「あの人はね、とても変わり者だったのよ。亜種の私に、とても優しかった」
「『亜種』ってのは、そいつに言われたのか?」
「ううん。あの人は一度もそんなことは口にしなかったわ。街全体で、そういうのはやめましょうって雰囲気は、当時からもう出来上がっていたから」
けれど、人間――特に貴族連中はそういう意思を根強く持ち続けていたのだろう。
これまでに得たシラハの情報では、『シラハは貴族と結婚した』と言われていた。
『あの人』とやらが貴族であるなら、本人の意思に反して、周りはとやかくうるさかったに違いない。
変わり者……か。
いい行いをして変わり者扱いされるってのも、皮肉なもんだな。
「私の家は貧しくてね。九歳の頃には働きに出ていたのよ。生花ギルドにはお世話になったわ」
「ぇ……」
シラハがかつて生花ギルドにいたと聞き、ミリィの触角がぴくりと動く。
自分と共通点があると、無性に嬉しくなる時がある。
今のミリィの表情は、まさにそんな感じだ。
「そこで私はあの人と出会い……お互い、まだまだ子供だったけれど、一生懸命恋をして、そして…………ある日あの人は私のことを外で……」
「その話はまた今度って言ったよな!?」
どうしてもか!?
どうしてもその話をしたいのか!?
つか『外で』ってワードが物凄く嫌な予感しかしないんだよ!
「それじゃあ、この話は、今度、二人っきりの時にね」
「意味深な発言やめてくれる!? なんやかんやあって結婚して、その先の話をしてくれ!」
俺に流し目を向けるババアを叱りつけ、先を促す。
ジネットやミリィ、エステラまでもが赤い顔をしている。乙女に聞かせられない話はするんじゃない。
「ごめんなさいね。なんだか恥ずかしくて……つい、誤魔化しちゃうのよ」
いや、お前が話そうとしていることの方がはるかに恥ずかしい話のはずだぞ。
「こんなこと、自分で言うのは口幅ったいのだけれど……」
シラハは少し照れた素振りを見せ、そして……ふわりとした笑みを浮かべた。
春の風に揺れる菜の花のような、優しい笑みを。
「あの人は、私を正妻として迎えてくれたの」
「ぇ……」
ミリィが声を漏らす。
ミリィは、馬車に乗るのを遠慮するほど、亜種の立場を低く思い込んでいる節がある。
その亜種が貴族の正妻になれるなど、信じられなかったのだろう。
一方のウェンディは……きっと、セロンといろいろ話をしたのだろうな……温かい笑みを浮かべてシラハの言葉を受け止めていた。
亜種だの亜系統だの、そんなものは関係なく、一人の女性として愛する男性と結婚をしようと考えている。そんな余裕を感じる。
「周りの者は……親族たちは反対しなかったんですか?」
質問をしたのはエステラだった。
こいつも貴族だ。貴族が裏でどういうことを考え、実行しているのかよく知っているのだろう。
その経験や知識から、『貴族の者が亜種を正妻にする』なんてことは認められるはずがないという結論に至ったのだろう。
「されたわねぇ。それはもう、苛烈に」
言葉の選択には、その人の人となりが表れる。
経験した時間やその時感じた感情が言語に影響を与えるからだ。
『苛烈』
そんな言葉を選んだシラハ。こいつは、一体何を思ってその時を生きていたのだろう。
「でも、あの人も頑固でね……うふふ」
苛烈な反発の中、きっと二人きりでそれに抗い続けたのだろう。
昔を懐かしむようなその笑みには、同時に悲哀も感じられた。
「長男だった彼が、家を捨てると言い出して…………そして………………焼き討ちにあったわ」
息をのむ音が室内の空気を揺らす。
家を捨て、シラハと生きることを決意した貴族の長男。
それを良しとせず、逆らうならばと強硬手段に出た親族。
ありがちといえばありがちで、三流悲劇のようなその出来事は、若い二人に消えない傷を負わせたのだろう。
その傷は、伝聞ですら、周りの者の心を締めつける。
「火の海に囲まれて、私は必死で飛んだのよ。あの人を抱えて、前も見ずに、がむしゃらに……そうして、命からがら逃げ伸びた時、私の触角は途中から切れて、無くなっていたわ」
半分の長さになった右の触角。
それは、愛する者を救うために負った名誉の負傷……
しかし、その名誉の代償は大きかった。
「結局、それがきっかけで私たちは離れ離れになっちゃったのよ……まぁ、二人とも命があったのだから、それだけでも幸せだと思わないとね」
その時浮かんだ笑みは、まるで泣き顔のように切なげに見えた。
その言葉は本心ではない。けれど、そう言わなければやっていられない。
何より、自分自身が耐えられないのだろう。
「シラハ……あんた、あいつらの前ではワザとボケたフリをしてるだろ?」
