「こちらへどうぞ」
「ありがとう」
落ち着いた雰囲気の店内を、顔のいいウェイターに誘導され優雅に歩く。
私はお気に入りの喫茶店、ラグジュアリーへとやって来た。ここのケーキを食べるのが、私の目的の一つでもあったからだ。
人気店だけあって、入店するのに二時間近く待たされてしまった。
空は夕闇が深くなり、間もなく夜になろうとしている。
しかし、行列くらいで諦めるような、そんな生半可なものではないのだ、私のスウィーツ魂は!
順番が来て店内に案内された時のこの優越感。この満たされた感覚が、待ち時間の苦労を帳消しにしてくれる。
……ただ、私が入店する直前にバタバタと店に出入りしていた連中がいたのは気になるけども……どこかの貴族が無理を通して順番でも抜かしたのだろうか……いや、でも裏に回っていたような気がするし……業者? あ、材料が足りなくなって急いで追加を頼んだとか……?
まぁ、考えても仕方がない。いいではないか。こうして私の順番が回ってきたのだから。
通された席は店内奥、窓側というとてもいい席だった。
一人で落ち着いてケーキを食べるにはもってこいの場所だ。
ふと隣を見ると、二人組の女子がケーキを食べていた。いいとこのお嬢様なのか、仕立てのいい服を着ている。どちらもまだ幼く見えるが、このラグジュアリーに来られるのだから、それなりの裕福層なのだろう。
片方はトラ模様のネコ耳を生やした幼い少女。幼女と言ってもいいような年齢に見える。……の、割にはあまりに無表情過ぎる気もするけども。
もう一方は…………なんだか普通の少女だ。これといった特徴がない。
ただ、やたらとその声は耳についた。
「ん~……ここのケーキってイマイチですね」
「……凡作」
はぁ!?
なに言ってんのこの小娘たち?
ここのケーキの美味しさが分からないなんて、バカなの? バカなのね!?
まぁ、お子様にはあの高貴な味が理解できないんでしょうね、お気の毒様。
「あたしは、四十二区で食べたケーキの方が美味しかったです。なんて名前だったですかね……ほら、なんだか温かそうな名前の……」
「……陽だまり亭」
「そうそう! そうです、陽だまり亭! みんな大好き陽だまり亭! 口にしたくなるお名前陽だまり亭! エビバディ・セイ・陽だまり亭!」
「……ロレッタ、やり過ぎ」
「はぅ……ごめんです」
無表情トラ耳少女に睨まれ、普通少女が肩をすぼめる。
確かにはしゃぎ過ぎだ。何より、声がやたらと通るから耳に残る。
……陽だまり亭? どこかで聞いたことがあるような…………あ、アレだ。たしか門のところで会った人魚がその店の名前を口にしていた。
『四十二区に行くなら、陽だまり亭がおすすめだよ~☆』――と。
……そんなに美味しいのだろうか?
いや、でも、ここのケーキよりも美味しいなんてこと……
「……ロレッタ」
「なんです、マグダっちょ?」
「……陽だまり亭のケーキの美味しさを一言で表現すると、どんな感じ?」
「それはですね……こほん……まず何より夢があるです。スウィーツとは、女子が夢の世界の住人になれる、そんな食べ物であるべきなのです。まずは可愛らしい見栄え。真っ白なクリームでコーティングされ、その上に真っ赤な果物で飾りつけされたショートケーキ。輝くようなあんずジャムを纏った黄金色のチーズスフレ。落ち着いた色合いながらも細く絡み合ったクリームが可愛らしくもおしゃまな印象を与える心憎い演出のモンブラン……まず、テーブルに運ばれてきた時の感動が違います。そして、店内に漂う甘い香り……ケーキが目の前に来たらその甘い香りがふわっと香りたち、乙女のハートはきゅんきゅんです。そしてフォークを手に取るわけですが、ここで乙女なら誰しもが一つの葛藤に行き当たります。そうです! 『壊すのがもったいな~い』という葛藤です! それほどまでに完成度の高いケーキ。しかしながら、その中にギュッと詰め込まれた甘美な味に、乙女の葛藤も根負けしフォークを一刺し…………その瞬間、手に伝わる『ふんわり』としたあの柔らかい感触。