「冷やし中華、はじめますっ」
ラーメン(小)を平らげ、冷やし中華を食べた直後、ジネットが町の中華屋さんみたいなことを言い出した。
「この紅ショウガがいいですね。ピリッとして、スープによく合います。それから、カラシが嫌みのない風味となって味に飽きの来ない奥行きを与えて、それらが一体になることでお口の中でわっしょいわっしょいします!」
あ~っと、残念。
練習の成果が出たかと思ったが、着地点がいつもと一緒だった。
ま、わっしょいわっしょいしていてくれる方が落ち着くけどな。
「あ、そういえば」
細切りのキュウリを丁寧に一本ずつ口へ運び、ジネットが嬉しそうに言う。
「ショウガ農家の方がヤシロさんに感謝されていたそうですよ」
「誰だよ……?」
「モーマットさんのところの、ほら、いつだったか冒険者になろうとしてヤシロさんが思いとどまらせた方です」
「思いとどまらせたのはモーマットじゃなかったか?」
そういやいたなぁ、二千数百Rbが捻出できず、生まれたてのガキと嫁さんを残して冒険者になろうとしていた向こう見ずな農民が。
あいつがショウガを作ってんのか。
「買い手が付かなかったショウガが、ヤシロさんのおかげで飛ぶように売れるようになったそうですよ」
「俺が何したってんだよ?」
「紅ショウガと甘酢漬けです。いまや、四十二区には欠かせない付け合わせですよ」
確かに、手巻き寿司をやった後、俺が食いたくてショウガの甘酢漬け――通称ガリを作ったり、焼きそばをやった後で物足りなくて紅ショウガを作ったりはしたが……
「そんなもんまで俺のせいにすんな」
陽だまり亭のせいだろうが、それを言うなら。
ジネットが作り直したヤツのデキがよかったから客どもに受け入れられ、焼きそばには紅ショウガ、寿司にはガリが定番になっただけじゃねぇか。
「ジネットの影響の方がデカいだろ?」
「うふふ、ところがですね、アッスントさんが、『これは、アノヤシロさんが持ち込んだ食材ですよ。試してみないんですか? 今このチャンスを逃して、本当にいいんですか?』って売り歩いたようで、みなさん『ヤシロさんの作ったものなら一度は食べてみなければ!』って買われたようですよ」
「勝手に人の名前を使ってんじゃねぇよ、アッスント!?」
使用料を請求しなければいけないようだな!
ショウガの売り上げの10%を俺に寄越せ!
「……ったく、どいつもこいつも、勝手に俺を担ぎ上げやがって」
「それだけ、街のみなさんに愛されているということですね」
「愛なんぞいらんから金を寄越せ」
愛は楽でいいな、口で言うだけなら無料だもんな!
「しかし、困りましたね」
ジネットが、空になった二つの器を見つめて唸る。
「気候のことを思えば、きっとラーメンの方が喜ばれると思うんです。ですが、今現在の完成度で言えば、圧倒的に冷やし中華の方が美味しいです」
すみませんね、こだわり派のラーメンじゃなくて。
「なら、時間が許す限り挑戦してみればいい」
「ですが、スープを作るには時間が……」
「今日のところは、スープは今のままで固定して、『返し』にこだわってみろ。それだけで随分印象が変わるから」
「『かえし』というのは、この醤油ダレのことですね。そうですね、これならいくつかバリエーションが作れそうです」
つまり、わっしょいわっしょいしながらも、いくつかダメ出しポイントが見つかってたわけか。
精々、足したり引いたり総取っ替えしたりすればいいさ。
「それから、あいつらに作るつもりなら、今からもう一回鶏がらを煮込んだ方がいいかもな」
「そうですね。今度は入れる香味野菜を工夫してみます」
結局スープも工夫するのかよ。
「それから、この『鶏油』という物も、もう少しくすみのない風味になる気がします」
くすんでましたか。そーですか。すみませんねー、それは。
「鶏油なんか、鶏皮とネギを焼くだけなんだがな」
「だからこそ、ですよ。火加減できっと大きく変わります……あぁ、時間が止まればいいのに」
やりたいことがいっぱいあるらしい。
鶏がら出汁に、返しに、鶏油。スープを構成する三要素のそれぞれを研究し、そしてそれを組み合わせた時のバランスを見て――なんてやってると、十年二十年があっという間に過ぎていきそうだ。
「おまけに、出汁は豚骨や魚介でとっても美味いときているから、組み合わせは無限なんだよなぁ」
「そうですね! あぁ、さっきまでもやもやしていたことが、今のヤシロさんの言葉ですっきりとしました。そうです。魚介です。鶏がらと魚介の出汁を組み合わせると、きっと面白い風味になります。……豚骨はやったことがないのでなんとも言えませんが、いつかチャレンジしてみたいです」
……大丈夫か?
