その女性は、白い無地のシャツを着て、胸元に紐を巻き付けていた。
それも、右乳の上から左乳の下へ、そして左乳の上から右乳の下へと、谷間で紐がバッテンになるように締め上げている。
たすき掛けを前後逆にやったような形状だ。
パイスラならぬ、パイクロス!
パァイ・クロォースッ!
っていうか、あれたすき掛けだな。
たすき掛けを前後逆にやっちゃった?
なんておっちょこちょい!?
でも素晴らしい!
ありがとう世界!
ありがとう未来!
僕らは明日からも前を向いて生きていけるよ!
「おっぱいばるぅ~ん!」
「二度目だよ!」
エステラが大きい声を出すと、おっぱいたすき女子が顔を覆ってうずくまった。
「やっぱり変な目で見られたぁー!」
いや、そりゃ見るよ!
ただし、全然変な目じゃないけどね!
「崇高な芸術作品を見るような目で見ているが?」
「うむ。ワシもまったく同じ気持ちじゃぞい」
「ミスター・コーリン。ややこしくなるので、このタイミングでヤシロ側につかないでください」
タートリオがエステラに首根っこを掴まれて着席させられている。
他所の貴族にも遠慮がなくなったもんだな、ウチの領主。
で、おっぱいたすきから遅れること一分半。
外で一緒に騒いでいたのであろう男二人がひょっこりと顔を覗かせてきた。
「いかがでしたか!?」
いかがも何も。
「大変素晴らしい!」
「ありがとうございます!」
俺が絶賛すると、線の細い男の方が深々と頭を下げた。
柔らかそうな茶髪を揺らして、頼りない笑みを浮かべる男。
もう一人は黒髪ストレートが艶を放つ地黒の男。
黒髪の方はにこにことずっと笑みを浮かべている。
「あぁ、やっぱりあなただったッスか、ネグロ様」
「おぉ、トルベック様! あなたまでご一緒だとは、まさに僥倖です!」
互いを様付けで呼び合うウーマロとネグロという名前らしい茶髪。
「オイラに様は必要ないッスよ」
「いえいえいえ! 何をおっしゃいますやら! これからの土木ギルドを背負って立つお方が!」
「ですから、オイラは組合をすでに抜けて……土木ギルド!? なんか、話が一層大きくなってないッスか!?」
土木ギルド組合を背負って立つ男から、土木ギルドを背負って立つ男にランクアップされているらしい。
組合は土木ギルドの一部の者たちだけが集まった一組織だもんな、大元の土木ギルドより随分と小さい集まりだ。
「よっ、昇進おめでとう」
「重たいだけッスよ、そんなの……」
なんの見返りもないもんな、勝手な期待を押しつけられるのって。
「で、これはなんのお祭り騒ぎだったんだ?」
「ややっ! これはご挨拶が遅れまして!」
ネグロが姿勢を正し、俺の前に立つ。
……なんで俺?
領主のエステラとか、情報紙発行会役員のタートリオとか、土木ギルドを背負って立つウーマロ様とかがいる中で、なんで俺?
「私は、ネグロ・ヴィッタータス。土木ギルド組合の役員の一人、ヴィッタータス家の次男です」
ヴィッタータス?
