「エステラさん。今日は随分と早いですね。何かあるんですか?」
アッスントを見送り、戻ってきたジネット。
確かに、エステラとはいつも教会で落ち合うことになっている。その前にやって来るのはたまにしかない。
だが……
「え? いや、早く目が覚めたから、なんとなく」
「そうなんですか。では、ゆっくりしててくださいね」
「うん。あ、紅茶もらえる?」
「はい、ただいま」
……だいたいそんな理由なのだ。
こいつは陽だまり亭を実家か何かだと勘違いしてるんじゃないだろうか。ちょいちょい落ち着きに来やがる。
「たまには手伝えよ」
「そうしたいところなんだけど……前に、野菜の切り方でマグダに怒られたんだよ…………マグダに」
あぁ、そうか。
普段料理しないからな、こいつは。いつの間にか、マグダに追い抜かれたのか。
マグダも、ここに来た当初は出来ない娘だったのに……時間って、偉大だな。
「ナタリアみたいにうまく出来ればいいんだけど、まだ練習中なんだよね」
「練習してるんですか? 偉いです、エステラさん」
「そ、そう? えへへ」
ジネットに褒められて嬉しそうに笑う。
あんまりエステラを褒めるんじゃねぇよ。こいつはすぐ調子に乗るんだから。
「じゃあ、練習の成果をちょっと見てくれるかな?」
……な?
「ジャガイモはあるかな?」
「はい。立派な男爵をいただいたんです」
モーマット所有の『ハムっ子畑』で採れたジャガイモだ。
いただいたのではなく、あそこは俺たちのための畑なのだ。投資したからな、最初に。優遇されてしかるべきなんだよ。
ハムっ子の労働力に、最初に目をつけた俺は偉いのだ。
「すごいね、このジャガイモ」
「ニンジンも玉ねぎも、今豊作なんだそうです」
「……モーマット、追い抜かれてないよね、技術的に?」
「まさか、そんなことは……たぶん、ないかと」
ハムっ子の吸収力は凄まじい。毎日畑いじりをさせていれば、モーマットを追い抜くのも不可能ではないだろう。たとえ師匠といえどもな。
「じゃあ、見ててよ。――はぁっ!」
何を思ったのか、エステラは突然ジャガイモを高く放り投げた。
そして、懐から取り出したナイフを「シュピン、シュピン!」と、振り回し…………サッと皿を差し出してジャガイモをキャッチする。
皿の上で、ジャガイモが「ぱかっ」と八つに割れた。
「まだ大きさが不揃いなんだよねぇ……」
「そこじゃねぇよ、問題なのは」
なんの練習をしてんだ、お前は!?
「最初に皮を剥いた方がよかったですね」
「あぁ、そうか!」
「『そうか』じゃねぇ! そこでもねぇから、問題点!」
ちゃんとまな板の上で切れ!
パフォーマンス的な見栄えとか求めてないから!
「こりゃしばらく、嫁のもらい手はなさそうだ」
「う、うるさいなっ!? 花嫁修業をしたところでもらい手が出来るわけじゃないだろう!?」
「エステラ、お前……ノーマに向かってなんて酷いことを……」
「言ってないよ!? そう解釈するヤシロの方が酷いんじゃないか!」
ここでの会話を聞かせたら、ノーマとエステラの間で戦争が起こるな、きっと。
「だ、だいたいボクは嫁に行く気なんかないんだ。婿を取る立場だからね」
「巨乳な男が見つかるといいな」
「お断りだよ、そんな男!?」
バカ、お前。遺伝子的には必要だろうが! 子供を負の連鎖に巻き込むんじゃねぇよ。
「子供を負の連鎖に……」
「それ以上言うと剥くよ?」
おぉっと、しまった。
今エステラはナイフを持っているんだった。
少し言葉を控えよう。
「もう、お前の手伝いはいらん。マグダを起こしてきてくれ」
「えぇ……マグダって寝起き悪いんだよねぇ」
「お前は文句ばっかりだな。たまには進んで、『よぉ~し、耳元で「あっは~ん」って吐息を漏らすセクシーな起こし方をしてくるよっ!』とか言えんのか?」
「言えないよ! まず、そんな奇妙な起こし方はしないからね!」
ぷりぷりと文句を垂れながらも、エステラはマグダを起こしに二階へと向かう。
その間、俺とジネットは教会への寄付の下ごしらえだ。
「ヤシロさんも、朝は苦手ですよね」
「今日は起きてるだろうが」
「そうですね、うふふ」
