外に出て、教会の方向へと視線を向けたロン毛は、先にその光景を目撃していた他のゴロツキ同様、驚愕の表情を顔に張りつけて硬直した。
口を大きく、あんぐりと開けて。
ロン毛たちが見つめる先……
夕暮れが迫る薄暗い道に、五十人あまりの兵士たちの影が浮かんでいた。
ザックザックと足音を響かせて、街門の方から街道予定地を行進してくる。
「ねぇ、あれ、りょうしゅさま!?」
「りょうしゅさまー!」
陽だまり亭の前には、領主の紋章が描かれた小さな旗を持った子供たちが大挙して押し寄せていた。
小さな腕で懸命に旗を振りながら、声の限りに叫んでいる。
「りょーしゅさまー!」
「りょーーーーーしゅさまぁぁああーーーーー!」
いまだ遠い行進する兵士たちに向かって、夕闇を切り裂くような声援が飛ぶ。
街道予定地に等間隔に設置された光るレンガが、威風堂々たる兵士たちの行進を一層威厳のあるものへと演出している。時折、光を反射して槍の刃がキラリと輝く。
「な…………なんなんだよ、ここは……」
「君たちは、ケーキの販売を邪魔したいんだろう?」
背後から投げられた言葉に、ロン毛が肩を震わせ、取り乱したように振り返る。
その先には、自警団の兵士を引き連れたエステラが美しくも冷酷な笑みを浮かべて立っていた。
「ケーキは今や、四十二区の主要産業になったんだ……それを妨害すると言うのなら…………」
夕闇が、エステラの醸し出すゾッとするような美しさを増長させ、もはや恐怖すら覚えそうな冷やかさを演出する。
赤く熟れた果実のような、その小さな唇から、悪魔のような呟きが漏れる。
「……君たちは四十二区の敵だ。全力で排除するよ?」
「く……っ!?」
「そうだな」
後ずさったロン毛の前に、俺は進み出る。
「こいつらは自分から『客であること』を放棄したんだ。陽だまり亭をぶち壊すとまで口にした…………だったらもう、遠慮はいらねぇよな?」
「そ、それは…………っ!」
俺たちが手出しをしなかった唯一の理由。
『お客様であること』を自ら放棄した瞬間、こいつの未来は決まっていたのだ。
排除。
手段を選んでやる必要はない。
侵略者には、それなりの制裁が必要だろ?
「よ、四十二区に、こんな数の兵士がいるなんて聞いてねぇぞ!」
「そ、それに、なんだってんだこのガキどもは!?」
ゴロツキどもが慌てふためいている。
口々に何かを叫んでいるが、聞くに堪えない醜さだ。
「知らなかったのは君たちが無知だっただけだろう? ケーキの情報を得ておきながら、なぜ下調べをしなかったんだい?」
エステラの言葉に反論できる者はいなかった。
「ガキが熱狂するもんってのは、昔から決まってるよなぁ? どこの世界でもまぁ同じだろう」
行進する兵士の影に、尽きることないパワーで声援を送り続けるガキども。
そんな中の一人を抱き寄せ、ゴロツキどもに言ってやる。
「ドラゴンを倒した英雄……百戦錬磨の大勇者……いつだってガキが夢中になるのは、絶対的な強者だよな」
「りょーしゅさまー!」
「りょおおおおおしゅさまぁあああああっ!」
悲鳴に近い絶叫が続く。
熱狂的なまでに小さな旗が振られている。
この光景は……相当な恐怖だろう。
純真無垢なガキを虜にするほどの、絶対的な強者。
それが、群れをなしこちらに迫ってきているのだ。
エステラの後ろにも数人控えているしな。
「テメェらが自分の命を粗末にしたいなら好きにすればいい。だがその前に、テメェの雇い主に一言伝言を頼めねぇか?」
ロン毛の頬を伝い落ちた汗が、アゴの先から落下していく。
滴が地面にぶつかり姿を消すまで待って、俺ははっきりとした口調で言ってやる。
「ケンカ売る相手、間違ってんじゃねぇのか?」
テメェ如きが手を出していい相手なのか、よく考えろ……と、伝えてくれればいい。
「あ、兄貴……!」
「う、うるせぇな! もらった前金、もう使っちまっただろうが! ここで引けるかよ!」
「けど!」
「うるせぇ! 増援が来る前に、ここにいるヤツら全員ぶっ殺して、あとは区の外に逃げりゃあなんとでもなんだろうが!」
追い詰められて血迷ったのか、ロン毛が腰の剣を抜いた。
エステラにデリア、ノーマと自警団、そして木こりを始めガタイのいい大男どもが身構えて殺気を放ち始める。
空気が張り詰め、一触即発の雰囲気が辺りに漂い始めた頃……
「……ただいま」
平坦で、小さな、とても耳に馴染んだ声が聞こえた。
マグダだ。
狩りから帰ってきたのだろう。
「……どいて。通れない」
自警団や木こりたちがひしめき合う、その向こうからマグダの声が聞こえる。
……と、同時にどよめきが上がる。