来年あたり、陽だまり亭が行列の出来るラーメン屋になってたりしないだろうな?
食堂のメニューの一つ程度のポジションでいいんだぞ?
フードコートの、なんか微妙な安っぽいラーメン程度でいいんだからな?
あれはあれで、たまに食うと妙に感動したりするもんなんだから。
「ヤシロさん。鰹節は、厚く削るのと薄く削るのでは、風味が変わりますよね?」
ヘイ、大将。
プロの鋭い眼光、放っちゃってるぜ。
「ノーマさんも、こんな気持ちだったんですね」
「いいや、ノーマは教えたとおりに淡々と煮びたしを量産してたぞ」
ノーマが没頭するのは金物に関してだけだ。
歯車とかベアリングの話をすると止まらなくなるんだよなぁ……ワーカーホリックばっかりか、この街は。
「こりゃ、スープが出来たら、麺とチャーシューにもこだわりそうだな」
「そうですね。歯ごたえをもう少しもっちりとさせるか、つるつるにして喉越しを優先させるか、スープの方向性が決まったらまた話し合いましょうね」
わぁ、巻き込まれた。
「チャーシューは、候補が四つあります」
「好きに作ってくれ。試食で応援するよ」
「はい。よろしくお願いします」
正直、ジネットが求める微妙なニュアンスを再現するような技巧的な調理方法は、実践する自信がない。
こいつ、弱火の中でも『弱火の強火』『弱火の弱火』みたいな微調整してんだもんよ。
コンロもないのに!
かまどなのに!
薪でだぞ!?
マネ出来るか、そんなもん。
そんなおしゃべりをしている間も、ジネットは戸棚から様々な香味野菜を引っ張り出してくる。
昔はなかった、使い道のすごく限られるようなスパイスやハーブが増えている。
「レジーナさんと仲良くなれてよかったです。ここにある物は、ほとんどレジーナさんに教えていただいたんですよ」
香草、薬草に関しては、四十二区随一の知識を持ってるからな。
ローリエなんか、カレー以外で使わないだろうに……あ、前に大豆のトマト煮に入ってたな。活用してんなぁ、気付かない間に。
香りを確認しながら、いそいそとブーケガルニを作っていくジネット。
なんというか、レシピを知ってるのかというくらいに迷いがないな。いや、一応迷ってはいるのか。
……で、その葉っぱ、一枚と二枚ではどれだけ香りが変わるんだ? 誤差だろう。……あ、一枚にした。こだわるねぇ。
「ヤシロさん。こんな感じでどうでしょうか?」
分かりません。
「作ってみてくれないとなんとも言えないな」
設計図だけで完成品を想像したり、楽譜だけで曲を思い浮かべたりすることはそれなりに出来るが、香味野菜とハーブの束を見せられて「こんな風味になるのかぁ」とは分からん。
それが出来るのは、おそらく世界でお前だけだ。
「レジーナさんがいれば、もっと面白い風味が出せるかもしれませんね。カレーの時のように」
カレー製作では、レジーナに助けられた。
当てずっぽうで香辛料を調合しては全員で悶絶していたところ、レジーナが正解に限りなく近い調合をしてみせてくれた。
あいつがいなければ、この街にカレーは誕生していなかっただろう。
「早く帰ってきてほしいですね」
「マグダに続いて、ジネットまでもがレジーナに懐いたな」
「レジーナさんが大好きなのは、ずっと以前からですよ?」
「だからアイツの懺悔室行きが少ないんだな。贔屓はよくないぞ、ジネット」
「では、今後はもう少しヤシロさんに厳しくしますね」
「なんで俺だ!?」
え? 現状でかなり甘い判定なの?
まじで~!?
「早く帰ってこいレジーナ。これまで見逃されていた分、まとめて懺悔室に叩き込んでやる」
「ダメですよ、いじめては」
俺は!?
結構入れられてんだけど、懺悔室!
まったく、レジーナめ。
帰ってきたらモンク言ってやる。
――と、そんなことを思っていると、俺たちとは別にレジーナに会いたいと思っているヤツが陽だまり亭に現れた。
それは唐突に。
前触れもなく。
「あ、お客さんですね」
ドアが開く音を聞きつけ、ジネットがフロアへと向かう。
俺もそれに続き、そいつを目撃した。
「ここが、陽だまり亭か?」
初めて見るその男は、焦りと疲れを色濃く滲ませるやつれた顔で、乱れた緑色の前髪の毛をかき上げた。
「なぁ、自分ら。一個聞きたいんやけど、レジーナ・エングリンドが今どこにおるんか、知らへんか!?」
その言葉はレジーナと同じ訛り方で、こいつがバオクリエアから来た者なのだと、一発で分かった。
こうして、俺たちの知らないところで確実に――
レジーナに、危機が迫っていた。
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