こうして、三十六区『粉物』祭りは、盛況のうちに幕を下ろした。
空はとっぷりと暮れている。三十五区での販売はもう無理だろうな。着く頃には結構深い時間になるだろう。
「三十五区での販売は明日の朝にするか」
「では、お昼過ぎに出発ですか?」
後片付けをしながらそんな話をする。
そうだな。十一時くらいから始めて十三時くらいまでやれば荒稼ぎが出来るだろう。
それから四十二区に帰るとしよう。
「では、陽だまり亭に着く頃には夜ですね」
「そうなるかもな…………って、その残念そうな顔……お前まさか、明日営業する気だったのか?」
「えっ!? あ、いえ! 早く着いたら……とは、考えてましたけど……」
社畜だ……社畜がいる。
遠出の後に仕事とか……
いや、まぁ。ジネットにとっては、陽だまり亭で働くことが生き甲斐であり、趣味であり、娯楽の一種なのかもしれないけどな。
「明日はさすがに休もうぜ」
「そうですね。みなさんを付き合わせるわけにもいきませんし。翌日に備えてゆっくり休みましょう」
翌日は問答無用で通常営業なんだろうな。
タフなヤツだ。
「その分、明日は頑張りましょうね」
「おう! 稼ぐぞ!」
「はい。みなさんに笑顔になってもらいましょう!」
……目的が俺とジネットで随分違うな。
ま、結果は同じことになるから別にいいけどな。
「……ヤシロ。二号店は概ね片付け終わった」
「よし。んじゃ、俺たちも飯にするか」
あらかたの片付けは済んだが、七号店の鉄板は熱々の状態だ。
俺たちの分の飯を作るからな。
「……マグダはお好み焼きを断固拒否する」
「あたしも……一日中、それも熱い中嗅ぎ続けたですから……」
「甘辛い香りの、拷問やー!」
「え、えっと……わ、わたしはなんでも構いませんが……出来たら……」
「分かってるよ。ちゃんとお好み焼きじゃないヤツを考えてあるから」
前回、陽だまり亭で一日ソースの匂いを嗅ぎ続けた従業員たちを見ているからな。今日も同じようになることは想像できた。
なので、粉物はやめて鉄板焼きにするつもりだ。
豚肉と海老、あと野菜があるからな。そこそこ食えるものになるだろう。
「お手伝いしましょうか?」
「じゃあ、野菜を大きめに切ってくれ」
「はい」
ジネットが鉄板焼きにうってつけの大きさにキャベツをカットしていく。
その間に、俺はパンケーキを焼いておく。
甘さは無しにして、パンの代わりにするのだ。
野菜と肉を挟めばハンバーガーっぽいものになる。
と、そんな俺の横で、マグダとロレッタが何やらごそごそし始めた。
何をしてるんだと覗き込んでみると……
「……ヤシロにたこ焼きを作った」
「食べてです!」
「お前ら……俺も、お前らと同じ時間ソースの香りを浴び続けていたんだが?」
自分たちは拒否したのに、俺には食えってのか……あぁ、もう。作っちまった後じゃ拒否も出来ねぇじゃねぇか。…………熱そうだな、また。
「お兄ちゃん! さっきのは業務用で、実はそんなにかかってなかったです!」
突然割り込んできて、ロレッタが必死な顔をして何かを訴えてくる。
業務用? なんの話だ?
「だから、これが、その……生まれて初めての『ふーふー』です!」
そう言って、マグダの持つ皿からたこ焼きを一つ取り、口元で「ふーふー」と息を吹きかける。湯気と一緒に、鰹節が揺れる。自分で食べるのかと思わせるほど、たこ焼きが唇に近い。
そして、十分に熱が冷めたたこ焼きをこちらへと差し出してくる。
「あ、『あ~ん』です!」
つまりアレか。
さっき客にやっていた「ふーふー」は業務用で、その実吹いているフリをしていただけだと。実際は息もそんなにかかっていなくて、言ってしまえば「ふぅ~」と一回だけなので「ふーふー」には当たらない。これこそが、正真正銘ロレッタの初「ふーふー」だ。――とでも言いたいのだろう。
で、その「初めて」を、俺に食わせていいのかよ?
「早くです。落ちるです!」
ロレッタの手がぷるぷる震え出す。
確かに、あと五秒でも放置すればたこ焼きは重力に抗えず落下してしまうだろう。
それはもったいないな。
ならば、俺の取るべき行動はただ一つ…………このたこ焼き、さっきロレッタの唇にすげぇ接近してたよなぁ………………
「あっ、あぁっ、は、早くです!」
「お、おう! 分かってるよ!」
別に照れてないし。
そもそも、ロレッタが仰々しいことを言うから…………えぇい、ままよ!
