「ところでみなさん。さきほどはなんのお話をされていたんですか? なんだか、違うとか同じとか聞こえましたけれど」
何気ないジネットの言葉に、ロレッタの肩が微かに反応を見せる。
……その話、蒸し返すか……まぁ、内容が聞こえていなかったようだし、悪気はないのだろうけど…………
「あ、えっと! スラムと湿地帯じゃ、全然違うって話ッスよ!」
気を利かせたのはウーマロだった。
ロレッタを庇ったのだろう。自分の口からさっきの話をしたくはないだろうからな。
「湿地帯と一緒にされちゃ、スラムの連中もさすがに怒るッスよねぇ~」
ワザとらしくおどけてみせるウーマロ。
この一連をギャグにしてしまおうという魂胆だろう。
こんなものは笑い話だ。みんな理解しているのだと、そう言いたいのだ。
まぁ、これは推測だが、スラムにいる連中は【カエル】とは違うのだろう。
【カエル】は、人権すら持たない、認められていない存在だからな。
世捨て人だろうが、棄民だろうが、人間である以上は最低限守られているものがあるのだろう。
【カエル】とは違う。
その認識は、この街の人間にとってかなり大きなものに違いない。
【カエル】が恐れられるわけだ。
「くす……」
しかし、ここに一人、そんな認識に捉われないヤツがいた。
「何言ってるんですか。同じですよ、スラムも湿地帯も。何も変わりません」
ジネットだ。
「……えっ」
突然の全否定にウーマロが固まる。
空気も固まった。
しかし、ジネットは相変わらずの笑顔で、固まった世界でただ一人緩やかな日常に留まっていた。
それが当然であると言わんばかりに。
何も不思議に思うことなどないと、言わんばかりに。
「どちらもこの街にあって、住民がいて、嬉しいことや悲しいことを全部受け止めてくれる、そんな誰かの帰るべき場所です」
人が生き、生活をし、やがて死んでいく。
そんな悲喜交々をジッと見守り続けている場所。
ジネットに言わせれば、確かに同じなのかもしれない。
「それは、この店も、大通りも、繁華街も……中央区だって同じじゃないですか?」
「スラムが……中央区と、同じ…………です、か?」
「はい。わたしは、そう思います」
俺も、スラムと湿地帯は同じだと思った。
どちらも等しく低俗で、治安の悪い、吹き溜まりだと。
ジネットは、俺とはまったく逆の意味で、俺と同じ意見だったのか。
「……そんなこと言ってくれたの…………店長さんが初めてです」
「へ? みなさんそう思ってますよ? ねぇ?」
と、ジネットに言われて「そんなわけあるかーいっ!」と、関西のノリで突っ込める猛者はこの場にはいないだろう。
「そ、そうッスよ! オイラが言いたかったのは、まさにそういうことッス!」
慌てて取り繕うウーマロだが……お前さっきスラムと湿地帯は全然違うつってたじゃねぇかよ。
「…………こんな人が、いるなんて…………」
ロレッタの口から、ロレッタらしからぬ真剣な声が漏れる。
眉根を寄せるその表情は、何かを決断しかけていながらも不安が大きくて言い出せない、そんな時の顔だ。
しかし、決断に時間はそう必要なかったようで……
ロレッタは顔を上げると、真剣な表情でジネットを見た。
「店長さん! そしてお兄さ……ヤシロさん!」
拳を握り、今にも泣きそうな瞳で俺たちを見つめてくる。
鬼気迫るものがある……いつもの笑顔は、今はどこかへ隠れてしまっている。
そして、ロレッタは神妙な面持ちで、こんな言葉を口にした。
「弟たちを…………助けてやってくれませんですかっ!?」
助け……る?
「お話を伺いましょう!」
早い、早い! 早いよジネット!
「あのな、ジネット。今俺たちは人手が足りていない状況で……」
ジネットの暴走を止めようと説得を試みる俺なのだが…………
「………………じぃ~」
「………………」
……そんな目で見つめるな。
なに、その「期待してます」みたいな目?
二つ、お前に言いたいことがある。
まず一つ。俺は善人ではない。慈善事業などクソッ喰らえだと思っている。
そしてもう一つ…………今回だけだぞ。
「…………はぁ。好きにしろよ、もう」
「はい! ありがとうございます」
人助けが出来て「ありがとう」か?
ジネットよ。頭の中にはどんなこんがらがった回路が組み込まれてるんだ?
