「はい。お待たせしました」
「おぉ、美味そうだなぁ!」
テーブルに着くと、ジネットが俺の前にミートソースパスタを置いてくれる。
小麦粉があるなら作れるはずだと、俺はパスタをメニューに加えることにしたのだが……これが全然売れてくれない。
まず、どいつもこいつもパスタを知らないのだ。
写真でもあれば、メニューに貼りつけて「こういう食い物だっ!」と宣伝できるのだが……この世界に写真などというものはない。
ならばと、俺が絵に描いてみたのだが……
「……脳みそ?」と、マグダにバッサリ切り捨てられた。
医学の発達していないこの世界で脳みその形状を知っているとはさすがマグダだ、と思ったのは余談だ。
出来は悪くなかった。俺は福沢諭吉を寸分もたがわずに模写することが出来るほど絵心が…………おっと、まぁ、そこら辺はいいじゃないか、詳しく聞くな。
とにかく、絵はうまいのだ。実物と絵を見比べさせるとみんな「似てる」「うまい」と言ってくれた。
しかし、……『パスタを知らない人間』に見せても、これがなんなのか一切理解してくれないのだ。「なんだかぐにゃぐにゃした気持ちの悪い絵」という評価だ。パスタにかかっているミートソースがまた、赤くてドロッとして、刻み野菜が絶妙の混入具合で……とても不評だった。
ならば仕方ないと、俺は実物を見せる作戦に出た。
つまり、こうやって客が来たタイミングで俺が実際に食ってみせるのだ。さも美味そうに!
「うん! 美味い! さすがジネットだ!」
「ありがとうございます」
実際、作り方を覚えたばかりとは思えないほどの出来栄えだ。味も申し分ない。それどころか、日本で食ったどの店よりも美味い。
……なの、だが。
「へぇ、変わったもんもあるんだなぁ……あ、俺鮭定食」
「こっちは日替わりね」
「は~い! 少々お待ちください!」
……四十二区の連中は保守的過ぎる…………一度覚えた味以外のものに挑戦しようという気概がないのだ……これではパスタが死んでしまう。
パスタはお手軽に楽しめる上に、種類も豊富で、おまけに複数の味を一店舗で用意しやすい扱いやすい料理なのだ。その基本となるミートソースで躓いているのは非常に痛い。
なんとかして定番メニューにしなくては……
「毎日同じものばかりで飽きないのかい?」
トイレを堪能して戻ってきたエステラが俺の向かいに座る。
「飽きるよ! もう飽きてるよ! パスタは週一くらいでちょうどいいんだよ!」
「もう二週間くらいパスタばっかりじゃないか。……見てるこっちが飽きてきたよ」
「そう思うなら、お前らも広報活動に協力しろよ。食ってもらえりゃ、タコスみたいにヒット間違いなしなんだからよ!」
「ん~……それはどうかなぁ」
エステラの表情は冴えない。
「ボクも一度食べたけど……結構普通だったよ?」
「普通ってなんだよ!?」
「新たな感動っていうのかな? そういうのがなくて、『あ、こんな料理もあるんだ』くらいの軽い発見に留まる感じ……っていうのかな?」
「美味いだろうが、パスタ!」
「美味しくないとは言ってないよ! でも、わざわざ頼むほどのものでもないかなって」
く……こいつらは…………日本の食い物は異世界に持ち込めば無条件で大人気になるのがルールなんじゃないのか!?
なんだよ、その微妙な評価は!
「だって、このソース。タコスと同じ味なんだもん、新鮮味がないよ」
「タコスのはトマトソースで、こっちはミートソースだ!」
「どう違うの? サルサソースが美味しいから、ボクはそっちでいいかな」
……なぜだ。
パスタがヒットすれば…………利益が上がるというのにっ!
「……ヤシロは、焦っている」
マグダが、苦悩して頭を抱える俺の背を撫でてくれる。
…………いや待て。お前、今俺で手を拭いたんじゃないだろうな?
「……陽だまり亭の売り上げは落ちている」
「え、そうなのかい?」
実は、マグダの言う通りなのだ。
ここ数日、陽だまり亭の売り上げが落ちている。
というのも……
「……物価が、適正価格に戻ったせい」
「え? 物価が適正だと、なんで売り上げが落ちるんだい?」
「………………さぁ?」
マグダの限界はそこまでか。
仕方ないので、ここからの説明は俺が引き継ぐ。
「これまで陽だまり亭は、ゴミ回収ギルドを経由して、『適正価格より大幅に安く』大量の食材を仕入れていた。だが、行商ギルドの改変によって、モーマットたち生産者の食材が適正価格で取り引きされることになり、その結果、ゴミ回収ギルドに回ってこなくなった」
正確には、モーマットたちが気を遣っていくらかは回してくれてはいるが。
「行商ギルドから購入した食材は適正価格だから、以前よりも支出が増える。これで、店のメニューは据え置き価格だから自動的に利益は減る」
「なるほど。でも、モーマットの畑は随分と拡大したんじゃなかったかい? ハムっ子たちの働きによってさ」
モーマットのもとに預けたハムっ子たちは、それはもう盛大に頑張り、これまで眠っていた土地を掘り返し、見事な畑に昇華させていた。そこで次々に野菜を植え、次の収穫時には物凄いことになると、モーマットが太鼓判を押していた。
「ハムっ子たちが作った野菜は、陽だまり亭が優先的に取り引きできるんだろう? なら、もう少し待てば利益は戻るんじゃないのかい?」
「その野菜は教会への寄付用だよ。食堂分は行商ギルドから買わざるを得ない状況なんだ」
「そうなんだ……」
「それに、もう一つ困ったことがある」
「え?」
行商ギルドが適正価格での取り引きを始めた恩恵は、何も生産者にだけ与えられるものではない。
商売をする者たち、個人事業主にも多大な恩恵を与えていたのだ。
つまり、陽だまり亭とは真逆で、仕入れ値が格段に下がったのだ。
そのせいで、どの店も料理の代金を大幅値下げして、さらにはこれまで切り詰めていた料理の内容までもが大幅にグレードアップしたのだ。
従来よりも安い値段で、従来より美味しいものが、従来より多く食べられるとあって、大通り付近の飲食店は大盛況だ。
陽だまり亭に顔を出すのは、これまで頻繁に通っていた常連と、マグダ教の教祖様一行くらいになっていた。
「お得感で大きく出遅れているですね」
いつの間にか、俺たちの輪の中にロレッタが加わっていた。
おいおい。客を放ったらかしにしておしゃべりしてんじゃ…………客がいねぇ……
「最近、みなさん、食べたらすぐ帰っちゃうです」
「おそらく、酒を飲みに行ってるんだよ。ウチは酒が無いからな」
「なんで置かないです?」
「ジネットの方針だ」
ジネットの方針。それはすなわち、ジネットの祖父さんの方針ということだ。
まぁ、酒はトラブルのもとだし、ウチは食堂であって酒場ではない。酒を置かないという判断もありだろう。
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