「うふふ……そんなつもりはないのだけれどねぇ……」
口元を押さえ、静かに笑う。
こんなにはっきりとした受け答えをして、こちらの言葉の裏を呼んで……このババアがボケているわけがない。
部屋に閉じこもって、与えられるものを美味しそうに食べるだけの婆さん……ってのは、周りの者の目をくらませるための演技なのだ。
「あんたらが引き離されたのは、周りの連中が騒ぎ過ぎたせいだな」
「あらっ……あなた、頭がいいのねぇ」
純粋な驚きを見せて、シラハが俺を見つめる。
「どういうこと……なんですか、ヤシロさん?」
ジネットが俺に問いかけてくる。
焼き討ちから逃げ、それが原因で離れ離れになった。
それだけなら、怪我のせいだとか、相手が絶命した、愛想を尽かした、ケンカが絶えなくなった……と、様々な理由が考えられるが、現在のシラハがとぼけたババアを演じ続けているということを考えれば、答えは一つだ。
「シラハはその事件の後、仲間たちに助けを求めたんだよ。貴族の長男であった旦那が焼き討ちに遭ったんだ。それは相当な事件だ。そこから先、まともに生きていくことは不可能だろう」
貴族として生きていけなくなったとか、怪我をしたとか……
シラハがその男を『抱えて飛んだ』ということは、そいつが自力で逃げ出せない状態だったということだ。
火の手から逃げ出した後も、まだまだシラハたちは追い詰められた状態だった。
そんな状況で頼れるのは親族や同族……仲間たちだ。
「あなたの言う通りよ。ビックリ。見てきたみたいだわね」
「与えられた情報を組み合わせて推論を立てているだけだ」
「そうなの。でも、すごいわ」
ぱちぱちと、マシュマロみたいな手を叩いて俺に称賛をくれる。
やめろ。
そんな寂しそうな顔で送られる拍手なんざ欲しくもねぇ。
「あの人はね……爆発の際、私を庇って大火傷をしたのよ。意識も戻らなくて……本当に肝を冷やしたわ」
そんな状態の旦那を抱えて逃げ出し、行く当てもなかったシラハはこの地へ戻ってきた。
「そして、仲間の元へ戻って……捕まったんだな。仲間たちに」
「えぇ。そうよ」
すっとアゴを上げ、木戸の向こうを窺うような仕草を見せる。
ニッカやカールが聞いていないか、確認したのだろう。
「満身創痍で帰郷した私を見て、家族は大騒ぎをしたのよ。『人間に傷付けられた』って……私の話は、まともに聞いてもらえなかったわ」
「どうして……なのでしょうか? 真実を話せば、分かってもらえたのでは……」
ジネットが困惑気味に言う。
だが、その質問は少し酷だ。シラハに答えさせるわけにはいかない。
代わりに俺が口を開く。
「想像だが……シラハがどんなに真実を口にしたところで、『騙されている』『脅されて、そう言わされているんじゃないか』と、そんな風に取り合ってもらえなかったんだろうよ」
例えば、「この人は悪い人じゃない」とシラハが訴えても、家族は満身創痍のシラハを目の当たりにしているせいでその言葉を信用することが出来ない。
娘の命を危険にさらした者の血縁者である男を、どうして信じられるだろうか。
シラハが懸命に訴えれば訴えるほど、『言わされている』『洗脳でもされているのか』と、そういう思考に走ってしまうのだ。
「そんな……そこまで極端に、思い込むものなのでしょうか……シラハさんの言葉を、一切無視するほどに……」
「ウェンディの両親も、ウェンディの言葉には耳を傾けていないじゃねぇか」
「あ……」
ジネットも実際に見ているはずだ。
何度説得しようと、『お前は騙されている』の一点張りで一歩も譲らないあの両親を。
「それもこれも、『亜種』だの『亜系統』だのいう、くだらない身分があったせいなんだ。『人間は他人種を騙し、差別する』という刷り込みに起因しているんだよ」
「…………」
ジネットが黙ってしまった。
悲しみが胸に広がり、重くのしかかっているのだろう。
お前はあまり触れる機会がなかったのかもしれないな。陽だまり亭で、祖父さんたちに守られて暮らしてこられたから。
それは、とても幸せなことなんだぞ。
「すまんな、ウェンディ。たとえに利用しちまって」
「え……、あ、いえ。お気になさらないでください」
あまりよくないたとえに両親を使ってしまった非礼を詫びておく。
さすがにいい気はしないだろうしな。
ウェンディも、そしてミリィも、複雑な表情をしている。
この二人は、もしかしたらそんな軋轢を垣間見たことがあるのかもしれない。
何かを思い出しているような、そういう感じの表情に見える。
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