「わぁ……っ!」
そんな息を漏らしたのが誰なのかは分からなかった。はたまた、息を漏らさなかった者など存在しないのではないか、とも思う。
「ウェンディさん、とても綺麗です」
「ありがとうございます。……少し、恥ずかしいですけれど」
純白のドレスを身に纏ったウェンディに、ジネットが、そしてその場にいる誰もがため息を漏らす。
「私のような者が、こんな素敵なドレスを着せてもらって……」
「それは違うよ、ウェンディ。ほら、見てごらんよ」
エステラがウェンディの視線を全身鏡へと誘導する。
そこに映る美しい花嫁の姿を目にして、当のウェンディですら息をのんだ。
「こんなに綺麗な花嫁がそんなことを言っちゃいけないよ。今日の主役は、間違いなく君なんだ」
「そうですよ、ウェンディさん。今日、この場所において、ウェンディさんが間違いなく、一番綺麗です」
「そ、そんな…………ありがとう、ございます」
恐縮しつつも、否定の言葉は口にしなかったウェンディ。
それは失礼に当たると思ったのだろう。
自分のためにこれだけのものを用意してくれた多くの者たちに対して。
ここは、陽だまり亭二階。ジネットの部屋だ。
教会には新郎新婦の控室に使えそうな部屋がなかったため、急遽陽だまり亭を控室として開放したのだ。
パレードを終えてから二時間が経過していた。
着替えや式場の準備などを含めたっぷりと時間を取ってある。
その間にマグダとロレッタたちが式場の準備を進めている。
両家の親は現在、領主の館でナタリア率いる給仕たちの歓待を受けている最中だ。
他の招待客は、もとより式の時刻に来るように言ってある。
今ここにいるのは、ジネットにエステラ。そしてウクリネスにお手伝いのハムっ子たち。
そして、割と意外だったのだが、ウェンディとここ最近特に親交を深めているというネフェリーにも来てもらっている。
なんでも、恋の相談に乗ったり乗られたりしているらしい。
「ウェンディ。いよいよ夢が叶うね。おめでとう」
「ありがとう、ネフェリーさん」
「うふふ」と笑い合う二人。
ネフェリーと言葉を交わしたことでウェンディの緊張もほぐれてきているらしい。
で、なんで新婦の控室に男である俺がいるのかというと……
「いい加減、泣き止んだか、セロン?」
「ぐず…………は、はいっ…………も、もう、大丈…………ぶぅぅううっ!」
ここに号泣しているセロンがいるからだ。
なんでも、「ウェンディが綺麗過ぎて、涙が止まりませんっ!」だそうで…………目の中に乾燥材でも塗り込んでやろうか?
「ほら、セロン。いい加減泣き止んで。そんな顔じゃ、みなさんの前に立てないわよ?」
「ウェ……ウェンデ…………うぇぇぇええええん! 綺麗だよぉぉうぇんでぃぃぃい!」
お前はウェンディの父親か。
ここで号泣する新郎ってのは、そうそういないだろうな。
「酷い緊張でポンコツ化してたから、ウェンディを見せてやれば元に戻ると思ったんだがなぁ……」
「逆効果になっちゃったね」
「でも、なんだか幸せそうですよ」
落胆する俺に、呆れるエステラ、そしてくすりと笑うジネット。
「ちょっとセロン! 結婚式の日に、花嫁に気を遣わせるなんて男としてみっともないと思わないの!? もっとシャンとしなさい! でなきゃ、私が許さないわよ!」
「は、はいっ! すみません!」
ネフェリーの檄に、セロンが背筋を伸ばす。
うんうん。こういう時だよな、女友達様が最高の働きをしてくれるのは。
「……それで、アッチの方は準備できたのか?」
ネフェリーがセロンに活を入れている隙に、俺はジネットにこそっと耳打ちをする。
俺はセロンに付きっきりで、セロンをウェンディから引き離す係だったからな、少しだけ不安だったりするわけだ。
「はい。ウェンディさん自慢の逸品が完成しましたよ」
「そうか。…………ちぎったりのっけ盛ったりしてないよな?」
「大丈夫ですよ。ちゃんとした、美味しいお料理に仕上がっています」
「ジネットのお墨付きなら、安心だな」
ウェンディの花嫁修業の際に計画した、披露宴でウェンディの手料理をセロンに食べさせるというサプライズ企画だ。
これのために十分過ぎる時間を取って、その間俺は必死に「花嫁の準備には時間がかかるんだ」とセロンを隔離していたのだ。
結構苦労したんだからな、これでも。
――コンコン。
と、ノックの音がする。
花嫁の控室だからな。どんな理由があろうと外から勝手にドアを開けることは禁止してある。
エステラがドアを開けると、そこにはマグダが立っていた。
「……準備が整った。新郎新婦はスタンバイを」
「了解だ」