「ロレッタ」
「は、はいですっ!」
「……とりあえず、『聞くだけ』だからな?」
「はい! ありがとうございますです!」
お前もありがとうかよ。
感謝なんか、一円にもなりゃしないんだけどなぁ。
「それでその……出来れば一度弟たちに会っていただきたいんですが……?」
「ふむ……残念ながら俺たちにはやるべき仕事が山のようにあるんだ。無理だな。よし、この話はここでおしまいだ。さ、仕事に戻るぞ!」
「……ヤシロ」
うまいこと話を打ち切れるかと思ったのだが、マグダが俺の前に立ちはだかった。
「……マグダがいる。少しなら、平気」
なんだよ、急に勤労精神に目覚めやがって。
アレか?
今までサボってたのがバレたから、なんとなく頑張らなきゃいけない気がしてんのか?
「あの、俺たちの日替わり定食もキャンセルでいいんで」
「そうそう! ロレッタちゃんの話を聞いてやってくれよ」
「日替わり定食、明日食いに来るからよ!」
ノリで追加注文をした大工どもが口添えをする。
つか、お前らもう食えないんだろ?
先に料理が来ちゃった四人は死にそうな顔をして日替わり定食を掻き込んでいる。
その様を見て怖気づいたんだろ? 最初から二人前食うなんて無理だったんだよな?
余計な後押しをしやがって。
「ヤシロさん。みなさんのご厚意に甘えて、少しだけ時間を作らせてもらいませんか?」
「しかしだな……」
メンドクサイから嫌だ! あと、なんか嫌な予感しかしないから。
――と、正直に言えればどんなにいいか。
しかし、ここは方便を使う時だろう。
「病み上がりのマグダ一人を残していくのは不安だ。残念だが、また今度ということで……」
「……平気」
……マグダよ。お前は俺の邪魔をしたいのか?
「……ウーマロがいる」
「マッ、マグダたん!? オイラを頼ってくれるッスか!?」
「……そう」
「感激ッス!」
「……彼なら、アゴで使っても心が痛まない」
「辛辣なお言葉っ!? …………でも、マグダたんならなんでも嬉しいッス!」
重症だな、ウーマロ。
レジーナに薬を調合してもらえ。手遅れかもしれんがな。
「ヤシロさん」
ジネットに名を呼ばれる。
名前しか口にしなくなった時は、アレと同義なのだ。
所謂一つの…………『チェックメイト』
「わぁ~ったよ。今からちょっと行けば済むのか?」
「はいです! 一度我が家の状況を見てくれればそれでいいです」
出会って二日目に、家族の相談を持ちかけられるとはな……これは絶対、ジネットのせいだ。
ジネットのお人好しオーラが、世の中に溢れる迷える子羊どもを掻き集めてしまうのだ。
「別に今すぐ行かなくたっていいんじゃないのか? 店が終わってからでいいだろう」
「あ~……暗くなってからだと、その…………さすがに危険かもです……」
スラムだ!
やっぱりスラムに連れて行かれるんだ!
「では、しばらくの間、マグダさんとウーマロさんにお店をお任せして、ロレッタさんのお家に伺いましょう」
「あ、ジネットさんも、オイラをサラッと使うんッスね……」
俺たちを家族に会わせて何をするつもりかは知らんが……
何かあった場合、こいつらがいてくれた方が心強いか。俺たちの帰りが余りにも遅過ぎると探しに来るくらいのことはしてくれるだろうし……
今向かうのが得策かもしれんな。
「分かった。じゃあ今から出掛けるとしよう」
「はいです! ありがとうございますです!」
ロレッタが嬉しそうに礼を述べる。勢いよく頭を下げ、腰を直角以上に曲げる。……立位体前屈かよ。
「それじゃあウーマロ。すまんが、マグダをよろしく頼む」
「はいッス! 任せておいてほしいッス!」
「それからマグダ。ウーマロに変なことをされないように気を付けろ」
「信用されてないッスね、オイラ!?」
「……分かっている」
「分かられちゃってるッスか!?」
「だ、大丈夫ですよ。ウーマロさんは信用の置ける方ですし」
「さすがジネットさん! 陽だまり亭の良心ッス!」
「あの……どうして顔を背けるんですか?」
「直視はまだ無理ッスから!」
「マグダに対しても、それくらいの距離感があれば俺も信用できるんだがなぁ……」
「……平気。マグダは、彼を、信用している」
「マグダたんっ! オイラ嬉しいッス!」
「……それに、マサカリも用意してある」
「どこから出したッスか、その巨大なマサカリ!? そして、『信用』という言葉が物凄い空虚ッス!」
お馴染の巨大マサカリを担ぐマグダ。足元が少しふらついているが、まぁウーマロに後れを取ることはないだろう。
だが、念のために……
俺は大工連中に向かって言葉を発する。
「お前ら、ウーマロを頼む!」
「その『頼む』は『見張ってろ』って意味ッスよね!? 大丈夫ッスから! オイラ、信用第一の大工ッスから!」
ウーマロを除く大工どもと約束を交わし、俺たちは陽だまり亭を出た。
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