「……ヤシロ…………っ、もう、限界……っ」
「こらえろマグダ! もうすぐ……もうすぐだから!」
「わっ、わっ! すごい力で押されてるです! おち、落ち着くですよっ!」
「ヤシロさんっ、頑張ってください! もう少しです!」
陽だまり亭の厨房は、戦場と化していた。
「す、す、すごく美味しそうですね、ヤシロさん! 精霊神様が微笑んでいらっしゃるような、甘い香りが致します!」
「あぁっ! あたいも、ヤシロに頼まれた、『異次元胃袋シスターが暴走しないように押さえ込んでくれ』って頼みを完遂したいのに…………っ! この甘い香りと、その胸キュンな見栄えは反則だぁ! あたい…………もう、我慢できないっ!」
「……くっ! デリアのパワーが上がった!」
「マ、マグダっちょ! あ、足っ! 足が地面にめり込んで…………ぅゎああああっ! 建物が軋み始めたですっ! 物々しいオーラを発してるです、このお二人!?」
ケーキの試作をするため、教会を代表してシスターベルティーナに作業工程の視察と監査を依頼したのだが……甘い物を前にベルティーナが暴走するのは目に見えていた。
だから俺は、デリアにベルティーナを押さえ込むよう頼んだのだが……それが間違いだった。
デリアまでもが、ケーキの甘い香りとトキメキの見栄えに暴走を始めてしまったのだ。
もはや、頼れるのはマグダだけ。
しかし、それもそろそろ限界……このままじゃ、ケーキが完成する前に食い荒らされてしまうっ!
「ヤシロさんっ! 連れてきたッスよ!」
「ウーマロ! 助かった!」
「なんなんだい、こんなところに呼び出して…………なんなんだい、この地獄絵図は……?」
ノーマが咥えていた煙管をぽろっと落とす。
「申し訳ありません、ノーマさん! 早く厨房の中に……っ、マグダさんを助けてあげてくださいっ!」
「……ったく、しょうがないねぇ…………」
落とした煙管を拾い、くるくると回して胸の谷間に差し込む。……熱くないのかな?
「ウーマロ! お前もそいつらを押さえててくれ!」
「ぅぃいえいやあああっ! ムリムリムリムリ! 無理ッスよ! じょ、……女性に触れるなんて……オイラ…………恥ずかしい」
「ええぇぇえい、使えんキツネめ!」
ウーマロは、マグダと妹たち、そして同じキツネ人族のノーマ以外の女性とはろくに口すら利けないのだ。
……アリクイ兄弟がミリィに興味がなくマグダにゾッコンなことといい、ウーマロがこんな色っぽいお姉さんが平気なことといい……こいつらの価値観がいまだによく分からん。
「お兄ちゃん! 早く! まだ終わらないですか!?」
「っと! そうだ! あとは生クリームを絞り袋に入れてデコレーションして、その上にイチゴを載せれば……っ!」
「イチゴっ!? イチゴが載るのですか!? 精霊神様の御心のように純白の生クリームの上に、精霊神様のまごころのような温かい色合いのイチゴが載れば、それはまさしく精霊神様へ捧げるスウィーツ! 私が一番にいただく権利があると思いますよ、ヤシロさん!」
「だから! そんなことしなくても、試食でお前が一番に食うことになるんだから、大人しくしてろっつってんだろ!?」
ベルティーナの目が血走っている。
……聖女のする顔じゃねぇぞ、それ。
「ズルいぞっ! あたい、イチゴ割と好きなんだからな!」
「割とならちょっと我慢してろ! あとでやるから!」
「たった今から大好きに昇格した!」
「待ってろっつの!」
デリアが獣へと変貌していく。
……くそ、こいつを厨房に入れたのは間違いだった。
「……マグダも、そろそろ危ない」
「ちょっ!? 待て待て待て! お前は最終防衛ラインなんだからな!? こらえてくれよ!」
「……むぅ……ヤシロの期待には…………応えたい…………でも」
「なんなんだい、この子たちは!? どこから、こんな力が…………アタシに苦労かけるんじゃないよ、まったく!」
ノーマがいなければ、今頃防衛ラインは決壊していただろう。
急がねばっ!
「ヤシロさんっ! 頑張ってくださいっ!」
「ちっきしょうぉぉおおおおっ! ケーキくらい落ち着いて作らせやがれ!」
俺は急ピッチで生クリームをデコレートし、イチゴを華麗に飾りつけた!
「「「「「おおおおおっ!?」」」」」
なんか、いろんなところから歓声が上がった。
見ると、厨房の入り口には無数の人間が詰めかけていた。
ロレッタの弟妹たちや、セロンにウェンディ、ヤップロック一家や、ベッコにアッスント。
四十区からも何名か招待してある。
「ヤシロさんっ! ワタクシ……ッ! ワタクシを中に入れないとは……入れ……ちょっと、お退きなさいな! 見えませんことよっ!」
なので当然、イメルダも来ている。
「ヤシロー! 聞こえるー!?」
エステラの声だ。
厨房に詰めかけた人垣の向こう、食堂から大きな声をこちらに飛ばしてきている。
「おぉー! そっちはどうだ!?」
「準備OKだよ!」
よし。準備は整ったらしい。
「ヤシロさん! ケーキ! ケーキを私に! 監査員である、この、私にっ!」
「いいや、あたいが先だ! ヤシロの頼みをなんだって聞いてやれる、マブダチの、一番信頼のおける、このあたいが先だ!」
「……マグダも、もう、我慢が……」
「じゃ、じゃああたしも食べたいですっ!」
「ちょっ!? 押すんじゃないよっ! 危な…………危ないじゃないかい!?」
猛獣たちが理性を失い、ノーマを押し退けてケーキへと突っ込んでくる。
このままでは、ケーキが台無しに…………っ!?
「いい子に出来ない人に、ケーキはありませんよっ!」
ピタッと、全員の動きが止まった。
俺が何度注意しても聞かなかった連中が、ジネットの大声ひとつで動きを止めた。
真っ赤に染まっていた瞳が……澄んだ空のように清く澄んでいる。……いや、怯えている。
「……ジネットが怒る時は、本気の時です。本気でケーキをくれない可能性があります」
「店長がたまに見せる本気は、おっかないんだよな」
「……なんだかんだ甘いヤシロとは違う」
「ですね。店長さん、シャレとか言わないタイプですし」
こいつら……俺のことは舐めて、ジネットの言うことは聞けるってのか?
今度マジで泣かしてやる。……個別に。
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