「やっ!」
バルバラに捕まることはなかったが、テレサの小さな手が俺のズボンをぎゅっと掴んだ。
「あーし、おねーしゃとずっといっしょ! ばいばい、やっ!」
あぁ……いい娘だな、お前は。
こんなダメ姉を捨てられないなんて……
「そうかそうか。じゃあ、テレサがバルバラを養ってやるんだぞ」
「ぅん! あーし、おねーしゃ、まもぅ!」
「よかったな、ブリブリ。守ってくれるってよ」
「いやっす! アーシがテレサ守るっす! 守られるなんてないっすよ、姐さん!」
「でもお前、ヤップロックんとこにいられんの一年なんだろ? その後どうすんだよ?」
「姐さんのところでお世話になりたいっす!」
「ん~……ウチ、バカはいらねぇんだよなぁ……」
はっはっはっ、おいおいデリア。それはジョークか?
バカばっかじゃねぇか、お前んとこのギルド
「おねーしゃ、へーちょ! あーし、おねーしゃ、まもぅ!」
「ぎゃー! なんかマジでそうなりそうな気がしてきた!? どーしよう!? どーしたらいい、なぁ、英雄!? なんかいい案寄越せ!」
「それが物を頼む態度か?」
「このとおりだよ!」
と、呪いの般若が真下から俺の顔を覗き込んでくる。
地方のヤンチャ坊主が修学旅行でやって来た他所のヤンチャ坊主に出会った時のような、「おぅ、ナニ見てんだ、コラ?」ってセリフがぴったりきそうな体勢だ。……どのとおりなんだよ、それは?
「じゃあ、まず、教養を身に付けることだな」
「きょ、きょーよー……な。お、おぅ、つけてやらぁ」
まぁ、なんて教養とほど遠いお言葉。
「頑張って、力も知能も妹よりすごい姉貴でいろよ。『おねーしゃ、すごーい』って言われたいだろ?」
「言われたい! いいな、それ! もう一回言ってくれ!」
俺に言われても嬉しくないだろうに……
「じゃあ、ベルティーナ先生にお願いして、いろいろ教えてもらえ」
「おう! シスター、んじゃあひとつ、よろしく頼むぜ!」
「バルバラさん……」
ばっと腕を突き出したバルバラを見て、ベルティーナは柔らかく微笑み――俺とエステラとロレッタとレジーナがそそっと距離を取った後に――差し出された手を握った。
それはもう、力強く。
「あんぎゃぁぁあああああああああっ! 痛い痛い痛い痛い痛い痛いっ!」
「バルバラさん。『シスター、お願いします』、ですよ?」
「シスターお願いします! 悪かった、あーしが間違ってたから手ぇ離せぇ!」
「『ごめんなさい。以後気を付けますので、どうか手を離してください。お願いします』です」
「それ! もう、マジ、それだら! だから頼む!」
「…………。えい」
「ぴぎゃぁぁあああああああ!」
「『ごめんなさい。以後気を付けますので、どうか手を離してください。お願いします』です」
「ご、ごごっご、ごめんなさい以後気を付けますのでどうか手を離してくださいお願いしますですぅぅうう!」
ベルティーナ、強い。
デリアまでもがちょっと緊張した表情を見せて距離を取っているし、教育モードのベルティーナは、純粋な力を超えた特殊な迫力があるんだろうな。
教育には、時にはムチも必要なのだ。
その証拠に、バルバラが大人しくなった。
「あ、あの……とりあえず、計算だけ教えてくれ……ください!」
おぉっと、早速バルバラが学習した。
そうそう。アノ目をしている時のベルティーナには逆らってはいけない。明日を生きるためには重要な知識だ。な、知識って、身に付けていると役に立つだろう?
「計算の前に、言葉遣いを直しましょうね」
「いや、アーシは計算さえ出来ればそれで……」
「物事には、順序というものがあるんですよ、バルバラさん」
「いや、順序とかいいからアーシは計算を……」
「バ・ル・バ・ラ・さん」
「……はい。言葉遣いから、お願いします」
なんと!?
あの、人の話を一切聞かない、会話がまったく噛み合わないでお馴染みのバルバラが折れた!?
あいつ、人生で初めて空気を読んだんじゃないか?
さすがベルティーナだ。
普段の甘々な『アメ』全開の性格からは想像も付かない『ムチ』できっちりと躾を施していく。
最初は恐怖による従属だが、根本からあふれ出る慈愛と寛容さで、いつしか尊敬され慕われているんだよな。そして、恐怖なんて欠片もなくなった後も「シスターが言うことだから」ってみんな従うようになるんだ。
ベルティーナは、その多大なる包容力もさることながら、ぴりっと辛みの利いた厳しさも母性の内に含んでいる。そんな感じだな。
「うふふ」
ガッチガチに緊張して固まるバルバラを見て、ベルティーナの笑顔がいつもの柔和なものに戻る。
そして、おかしなことを口走る。
「あんなにお勉強から逃げ回っていたバルバラさんが、自ら進んで教えを乞うようになるなんて。それも、すごく意欲に燃えて。さすがヤシロさんですね」
俺?
いや、お前だろうに。
「ほんの数分で人の心を変化させてしまう。捉えようによっては恐ろしいまでの影響力ですが……でも、ヤシロさんですから。頼もしさを感じます」
いやいやいや。
バルバラが態度を急変させたのは、ベルティーナの『アメ』と『ムチ』によるコントロールの影響だろ。
あと、エステラのちょっとした入れ知恵とな。
「よければ、ヤシロさんも子供たちのお勉強を見学にいらしてくださいね」
「いや、やめとく。……見に来たら俺ばっかりが注意されそうだから」
「その自覚があるのなら、発言にもう少し気を付けましょうね」
「ね」と言いながら、俺の鼻の頭を人差し指でちょんと押す。
まったく。人を「口を開けばおっぱいばっかり」みたいな言い方しやがって。
「せやなぁ。自分、口を開けばおっぱいばっかりやさかいな」
「うん。ばっかりだね」
「ヤシロぉ。お前もちょっと勉強教えてもらったらどうだ?」
「ムリですよデリアさん。お兄ちゃんの性根は、ちょっとやそっとの教育ではもう直せないですから」
「やかましい、レジーナ、エステラ、デリア、ロレッタ。……あと、ロレッタ」
「なんであたしだけ二回言われたです!?」
ガキどもに混ざってお勉強なんかやってられっかよ。
『シスターが優しく教えてくれる保健体育』なら、教わりに来てやってもいいけどな。
な~んてことを考えつつ視線を向けると……
「ヤシロさん。懺悔、してくださいね」
……と、心を見透かしたような笑顔で言われた。
うん。やっぱり勉強中は覗きに来るのやめよう。絶対俺ばっかり注意されるから。
バルバラとテレサが教会での勉強に参加するようになったのはその翌日からで、さらに数日後、テレサの目はぼんやりとながらも見えるようになった。
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