嬉しそうに笑いながら、器用にジャガイモの皮を剥くジネット。
アッスントに用がある等、用事がある時のみ、俺は早起きをする。
そして、その度にジネットは嬉しそうな顔をしている。
いつもは一人でやらせちまってるからな。
「毎朝手伝おうか?」
「いいえ。たまにの方が嬉しさが増していいです。それに――」
ジャガイモで口元を隠すようにして、ちらりとこちらへ視線を向ける。
「――寝ぼけたヤシロさんを見るのも、割と好きですから」
少し小憎たらしく、少し可愛く……非難の言葉も浮かんでこない、そんなからかいの言葉に口をつぐむ。
なんだか悔しいな、くそっ。
言う言葉が見つからず、黙々と作業を続けていると、マグダが不機嫌そうな無表情で厨房へと入ってきた。
「……エステラは分かっていない。『起こし』の才能がない」
どうも、エステラの起こし方が気に入らなかったようだ。
少し遅れて戻ってきたエステラに向かって指を差し、説教を始める。
「……乳も揺れない残念ボディなのだから、『あは~ん』と吐息を漏らすくらいのセクシーさを身に付けるべき」
「なんでマグダはどんどんヤシロ化していくのさ!? ボクがそんなことするわけないだろう!?」
「……相手がヤシロだったら、分からない」
「そっ、そんなわけないだろう!? し、しないよ! ……しないからねっ!」
別に期待もしていないのに、わざわざ俺の顔を見て念を押してきやがった。
そう力説されると「フリ」みたいな気がしてしまうんだがな。「押すなよ」的な、な。
「マグダさん。顔を洗ったらお手伝いをお願いしますね」
「……任せて」
ゆっさゆっさと尻尾を揺らして厨房を出て裏庭へ向かうマグダ。
あの尻尾の揺れ方は機嫌が悪い時だな。エステラの起こし方がよほど気に入らなかったのだろう。
…………不貞寝しそうだな。
「マグダさん、顔を洗う前に二度寝をしそうですね」
くすりと笑って、ジネットが言う。
こいつも分かるんだな、マグダの考えていることが。
まぁ、顔を洗う前に寝てしまえば「顔を洗ったらお手伝い」という約束は嘘にならないからな。下ごしらえが終わったとしても、寄付のお手伝いは残っている。
顔さえ洗わなければ、ずっと自由時間だ。
「どんな起こし方したんだ、お前は?」
「え? 普通だよ」
「ロレッタくらい?」
「……そこまで普通じゃないかな」
ロレッタの普通は、そんじょそこらの人間には超えることが出来ない普通だからな。
さすがのエステラも、普通に普通は超えられなかったようだ。
「揺すっても起きなかったから、布団を引っぺがしただけだよ」
「「あぁ……」」
「え、なに!? どうして、二人一斉にため息!?」
俺は隠すことなく落胆し、ジネットは苦笑いを浮かべて、同時に息を漏らした。
エステラ……それ、一番やっちゃいけないヤツだ。
「マグダさんは寒がりさんですので、お布団をいきなり剥ぎ取るととても不機嫌になられるんですよ」
「だって、起きないからさ……」
「そういう時は、『早く起きてくれると嬉しいなぁ~』というニュアンスのことを耳元で囁くと、割とスムーズに目を覚ましてくれますよ」
「……なにその面倒くさい優遇」
なるほど。ジネットはそんな起こし方をしているのか。
どうりでジネットが起こしに行く日は機嫌がいいわけだ。
ちなみに俺は、朝食のメニューを耳元で囁いてやる。
すると、物の二分ほどで腹を鳴らして起きてくるのだ。こちらの方が効率的だといえるだろう。
「君たちが甘やかすから、マグダがどんどんヤシロに似てくるんだよ……」
「こらこら。俺は甘やかしてないし、俺に似ることを悪いことのように言うんじゃねぇよ」
「おそらくだけど、ヤシロが三人現れたらこの街は消滅するよ? ……つまり、マグダが覚醒したらリーチなんだよ」
「俺は、どこぞの魔神か」
覚醒だ、消滅だと失敬な。
そこそこ街の発展に貢献してんだろうが、まったく。
相変わらず手伝わないエステラと、やはり戻ってこないマグダを放っておいて、俺とジネットで下ごしらえを進める。
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