――カンカンカンカーン!
そこで、試合終了の鐘が打ち鳴らされた。
結果は、四十区のゼノビオスが二十皿。四十一区のドリノが三十八皿。そして、四十二区のロレッタが三十九皿…………なの、だが。
「ロレッタ……大丈夫か?」
「…………(こくこく)」
俺の問いかけに、ロレッタは小さく頷くのみだった。
おそらくしゃべれないのだろう。
なにせ、ロレッタは口も、頬も、首も、脇腹も、体全体がパンパンに膨れ上がっていて、口を開けようものならそこからお肉が飛び出してきてしまうのだから。
必死に口を押さえ、涙目でこっちを見つめるロレッタ。
いや、可愛いよ? ウルウルした目は可愛いけどさ…………お前誰だよってくらいにまん丸だからな? 普段なら、大爆笑してるところだからな?
会場中の視線がロレッタに集まる。
途中から不穏な空気は漂っていたんだ。
「あれ、あいつ、なんかおかしくね?」って……
うん、これはきっと…………ダメ、だろうな。
「ロレッタ、ちょっと来い」
ちょいちょいと手招きをすると、ロレッタは口をキュッと結び、目をウルウルさせつつ、パンパンに膨らんだ体でちょこちょこちょこっとこちらへ歩いてきた。
「よく頑張ったな。皿の数で言えばお前が優勝だ」
「…………(こくこく)」
「……だがな」
俺は、ロレッタの体をくるっと半回転させ、……観客席に背を向けてやるのはせめてもの情けだ……ロレッタの体を両サイドから押し、圧迫した。
「にょにょっ!?」
とかいう、奇妙な音を発したかと思うと、ロレッタの口から大量のお肉が「ぴゅーっ!」っと吐き出されていった。……それは、まるで肉汁のレインボーブリッジのようだった。
「お前……頬袋に詰め込んでただけじゃねぇか!?」
「な、何するです!? 折角たくさん詰め込んだですのに!」
涙目のまま、こちらを振り返り抗議してくるロレッタ。
頬袋が空になって、いつものスッキリとした輪郭に戻っている。……どんだけ詰め込んでたんだよ。
「オイ、コラ! オオバヤシロ!」
「オオバ君! それはいくらなんでもないんじゃないかな!?」
舞台奥の通用口から、リカルドとデミリーが飛び出してくる。
物言いだな。
「頬袋に詰めるなんざ、反則じゃねぇか!」
詰め寄ってくるリカルド。
あぁ、怖い怖い。こういう、勝ちに執着してるヤツは、なんつうかこう、目がマジなんだよな。誰も居直ったりしてないってのに、キャンキャン吠えんじゃねぇよ。
「で、でもでも! 四十一区の牛さんも獣人族の獣特徴使ってたです!」
「う~ん。お嬢さん。気持ちは分かるんだけどねぇ……」
「あれ? 四十区の領主さん…………髪型変えたです? さっきと、ちょっとだけ角度が……」
「わぁぁああっ!? なんでもないよ!? 慌ててただけだから! いや、ずっとだと、蒸れるからさ!」
偽髪だと知らないロレッタの悪意のない一言でデミリーは重大なダメージを受ける。
もう、認めちゃえばいいのに。
「とにかく! 獣特徴を使って『食べる』のは有りだ! だが、お前のは食べてなかった! 一時的に違う場所に保管しただけだ!」
「で、でもでも! あとで食べるですし!」
「ロレッタ」
反論するロレッタの頭にポンと手を置き、少し落ち着かせる。
「ちょっと見てろ」
と、俺は懐からキャラメルポップコーンを取り出す。
それを放り投げて口でキャッチする。
「こういう食い方をするとして、デリアやマグダが獣特徴を使って、体のずーっと上の方まで食材を放り投げたとしよう…………それは、『食べた』ことになるか?」
「え? ……いや、それは…………ならない……です」
「あとで食べるってのは、それと同じなんじゃないかな?」
「…………でも、あたしのは、口の中ですし…………」
「だぁかぁらぁよぉ! 頬袋の場合は、一回出さなきゃ食えねぇだろうが! 頬袋から直接口に入れられるんならここで実践してみせろよ、こら!」
「ひぐ……っ!」
リカルドに怒鳴られ、ロレッタが肩をキュッとすぼめる。
「リカルド……」
「んだよ!?」
「………………言い方ってもんがあんだろうが、あ?」
「ぅ…………っ」
ロレッタをイジメてんじゃねぇよ…………泣かすぞ? コラ。
「……と、とにかくっ! 獣特徴を使って『食べる』行為は有りだが、『あとで食べる』は禁止だ! 異論はあるか!?」
何かを誤魔化すように、リカルドは声を荒らげ俺とデミリーを見る。
髪型の微調整を終えたデミリーは、異論はないと頷き、俺も賛同した。
「じゃあ、四十二区は失格! 次の試合の料理は四十区が担当する! いいな!」
それだけ吐き捨てると、リカルドはさっさと通用口へと向かって歩いていった。
「えっ、あ、あのっ! 失格なら、せめて、次の料理は四十二区に……!」
「ロレッタ」
「……お兄ちゃん」
「…………もういい」
「………………はい、です」
がっくりと肩を落とし、ロレッタはうな垂れてしまった。
「まぁ、明確なルールを決めておかなかった我々の落ち度もある。どうか、気に病まないでおくれね、お嬢さん」
「……はいです。髪型のステキな領主様……」
「うん…………素直に、受け取っていい、のかな?」
「ロレッタは素直ないい娘だ。他意はない」
「そうかい。それじゃあ、そういうことにしておくよ」
にこやかに手を振り、デミリーも通用口へと戻っていった。
「俺たちも戻ろうか」
「…………はいです」
俯くロレッタの背中をさすりながら、俺たちは舞台を降りた。