聞いたことがない名前だ。
エステラを見ると……あ、なんか知ってるっぽい顔だな。
ウーマロもタートリオも聞き覚えのある名前らしい。
「今回の騒動の間、元役員であったグレイゴンの暴走を見て見ぬふりをし一切口を出してこなんだ、事なかれ主義な役員じゃぞい」
タートリオから辛辣な評価が。
ま、役員と言えど一枚岩じゃないだろうし、仲良くもないのだろう。
グレイゴンの暴走をわざわざ諫めて軋轢を生むようなことはしたくなかったってところか。
「おっしゃるとおりです。父は、おのれに火の粉が降りかかるのを嫌い、将来有望なトルベック工務店への不当な扱いを黙認したのです」
そこの次男坊ってわけか。
「そして、こちらが――」
ネグロが黒髪地黒の男を示すと、黒髪男は自分で名乗った。
「僕は、クルス・マクロスピルス。同じく土木ギルド組合役員のマクロスピルス家の三男だよ。あぁ、いや、です。ですです」
あはは~っと笑う黒髪のクルスは緊張感に欠けるおおらかな性格のようだ。
細かいことを気にしない感じの人種なのだろう。
そして、最後の一人。
おっぱいたすきの女性が立ち上がる。
胸を隠すように腕を組んで、背を丸め気味にして、やや斜に構える。
じっと見つめればどんどんと体が向こうを向いていく。
「視線っ! 視線が突き刺さってくるっ!」
「ヤシロ。ガン見の限界を超えようとしないの。目を突くよ?」
さらっと恐ろしいことをのたまう微笑みの領主。
残虐の領主にでも名称変更しろ。
「え……っと、自分は」
胸元を強調するようにたすきで押さえつけられた服を引っ張って、少しでも胸のラインを隠そうとする黒髪の女性。
長い髪を後頭部の高い位置で一つにまとめてポニーテールにしているのだが、きりっとした顔立ちと相まって武士っぽい雰囲気を醸し出している。
まぁ、そのきりっとした切れ長の瞳には涙が浮かび、現在は羞恥によってふにゃんふにゃんになっているわけだけれども。
「自分は、トト・フレキシリス。土木ギルド組合とは縁もゆかりもない、ただの、彼らの知り合いです」
「トト殿はクルス君の幼馴染でして、今回の一件を受け、先行き怪しい組合の現状を打破するためご協力を要請し共に活動していただけることになったのです」
ネグロが追加で説明をする。
「僕とネグっちは組合の集まりで何度も会ったことがある幼馴染でね、年齢が近いからって仲良くしてもらってるんだ。ネグっちは外周区の貴族である僕にも親切にしてくれるいい人だから、全力で協力しなきゃって思ったんだ」
『外周区の貴族である僕にも』ってことは、ネグロはそうではないのだろう。
クルスはさらに続けてトトとの関係も説明する。
「オトトちゃんは同じ三十四区の貴族同士面識があった幼馴染なんだ。ね?」
「うむ。家同士が良好な関係を築いていて、幼少期から共に遊んだ仲なのです」
つまり、黒髪のクルスを介して知り合いになった三人ってわけか。
三十四区って言うと、ルシアの幼馴染が領主をやってるとこだな。糖尿病予備軍の、たしか……ピッグ・ブッタだったか? タップン・タップだったか……
「領主の名前は、ポッチャリ~ヌ・マンマルハラだったか?」
「ダック・ボック様です」
おっぱいたすきが真面目な顔で訂正してくる。
え、あの辺の領主の名前って、正確に覚える必要あるの?
「あの穏やかな領主様のおかげで、我々は平穏な日々を過ごせているのです。他区の者とはいえ、敬意を表していただきたい」
侍っぽい風貌に似つかわしく、頭の方は固そうだ。
おっぱいは物凄く柔らかそうなのに!
「ところでバルゥ~ンアート」
「こ、これはアートではありませんっ!」
では、なぜ敢えてそのように強調しているのか!?
それは、人々へ訴えたい何かがあるからではないのか!?
だからこそ、注目を集めるような加工をしているのではないのか!?
ならば、それすなわちアート!
おのれの作品で世に訴えかける強いメッセージ!
それってもう、アートじゃん!?
「ところでバルゥ~ンアート」
「違うと言っています! その呼び方をやめてください!」
「バルゥ~ンちゃん」
「そっちです、主にやめていただきたいのは!」
アートじゃないって否定してたからアートの方を取ったのにさぁ~!