自警団、木こり、漁師、鍛冶師たちと、筋肉自慢の大男たちが、恐れおののくように道をあけていく。
ズザーッと開かれた道の先に、マグダが立っていた。
「…………これは、また」
俺も思わず言葉を失った。
「……今日は、大物が手に入った」
マグダは、自身の五倍はあろうかという超ド級の魔獣、ボナコンを担いでいた。
「ボ、ボボボボ、ボナコン!?」
ゴロツキどもの間から奇声が上がる。
ボナコンは、狩猟ギルドに属する熟練の狩人でも仕留めるのが難しいとされている魔獣だ。
しかも、こんな規格外のデカさともなれば……バケモノ以外には狩れはしない。
「……デリア、持って」
「んだよ、しょうがねぇな」
不満を漏らしながらも、デリアが巨大ボナコンを片手で楽々持ち上げる。
……どよめき。
「なぁ、コレ店に入れりゃいいのか?」
「あ、はい。では中庭へお願いします」
「屋台が邪魔だな。ノーマ、退かせてくれ」
「まったく、気安く使わないでおくれな」
言いながらも、陽だまり亭の庭に停めてあった二台の屋台をひょいひょいと端っこへ退けてしまう。
……戦慄。
「……ヤシロ」
「ん? なんだ」
「……ご褒美」
「はいはい」
俺の腰にぽふっと抱きついてくるマグダ。その耳をもふもふと撫でてやる。
……悲鳴。
「なぁぁあああ!? あ、あいつ! ト、トト、トラ人族の耳を、耳を、もふもふって!?」
「命がいらねぇのか!?」
「ぶっ殺されるぞ!?」
ゴロツキどもがギャーギャーと騒がしい。
なんだよ。マグダが喜んでるんだからいいだろうが。
「…………むふー!」
ほらな?
「な、なんなんだよ、お前ら!? どいつもこいつも滅茶苦茶だ! 聞いてた話と全然違うじゃねぇか!」
ロン毛が地面をダムダムと踏み鳴らし、グシャグシャと髪を掻き乱す。
「……こんなもん、やってられっか………………ふざけんじゃねぇぞチクショウ!」
ブレーカーが落ちたかのような静かな呟きの後、湧き上がる感情に任せて喚き散らす。
「あんなはした金で戦争なんかやれっかよ! なんだよ、あの兵士の数は!? なんだよ、このバケモノどもは!? んで、なんなんだよ、この男は!?」
最後に俺を指さし、乱れたロン毛の隙間から血走った目をこちらに向ける。
「バカみたいなフリしてすげぇ頭キレるわ、ここぞって時に度胸見せるわ、トラ人族の耳を平気な顔して触りまくるわ…………お前、なんだよ!? なんなんだよ!?」
「なんだと言われても困るが……ま、ただの食堂従業員だ」
「ふっざっけっんっなっ!」
気でも触れたかのように体をくねらせ、やり場のない激し過ぎる感情を発散させるロン毛。……壊れた人間を見ているようで、ちょっと怖い。
「いつからだ……お前はいつからこうなることが分かってた!? いつから準備してやがった!?」
最終的には、泣きそうな表情になっている。
もう、こいつ自身、何がなんだか分かっていないのだろう。自分がどうしたいのかさえも。
「それを聞いても、お前は納得できねぇよ」
「なんだと!?」
「それより…………いいのか?」
アゴをクイッと上げ、ロン毛の後方を指してやる。
ザッザッと足音を響かせて兵士の影がもうすぐそこにまで迫っていた。
「………………くそがっ! 逃げるぞ、テメェら!」
「え!? あ、は、はい!」
マグダを通すために開いていたスペースを通り、ゴロツキどもは転びそうな勢いで逃げていった。
そんなゴロツキどもの背中に向かって、俺は食堂の従業員らしく、正しいお見送りをしてやる。
「またのお越しをー!」
「やかましい! 二度と来るかボケェー!」
ロン毛の遠吠えが暗くなった空にこだました。
これでもう、あの手のヤツらが四十二区にちょっかいをかけてくることはないだろう。
「りょーしゅさまーー!」
「りょおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお……っ」
「はーい! ストップ! うるせぇよ! ガキども! 一回黙れ!」
「りょーーーーーーしゅさまぁぁああーーーーーーーーー!」
「りょーーーーーーーーーー……ぴぎゃあああーーーーーーーーー!」
「怪獣か!? だーまーれー!」
「「「りょおおおおおおおしゅさまぁあああああああああああああああっ!」」」
……このガキども…………何テンション上がってやがんだ!
「緊急告知ー! 今すぐ静かにしないと、せっかく溜めたパワーが没収されてゼロになりま~す!」
「「「…………」」」
ピタッと、騒音が止まった。
……ガキども、どこまで現金なんだよ、お前らは。
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