「惜しかったなぁ、ロレッタ!」
デリアが言う。
「でもさ、最初にきちんと説明しておかない方も悪いよね!」
ネフェリーが憤慨している。
「今回のことは仕方ないさね。次で取り返しゃいいんさよ!」
ノーマが前向きに励ます。
「っていうか、試合自体はすごく盛り上がったんだしいいじゃん! あんた、賑やかなの好きでしょ?」
パウラがそうやってロレッタを元気づけようとしている。
温かい言葉に迎えられ……ロレッタは、照れくさそうに鼻をかいた。
そして、ぺこりと頭を下げて……
「えへへ……負けちゃったです」
そう言って笑った。
「ドンマイドンマイ。まだ一勝一敗だ」
「……これは、みんなの戦い。まだ落ち込む時じゃない」
「そうですよ。ロレッタさんが頑張っていたこと、わたしたちはみんな分かっていますからね」
「エステラさん……マグダっちょ……店長さん…………はいです! あたし、全然落ち込んでないですよ! 試合は残念な結果に終わったですけど、あたしの本分は応援です! こっからは盛り上げて盛り上げて、みなさんにパワーを分け与えてあげるです!」
「そうそう! その意気よ!」
ロレッタがいつものように元気な声を出し、パウラが背中をバシンと叩く。「痛いですぅ! パウラさん手加減下手過ぎです!」とかなんとかふざけ合って、敗戦ムードはすっかり掻き消えていた。
「そうです! あたしもチア服着たいです! こっからは応援に全力ですからね!」
「それじゃ、私が着せてあげましょう」
「あぁ、大丈夫です。自分で出来るですよ!」
ウクリネスの申し出を辞退して、ロレッタは一人で更衣室へと向かう。
大きく手を振り、向こうを向くその瞬間までずっと笑顔で。
「…………じゃ、行ってくる」
「はい……お願いしますね」
「頼んだよ」
「……ヤシロ、グッドラック」
静かに会話を交わし、俺は一人でロレッタの後を追った。
やっぱり、みんなロレッタのことをよく見てるよな。
あいつの笑顔の種類はもう把握している。
さっきの笑顔は……ムリをしている時の笑顔だ。
「ロレッタ」
「ふにょっ!? な、なんですか、お兄ちゃん。あたしはこれから着替えるですよ?」
「あぁ。だから、こっそり覗きに来た」
「それ、言っちゃったらこっそりじゃなくなるです」
「おぉ、そうか。盲点だったな」
ロレッタはこちらを向かない。
俺も、覗き込むようなことはしない。
ただ、頭に手を載せ、細くて柔らかいふわふわした髪の毛をもっしゃもっしゃと撫で回す。
「ぁ、あう……なんです? もぅ……」
「俺は、嫌いじゃなかったぞ」
「…………っ」
ロレッタの動きが止まる。
もう一言二言は耳を貸してくれるかもしれないな。
「面白くて、奇抜で、お前にしか出来ない、エンターテイメントだった。……結果はちょっと残念だったけどな」
「…………ぐす」
「まっ、次はもっとうまくやれ」
「………………はい、です」
頭を撫でる俺の手を、ロレッタは両手で掴んでくる。
「……ごめんです」
「何がだよ」
「…………勝て……なかったです…………」
「俺がいつ『勝て』なんて言ったよ?」
「……でも」
「俺は『盛り上げてくれ』って言ったんだよ。大成功じゃねぇか」
「…………失格だったです……」
「計算通りだな」
「え……」
耳を澄ませば、遠くで盛り上がる仲間たちの声が聞こえる。
「あいつら、お前のために何がなんでも勝とうって盛り上がってるぞ」
「…………」
「お前が、みんなの心を一つにしてくれたんだ」
ロレッタの頑張りが、純粋な思いが、見ている者にはダイレクトに伝わった。
ロレッタは、十分過ぎるほど役に立ってくれた。
それは、一勝なんてけち臭いものよりも、もっとずっと価値のある、得難いものだ。
「ロレッタ。ありがとな」
「…………っ……おにいちゃん…………このタイミングで、それは…………ズルいです……っ」
ロレッタは俺の手を振り解き、更衣室へと駆け込んでいった。
ドアを開けて中に入り、こちらへ背を向けたまま、声だけを俺に向けてくる。
「次の試合からは、あたしがもっともっと盛り上げるです! 盛り上げ隊長ロレッタの本領発揮です! 乞うご期待です!」
それは、正真正銘、いつも通りのロレッタの声で……なんだかすごくほっとした。
「それからですね…………」
ドアがゆっくりと閉じていく。
徐々にロレッタの背中が見えなくなり、ドアが閉まる直前……とんでもないことを言いやがった。
「実は聞こえてたです……あたしも一応獣人族ですから、耳、ちょっとだけいいです…………だから、つまり、その…………『ここでの一勝より、ロレッタの体の方が大事だからな』って、言ってくれて、嬉しかったですっ!」
バタンッ!
――と、ドアが閉められた。
「…………え?」
…………聞こえて…………
「ちょっと待てぇえ! おま、お前!? き、聞いて…………ぅおおお!? 忘れろぉ!」
そんなもん、まるで俺がいい人みたいじゃねぇか!
「勝ちの方が大事だから! 俺、俺の利益が一番大事だからな! 聞こえてるか!? なぁ!」
更衣室のドアをドンドンと叩くその様は、さぞ変質者に見えたことだろう。だが構うか!
いい人だと思われるくらいなら、変質者の方がはるかにマシだ!
最後の最後に手痛いカウンターを喰らい……本日あと一戦を残して、俺の体力はほぼ尽きかけていた。
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