スポンジケーキとはよく言ったもので、まさにスポンジ……いや、空に浮かぶ真っ白い雲をフォークで突いたような、そんな夢の感触が腕から全身に伝わるです。そして、いよいよ、ケーキを口に運ぶわけですが……すでに心は目一杯に満たされている……そう思っていた自分を鼻で笑うことでしょう。ケーキを一口、口に含んだ直後のあの感動……満足感……そして、この世に生まれてきたことを感謝せざるを得ない幸福感。それを知ってしまっては、もう他のケーキなど口には出来ません。甘い。えぇ甘いんです。ですがその甘さはただ単純な甘さではなく、幸せな甘さなのです。あたしは初めてケーキを食べた時に『あぁ、あたしが子供の頃から憧れていた夢の味はこれなんだ』と感涙したほどです。ふわふわのスポンジは口の中でふわっと溶け、甘い生クリームが滑らかに舌の上を通り過ぎ……そして、全身に甘さが広がっていく……世界の色が変わります。息を吸えば、空気が甘い。目に映るものはみな色鮮やかに輝いて…………」
「……ロレッタ」
「は、はい!? なんです?」
「……一言で」
「あぅ……あ、とにかく、幸せの味です! 乙女の食べ物です! 主食です!」
「……なるほど。それは是非食べてみるべき。食べたことのない女子は、乙女失格」
……な…………なんですって!?
そんな食べ物が存在するというの!?
それじゃあ、まるでラグジュアリーのケーキより美味しいみたいな……いや、まさかそんなことあるわけが……
「……そういえば、四十区の領主と木こりギルドのお嬢様が是非食べたいと、今夜特別に馬車を出すという噂が」
「あ、それあたしも聞いたです。なんでも~……え~っと……『期間限定のスペシャルケーキがあるらしく、それが、なんと、今日までで終了っ』するらしいです」
「……オシャレ女子の間では、食べずには死ねないというほどの美味らしい」
「あ~、食べたかったです~! でも、もう間に合わないです~! 今からじゃあ、馬車でもない限り間に合わないです~!」
そ、そんな!?
そんな美味しいケーキが今日までだなんて!?
くそっ! さっきまで四十二区にいたというのに、どうして私は陽だまり亭に行かなかったのか………………はっ! いやいや、落ち着いて、私。
それはあくまでも彼女たち、あのお子様の意見であって、私が食べて満足できるという保証があるわけではない……そうよ。私はここのケーキを……このラグジュアリーのケーキを食べに来たのよ。
何も迷うことはない。私は、私の望むものを……
「お客様」
その時、この店のオーナーシェフ、ポンペーオさんが私の席にやって来てくれた。
えっ!? なんで!? オーナーシェフ自ら!?
ちなみに、私が彼の名前を知っているのは、私が彼の大ファンだからだ。大人の魅力、エレガントな微笑。私のドストライクなのだ。
そんな素敵なオーナーシェフが、私に話しかけている。……ゆ、夢のよう…………やっぱり、ラグジュアリーに来てよかった。私は、何も間違ってなんかいなかっ……
「申し訳ございませんが、たった今ケーキが完売してしまいまして、お客様にお出しすることが出来なくなってしまいました」
……………………え?
「お飲み物だけのご提供なら、可能なのですが」
「え……ケ、ケーキは?」
「売り切れでございます」
「そ……そんな…………」
目の前が真っ暗になった。ケーキが……ない?
「おや? 店の前に馬車が……」
窓の外を覗き込むポンペーオさん。つられて私も窓の外へ視線を向ける。
とても豪華な馬車が停まっている。あれは、明らかに貴族の乗り物だ。
馬車に、豪華なドレスを着た金髪のお嬢様が乗り込んでいく。
「おや? あれは、木こりギルドのイメルダお嬢様ですね」
ポンペーオさんがぽつりと呟く。
……あぁ、アレがさっき話に出ていた木こりギルドのお嬢様なのね…………と、いうことは、あの馬車は四十二区に向かう……?