感じ悪ぅ~い。
「ヤなヤツ!」
「とか言いながら、顔がふにゃっふにゃだよ、ヤシロ」
それはだって、ばるぅ~んなんですもの。
「時にオオバヤシロ様」
ネグロが俺の前で、真剣な顔をして俺の名を呼ぶ。
「いかがでしょうか?」
いかがとは?
「我々の親は、土木ギルド組合の役員でありながら、そこに属するトルベック工務店や他の――主に四十二区の港の建設に貢献された大工たちを冷遇し、その現状を放置しました」
その結果、ウーマロたちの連合と組合の間には大きな溝が出来ているわけだ。
没交渉、上等! ってな。
「そのような者の身内が突然現れたところで、話を聞いていただける可能性は低く、仮に聞いていただけても、感情面ではかなりのマイナスからスタートすることになります」
ぐっと拳を握り、ネグロは唇を噛む。
「私は、組合の現状を変えたい。そのためには、ウーマロ・トルベック様とトルベック工務店、そして、カワヤ工務店をはじめとする有能な大工たちの協力が不可欠だと考えています!」
カワヤ工務店も、腕はいいって言われてたしな。もともとルシアのお勧め工務店だし。
それに、四十二区でウーマロたちと共同作業を行うことで、いろいろ磨かれた技術もある。得た知識もある。
今四十二区に集まってる大工たちは、急成長している。
組合を立て直したいと望むなら、ないがしろには出来ないよな。
「しかし、組合が彼らにしたことを思えば……仮に父がやったことであろうと、それを止められなかった私も同罪! 容易に許しを得られるとは考えておりません。ですから!」
瞳の奥に炎を滾らせ、ネグロが俺の前で片膝をつく。
なんか、プロポーズでもされそうな熱量を感じで、若干引き気味なんだけど、俺。
「オオバヤシロ様! あなたにご助力願いたいのです! ウーマロ・トルベック様が最も信頼を置き、数多の領主様方から一目を置かれ、目覚ましい発展を遂げる改革の四十二区の領主である微笑みの領主様の右腕と目されるあなたに!」
「ごめん、たぶん人違い」
「いや、紛れもなく君のことだよ。……ボクの評価に関しては、再考願いたいところだけれどね」
改革の四十二区ってなに?
またそんな変な通称を勝手につけられたの?
「しかしながら、組合は四十二区に敵対し、トルベック工務店を攻撃し、ヤシロ様にとっては憎き仇敵も同然! 私が会いに来たとて門前払いをされても仕方のないこの状況……いいや、むしろ、その場でこの首を掻き切られることも覚悟してまいりました! それほど憎まれていることはもはや明白っ!」
この男は熱いのだが、思考の飛び方が極端だな。
やっぱ残念な人間しかいないんだろうな、この街は。
会っていきなり首を掻き切るとか、ねーよ。
「そこで、ヤシロ様に好印象を抱いていただくために、私は貴族の子息というくだらないプライドを捨て、地に手を突き、額をこすりつけてトト殿に助力を願ったのです! 私の知り合いの中で最も大きく柔らかそうなおっぱいを持つ、トト殿に!」
「くっ! ヤシロの性格が的確に分析されている……やり手だね!」
エステラが頬に冷や汗を流す。
無駄な水分を使うな、もったいない。
だいたい、身内の悪行を止められもせず、事が済んでから「助けてほしいのでお話を聞いてください」なんてアポなしで乗り込んでくるようなヤツに、なんで俺がわざわざ時間を割かなきゃいけないんだ。
誠意の表し方ってのは、そういうもんじゃないだろう!
「まだ足りませんか……仕方ないっ! クルス君、頼む!」
「おっけー! オトトちゃん、ジャンプ!」
「え? しょ、承知した!」
じゃんぷ!
ぷるん!
着地!
ぽぃ~ん!
「しょうがねぇな、話だけなら聞いてやる!」
「ありがとうございます!」
俺はこの街で初めて、手強い策略家に出会ったかもしれない。
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