式場の準備が整ったらしい。
マグダには、招待客が教会に入ってから呼びに来るようにと言っておいた。
途中でドレスを見られると興ざめだからな。
「セロン。行けるか?」
「はいっ。ご迷惑をおかけしました。もう大丈夫です」
赤い目ながらも、キリッとした表情を見せるセロン。
そうそう。これからお前は家族を持つんだからな。しっかりしろよ大黒柱。
「セロン……カッコいい……」
「いやぁ、それはどうかなぁ?」
「まぁまぁ、ネフェリー。恋は盲目と言うし」
エステラぁ、お前フォロー出来てねぇぞ。
盲目なウェンディに対し、ネフェリーとエステラは冷めた目をしている。
泣く姿ってのは、女子には頼りなく映ってマイナスポイントらしい。
花嫁の評価に対して花婿の評価が低い。
まぁ、結婚式なんてそんなもんか。花嫁が綺麗ならそれでいい的なとこもあるしな。
「セロンさん」
そんな中ジネットが一本芯の通った美しい姿勢でセロンの前に歩み寄る。
いつもの穏やかな笑みながら、とても真剣な眼差しで言う。
「本日から、あなたはウェンディさんの伴侶となります。あなたの行いはすべて、ウェンディさんへも影響を及ぼします。不安があることは分かります。ですが、たった今、この時をもってそんな不安すらも他人に見せない、強い男性になってください。ウェンディさんを愛しているのなら、なんとしてでもです」
それは、ジネットにしては辛辣な言葉に思えた。
泣いたり弱音を吐くことはもちろん、不安を表情に表すことですら許さないという、強い言葉だ。
それらすべてが「ウェンディの伴侶は情けない男だ」という評価に繋がってしまうと。そしてそれはウェンディの評価すらも貶めてしまうのだと。
それはまるで、シスターが時に見せる慈悲のない厳しさのような――
「あなたには、それが出来ると、わたしは思っていますよ」
――温かい慈愛の言葉だ。
「はい。……ありがとうございます」
ジネットに言われた言葉は、きっとセロンの心の深いところに刺さったのだろう。
深々と頭を下げて、再び持ち上げられた時、セロンの顔つきは変わっていた。
セロンのヤツ、一皮剥けやがったな。
そして、ジネットも。
変わったな。
もちろん、いい方に。
「よしっ! じゃあ行くぞ、ヤロウども!」
「ヤシロ。結婚式なんだから、もうちょっと言葉を選びなよ」
いつものノリで叫ぶとエステラからクレームが入った。
んだよ。しょうがねぇな。
「準備はよろしくて!? 参りますわよ、みなさまっ、おほほほっ!」
「……ごめん。君に期待したボクがバカだったよ」
がっくりと肩を落として、エステラが真っ先に部屋を出ていく。これからウェンディが通るドアを先回りして開けてくれるつもりなのだろうが……なんだよ、その態度。お前が変えろって言うから変えてやったのによぉ……ぶつぶつ。
「……ヤシロだからしょうがない」
言い残して、マグダがエステラに続く。
……なんだよぉ、マグダまで。
「セロン、先に行ってウェンディをエスコートしてやれ」
「はいっ! さぁ、ウェンディ。手を」
「うんっ」
手を繋ぎ、部屋を出ていく二人。
ネフェリーがウェンディの後ろに付いて出ていく。ドレスの裾を引き摺らないように持ち上げている。
ネフェリーをサポートするように、妹たちもわらわらとそれに続く。
そうして、部屋には俺とジネットが残った。
「……大丈夫か?」
「へ……?」
視線はドアへと向けたまま、ジネットに尋ねる。
「慣れないことをすると、疲れるだろ?」
「あ……ふふ。そうですね。少し、心臓がドキドキしています」
セロンを叱咤したジネット。
それはウェンディのためでもあり、同時にセロンのためでもある。
あいつらに限って、厳しい言葉に反感を覚えるなんてことはないだろうが……それでも、他人に厳しい言葉を向けるのは心労が溜まる。
ジネットみたいなヤツは、特にな。
「……けれど。後悔はしていませんよ」
「そっか。なら、いい」
さっきの言葉は、ジネットが言う必要のなかった言葉だ。
だが、ジネットに言ってもらえたことで、あの二人の中で何かが変わったことだろう。
「わたしも、願っているんです。今日という日が、とても素晴らしい日になることを」
そう呟いて、俺へ笑みを向ける。
視界の端でそれを捉えて……思わず視線を向けてしまった。
にっこりと笑うジネットの表情は、いつにもまして……その…………眩しかった。
「い、……行こうか」
「はい」
そして、俺とジネットも、揃って部屋を出た。
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