俺は食うぞ!
差し出された丸い物体にかぶりつく。
そいつは紛うことなきたこ焼きで、甘辛いソースの香りと共に……激しい熱が俺の口内へ広がっていく。
「熱っ! はふっ! はふっ! 熱いよ、お前!」
全然「ふーふー」が役割をはたしていなかった。
あっつい! 物凄く熱い!
けど、吐き出すわけにもいかない……
なにせ、ロレッタが少し不安げに、でもどこか期待したような顔で俺を見ているのだから。
「どうです?」
熱いよっ!
「お、美味しいです?」
熱くてよく分かんないけどねっ!
俺が「はふはふ」言って答えられないでいると、ロレッタの瞳がみるみる不安の色に塗り潰されていった。
あぁっ、待て待て! 今言うから! 感想ちゃんと言うから!
大慌てて飲み込むと、炎の塊を飲んだような熱さが食道を落下していく。
……ちょっと、泣きそうだ。
「う、美味かったぞ……ロレッタ」
食道が焼かれ、声がうまく出ない。
だが、それでもロレッタは満足そうに頷いてぴょこりんと飛び跳ねた。
「なら、よかったですっ!」
……こんなもんで喜んでもらえるなら、お安い御用………………
「……あ~ん」
マグダが、焼けただれた食道をさする俺の目の前に、丸い物体を差し出してくる。
「……マグダも、これこそが本気の『あ~ん』」
「いや、ハム摩呂にならいいだろう、別に、身内みたいなもんなんだし……」
「……マグダの、本気の、『あ~ん』」
いや、俺もな、ロレッタがさ、「なんとなく大切にしなきゃいけないようなものをやすやすと客に差し出すわけじゃないんです」って証明がしたくてさっきみたいな行動に出たってんなら理解できるんだよ。
でもさ、マグダ。
お前はいいだろう?
それに俺、「あ~ん」ってしてやったことあるよな?
「……今こそ、マグダの、本気の、『あ~ん』」
どこで火が点くか分からないよな、マグダの負けず嫌いは……っていうか、マグダ。
「『ふーふー』は、ないのか?」
「…………」
マグダの耳がピーンと伸びる。
お、照れてるのか?
「……ヤシロは、それを所望?」
「ま、まぁ、所望……かな?」
確実に熱いからな。
ロレッタのだって死にそうな思いをしたんだ。
そのままは、きっとキツイ。つか、無理。
「…………それは、求め過ぎ」
乙女心に火が点いたらしいマグダは、珍しくあからさまな照れっぷりを見せつけ、たこ焼きを問答無用で俺の口へと突っ込んできた。
「ごぅっふっ!?」
……マグダ。
それは、鬼の所業だ……
「……マグダは、容易く思い通りに出来る女ではないと自覚するべき」
なら、引き換えに、熱過ぎるものを口に突っ込むと火傷すると覚えておいてくれ。
「あの、ヤシロさん……あまり冷たくはありませんが、お水です」
「はふはふぅっ!」
「えっと……『ありがとう』、ですね?」
熱くてしゃべれない俺の、精一杯のアピールを見事読み解いたジネット。さすがだ。
あぁ……死ぬかと思った。
まぁ、分かるんだよ。
なんとなくだけどな、乙女心っての? 微妙な感情が渦巻いちゃったんだろうな、きっと。なんとな~くは理解できるんだけどさ……とりあえず、これだけははっきり言っておく。
「今後、客への『あ~ん』と『ふーふー』を禁止する」
巡り巡って俺が災難に見舞われるからな。
「……了解した」
「あたしも、分かったです」
「分かった、つもりやー!」
うん。ハム摩呂は分かってないんだな。でもまぁよし。ハム摩呂だし。
「……店長も食べるといい。マグダのたこ焼き」
「熱いですから、一旦割って、中を冷ましてから食べるといいです」
「その気遣い、俺の時も欲しかったな……」
火傷しなかったからよかったけどな。
でも、しばらく熱いものは避けたい気分だ。
「あの、ヤシロさん、大丈夫ですか?」
いい感じに冷めたたこ焼きをもくもくした後で、ジネットが俺を気遣ってくれる。
「もし、何かしてほしいことがあれば言ってくださいね?」
「んじゃあ、お好み焼きを挟んで……」
「懺悔してください」
介抱はするが、なんでもいいってわけではないようだ。
ちぇ~……
それから、パンケーキに海老と豚肉を挟んだなんちゃってバーガーをみんなで頬張り、三十五区を目指して残された道程を歩いた。
空は闇に覆われていたが、四十二区よりも高い位置にあるせいか、星空がとても綺麗だった。
それを見上げてみんなで歩く夜道は、不思議とまったく怖いとは感じなかった。
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