんくらい、適当に話を合わせておけばいいのに。

 

「……マグダのために、ヤシロが考えた」

 

 胸を張り、なぜか誇らしげにマグダが言う。

 うん。まぁ、それはそうなんだが……なんか違うニュアンスが含まれてないか、その言い方?

 ウーマロはマグダに弁当を手渡されてデレデレしている。マグダの発言に対しては特に思うところはないようだ。

 あぁ、ちなみに。受け渡しの際どさくさに紛れて指の一本でも触れたら出入り禁止だからな。ウチの娘たち、そんな安くないんで。

 

 まぁ、もっとも、こいつらは見ているだけで幸せみたいだけどな。

 

「こんな日でも大工仕事すんのか?」

 

 弁当を受け取るウーマロに尋ねてみる。

 大雨の時は休むんじゃないかと思ったのだ。

 仕事がないならここで食わせればいいのであって、わざわざ弁当を作る必要がないと思ったからだ。

 だが。

 

「やるッスよ、もちろん」

 

 仕事、すんのかよ?

 

「トルベック工務店は、年中無休、台風でも猛吹雪でも、どんな環境の中でも通常営業ッス!」

 

 いや、台風と吹雪の時は休めよ。……死人が出るぞ?

 

「……大変な仕事」

「マ、マママ、マグダたんがオイラの心配をっ!? オイラ、大工やっててよかったッス!」

 

 安いな、お前の充実感。

 

「あの、みなさん。もしよろしければなんですが……」

 

 ジネットが、静かに語り出す。

 ……あの顔は、何か面倒事を自らの手で引き込もうって時の顔だ。何を言うつもりだ? 妙なことを口走りそうになったら俺が止めなけりゃいかんな。

 

「朝ご飯もお弁当にしてみてはいかがでしょうか? そうすれば、みなさんもっとゆっくり眠れるでしょうし、こんな雨の日に苦労してここまで来なくてもよくなりますし――」

 

 なんということでしょう……

 こいつまさか、「毎朝配達に行きます」とか言い出すんじゃないだろうな?

 冗談じゃないぞ、そんな面倒くさいこと!?

 誰が届けに行くんだ?

 ジネット? 日が昇る前の四十二区は危険地帯だ。俺でも泣きが入るレベルだ。ジネット一人で行かせられるか。

 じゃあ、マグダか? いや、初めてのおつかいバリに不安だ。

 結局は、俺が行くか……ジネットたちが行くにしても、不安だから俺が付き添うことになるだろう。

 どう転んでも俺が毎朝配達する羽目になる。

 冗談じゃない。飯が食いたきゃ早起きしてここまで来ればいいのだ。それが嫌なら食わなければいい!

 

 こちらから届けるなんてのは絶対不許可だ。

 なんとしてもジネットを止めなければ。

 

「――よろしければ、わたしが毎朝お届けに……」

「ジネット、パンツッ!」

「ぅきゃあっ!?」

 

 変わった悲鳴を上げ、ジネットはスカートを押さえてしゃがみ込む。

 ジネットが咄嗟に押さえたのは俺がいる後ろ側ではなく、ウーマロたちがいる前側だった。つまり、もしパンツを見せるなら俺を選ぶという意思表示だと受け取ることが出来る。よしよし、いい心がけだ。今度見てやろう。

 

「み、み、んみ、んみ、み、見ましたかっ!?」

 

 ジネットが、しゃがんだまま真っ赤に染まった顔をこちらに向ける。

 

「いや、見えてないぞ」

「ぅぇえ!? じゃあ、今のはなんだったんですか?」

「ちょっと言ってみたくなっただけだ」

「言ってみたくならないでください、そんな紛らわしいこと!」

 

 ぷぅっ! ――と、ジネットが頬を膨らませる。

 が、こうでもしないとこいつはとんでもない『約束』を交わしてしまっていただろう。間一髪だ。

 

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