「もうすぐ、終わっちゃいますね」
教会が見えてきて、ジネットがそんな言葉を漏らす。
……終わり、か。
もう一往復するのもなんか変だもんな。明日もあるし、寝なければいけないし……
なんだか、とても名残惜しい。
「ヤシロさんと一緒に歩けたのは嬉しかったんですが……こうしたことで、やっぱり少しだけ惜しい気持ちになってしまいました」
眉を寄せ、困ったような表情を浮かべる。
「本当は少しだけ、食べ歩きとか、してみたかったです」
自嘲とも違う、諦めとも違う、少し甘えたような微笑みにやられそうになる。
お前……その顔は卑怯だろ……今から何か作ってやろうかとか、そんなことを考えてしま…………あ、そうだ。
「だったら、いい物があるぞ」
昼間、客が途切れそうもない陽だまり亭を見て、念のためにと買っておいたものがあったのだ。
……以前、悲しい思いをさせたこともあったしな。
「冷えちまったけど…………これ、やるよ」
俺はカバンから紙に包まれたある食べ物を差し出す。
繋いでいた手を離し、両手でそれを受け取るジネット。
……あぁ、手が離れてしまった…………
「開けて、いいですか?」
どこかわくわくとした期待を覗かせる瞳で俺を見つめる。
手よりも食い物の方が興味が引かれるのか、こいつは。とんだ食いしん坊だ。
「どうぞ」
「はい」
俺の許可を受け、ジネットが紙の包みを開ける。
「あっ! …………これは」
それは、ジネットの大好物。
「今川焼き、ですね」
そう。
以前エステラが買ってきた店の今川焼きだ。
エステラが誘致して、今回祭りに参加していたのだ。
この前は、テストと称して俺が半分以上食っちまったからな。……いや、八割以上は食ったか……
なので、弁償も含めて、買っておいたのだ。
「じ、実は、わたし……この今川焼きが大好きでして」
「知ってるよ。好物なんだろ? 前にそんな話をしたろう」
「……覚えていてくださったんですか?」
まぁ、相手の趣味嗜好を完璧に記憶するのは詐欺師の必須テクニックだからな。
故に、ジネットのことならだいたい理解してる。
「今度、ちゃんと温かいヤツをご馳走してやるから、今回はそれで我慢してくれ」
「我慢だなんて……」
感動でもしているのか、ジネットはジッと今川焼きを見つめたまま食べようとはしない。
そんなに好きなのかねぇ。
「…………嬉しいです」
グッと噛み締めるように、その言葉は発せられた。
そんなに、好き……なの、か?
今川焼きひとつでそこまで喜ぶなら、やはり旅行にでも連れて行ってやるべきだろう。
きっと、見たことのない景色や土産物や食べ物に出会う度に、こいつは大喜びをして、楽しそうに跳ね回るに違いない。
……そして、そんな様を、ちょっと見てみたい、とも思う。
「なぁ。いつか、思い切って店を休んで旅行にでも行かないか?」
「旅行……ですか?」
「あぁ。違う土地に触れれば視野も広がって、新しい発見があると思うぞ」
日本の食文化は、新たな物との出会いを積極的に取り入れることでどこよりも発展してきたのだ。
伝統を大切にしつつも、新しい視点というものも最大限生かしていくべきなのだ。
「そうですね……マグダさんやロレッタさん、それに妹さんたちがいてくだされば、お店も開けられるでしょうし……」
…………ん?
「もし、みなさんがいいとおっしゃってくださるなら、行ってみたいです。ヤシロさんと一緒に」
…………いつの間に、二人で旅行に行くことになってるんだ?