「そうだ。私はお嬢様に顔が利きます。もし、お客様がお望みであれば、あの馬車に乗れるよう、特別に話をつけて参りましょうか?」
「……え?」
「四十二区にも、ケーキを出す店があるのです。今夜は、そちらへ行かれてはどうでしょう?」
ポンペーオさんが、私のために、貴族に話を…………私が、特別……?
「いかがでしょう?」
「是非、お願いします!」
「では、こちらへ」
真摯なポンペーオさんにエスコートされ、私はラグジュアリーの中を優雅に移動していく。
「見るです。あのお客さん、きっと『特別』なお客さんです」
「……ポンペーオさんとあんな親しく、きー、くやしいー」
「……マグダっちょ、棒読みにもほどが……」
「……くやしーわー」
ふふん、羨望の眼差しが心地いい。
優越感に浸り、私は店の外へと出た。
待ち時間に反して、滞在時間はすごく短かった。
けれど、それが何? 私は特別なお客様なのよ。
そうして、特別な私は、貴族の特別な馬車に揺られ噂のお店、陽だまり亭へと到着した。
「…………なんなの、ここ?」
そこは、夜だというのに光に満ち溢れた素敵なお店だった。
庭に設置されたレンガが眩いばかりに光り輝いていた。
こんなお店が、四十二区にあっただなんて……
「ようこそ、陽だまり亭へ」
店員らしき爆乳の美少女が店先で出迎えてくれる。…………デカいわね。
「どうぞ、店内へ。素敵な出会いがありますように……」
笑顔の店員に案内され、店内へと足を踏み入れる。
内装は、……まぁ、普通、かな。
しかし、大量の花が飾られている。まるで、花園のようだ。甘い香りが店内に満ちている。
席に着き、店内を見渡す。
落ち着いた雰囲気。客数もそれなりだ。
客の着ている服が、みんな高級そうだ。
領主に貴族の娘……そのクラスの人物が来るお店なのだろう。
いわゆる、隠れた名店というやつだ。……これは、いい発見をしたかもしれない。
「ご注文はお決まりですか?」
席に着いてしばらくすると、店員が注文を聞きに来た。この店では、店員の方が聞きに来てくれるらしい。立たなくていいのはなんだか特別扱いされているようで優越感に浸れる。
「期間限定のケーキってヤツを一つ。あと、飲み物も」
「飲み物はセットでおつけしております。紅茶をこちらの中からお選びください」
なんと……紅茶がセットでついてくる?
しかも、四種類の中から選べ……いや、ホットとアイスがあるから八種類だ……しかも、ケーキの種類も八種類……これって、組み合わせが無限大なんじゃ…………なに、なんなのこの店? グレード高過ぎじゃない?
「じゃ、じゃあ……普通ので」
正直、紅茶の種類なんて分からない。適当に注文をする。…………こんな注文方法でいいのかな? 笑われたりしないだろうか?
「かしこまりました。では、アールグレイのホットをお持ちしますね」
よかった……伝わったようだ。
店員がいなくなり、ホッと息を漏らす。
緊張した…………さすが、四十区のお嬢様が噂するお店だ……あの店員にしても、凄まじいプレッシャーを与えてくる。
これは、気が抜けない。
しばらく待つと、香りの良い紅茶に続いて……待ちに待ったケーキが運ばれてきた。
「な、…………なんなの、これは…………っ!?」
それは、まさに乙女の主食と呼ぶに相応しい、夢のようなケーキだった。
純白のクリームに包まれ、その上に真っ赤な果実とトロッとしたジャムが彩られたとても可愛らしい外観。ケーキの上にミントの葉がちょこんと載せられ、それがまた堪らなく乙女心を刺激する。ミントって気付けの時に思いっきり噛み締めて「にがっ!? うわ、スーッとする!?」ってなるための葉っぱじゃなかったの? こんなに愛おしい葉っぱだったのね、あなたは。
そして、フォークを手に、いざ、一刺し…………ふわっ。
あぁ……あのお嬢様たちが言っていたことは真実だった。こんな心地いい感触、初・め・て。
高鳴る鼓動を抑えつけ、いよいよ一口……口へと運ぶ。
「…………んんっ!?」
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