俺は『みんなで』というつもりで言ったのだが…………
「でも、そうなったら……あの…………また、手を……繋いでくださいね」
「――っ!?」
「あの……わたし、少しどん臭いところがありますので…………知らない街で迷子になると……困りますので…………」
「あ……あぁ、そう……だな。迷子は、うん、困るよな……」
ジネットも、手を離したことを惜しいと思っていてくれたのか……繋いでいた右手が少し寂しそうにもじもじと動いていた。
…………二人で、旅行かぁ………………許可、下りそうにねぇなぁ……
「あ、あの!」
ジネットも、謎の緊張に襲われているのか、変な声を上げる。話題の転換を試みたようだ。
俺もそれに乗っかることにはやぶさかではない。
……緊張は、時に人を殺すからな。
「今川焼き、いただいてもよろしいでしょうか?」
「お、おぉ、おぉ! 食え食え! 食べ歩きは祭りの作法だ」
「はい。では…………あの?」
今川焼きに齧りつこうとして、途中で手を止める。
ジネットが俺を見て小首を傾げている。
「ヤシロさんの分は、ないんですか?」
「あぁ、俺のは……」
こいつを買った時、俺は物凄く腹がいっぱいだった。
だから、自分の分など買う気は一切なかったのだ。
「一人で食べるのは……」
「いや、いいから食えよ。お前に買ってきたんだから」
「ですが………………あ、そうです!」
「とてもいいことを思いつきました」と、そう言わんばかりの会心の笑みを浮かべ、ジネットが俺に向き直る。
そして、今川焼きを目の高さまで持ち上げて、こんなことを言い出した。
「ここに、今川焼きがあります。今からこれを、わたしと半分こしましょう」
おいおい、これって……
戸惑う俺をよそに、ジネットはにこにこと話を続ける。
「ただし、ヤシロさんはわたしよりも多く食べてください」
これは、以前俺がジネットに課したテストだ。
ジネットがいかに騙されやすいかと、身をもって教えてやったのだ。
それを、俺にやり返そうってのか?
「わたしが半分に分けて、ヤシロさんが選んだ方を手渡します。それでいいですか?」
おそらく、これに騙された時から、いつか誰かにやってみたいとでも思っていたのだろう。
だが…………それを俺にやってどうする? 仕掛けた本人に。
でもまぁ、ジネットのお遊びに乗っかってやるのも一興か。
「あぁ、それでいいぞ」
「ふふ。では、半分に分けますね」
そう言って、ジネットが今川焼きを半分に割る。と、大きさが偏り、右側が大きくなった。
「はい。どちらですか?」
今川焼きを持った手を二つ差し出してくる。
俺が大きい方を選んだ後、そちらを一口齧って渡せば俺は『ジネットより多く食べる』という条件が満たせなくなる。
……なんか懐かしいな、これ。
「それじゃあ、大きい方をもらおうかな」
大サービスだぞと心の中で思いながら、俺は右側の大きい方を指さす。
するとジネットは嬉しそうに微笑んで、「ぱくりっ!」と、その大きい方の今川焼きに齧りついた。
もぐもぐと咀嚼しながら、してやったりな表情を浮かべるジネット。
そうして、俺の前に差し出された今川焼きには…………ジネットの歯形がくっきりとついていた。
………………え、いいの? これ、食べちゃって……いいの?
「残念でしたね、ヤシロさん。さぁ、この小さくなった方を食べてください」
『イタズラ大成功!』みたいな笑みを浮かべているジネット。……なん、だが…………
「……いいのか?」
「はい?」
「これを俺が食べると…………その……この辺お前が口をつけたわけだよな……? つまり、それを俺が食べるということは……所謂、アレになるわけだが……」
なんというか、小さいながらもくっきりとついている歯形が……ちょっとエロい。
「…………はっ!? はぅっ! あ、いや、あのっ! ちょ…………ちょっと待ってくださいっ!」
ジネットもそこに気付いたのか、途端に慌て出し、みるみるうちに顔を赤く染め上げていく。
「いや、でも、だって以前は、わたし気にせず…………ぅぇええっ!? わたし、なんてことを!? 人様の前で……あんなことを…………っ!?」
もし俺が、ドッキリ番組の寝起きレポーターなら、迷わず口にしただろう。それが、ああいう番組の定番だからな。
そう、そいつの名はインダイレクト・キス――間接キスだ。
「はぁあっ! よ、よだれがっ! ちょっとよだれがついちゃって…………こ、こんなもの、ヤシロさんに食べていただくわけにはいきませんっ!」
相当テンパったのか、ジネットは先ほど自分で齧った今川焼きの片割れを口へと放り込んでしまった。
「もぐもぐ…………これで、変なものはこの世から抹消されて……………………あ」
気が付いたようだが、ここは改めて認識させておいてやるべきだろう。
「指定条件の不履行……俺の不戦勝だな」
「はぅ………………参りました」
なんだかんだで、また勝ってしまったわけだ。
まぁ、もっとも…………
俺のライフはもうゼロだけどな。
ジネット……
今のはズルい、反則だ…………
あんなもん、可愛いに決まってんだろうが……くそ。
ライフはゼロで、祭りでシャレにならないほど疲れていたってのに……その日俺はなかなか寝つけなかった。
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