俺が無自覚でフラグを立ててしまってから数日。
「貴様らぁ! ここで何をやっとるかぁ!」
その爺さんは突然現れ、突然訳の分からないことを喚き散らした。
黄みがかった白髪をぼさぼさに振り乱し、華美なくせに随分とくたびれた服を身に纏っていた。
「港の工事は中止のはずだぞ! 工事をやめろ! 即刻この場を立ち去るのじゃ!」
ツバをまき散らしながら、作業中の大工たちに詰め寄っていく。
「この場所にはカエルが出るのじゃぞ! カエルじゃ、カエル! 呪いをもらっても知らぬぞっ!」
「なんだこのジイサンは!?」
「ほら、邪魔すんなジイサン。危ないからあっち行ってろ」
「なんじゃと!? 貴様らこのワシを知らぬのか!? コレだから亜人は! 教養もない卑しい蛮族どもめ!」
そんなとんでもない発言に現場の空気が変わった。
「誰だ、あいつ?」
「……マグダも見たことがない」
たまたま、大工連中に差し入れという名の昼飯を持ってきていた俺とマグダは、その奇っ怪なジジイの奇行を目撃した。
「なにやってんッスか、あんたは!」
ウーマロが物凄い速度で駆けてきて、ジジイの前に立ち塞がる。
「出おったな、トルベック! 諸悪の根源がっ!」
ジジイはウーマロを見つけると、ただでさえボサボサな白髪を逆立てた。
あぁ……もしかして、こいつが、アイツか?
「貴様のせいで何もかもが滅茶苦茶じゃ! 死んで詫びを入れろ、亜人風情が!」
ドゴンッ!
と、洞窟が揺れた。
何事かと音の出所――俺のすぐ後ろを振り返ると、マグダが洞窟に拳を突き立てていた。
マグダの拳の周りは半径1メートル近くが大きくヘコんでいた。
拳一発で、こんなことになりますか。
プチメドラみたいで、ちょっとヤだなぁ~。
「…………へっくしょん」
遅い遅い遅い!
くしゃみの反動でついうっかりを装うにしても、肝心のくしゃみが完全に出遅れちゃってるから。
まぁ、ウーマロに向かって死ねだの亜人風情だの言うジジイがいたら、そりゃマグダは怒るわな。
「……チッ、野蛮な亜人め」
しかし、ジジイは懲りない。
つーかさ。
ここ、獣人族だらけなんだけどさ、よくもその中で悪意を込めて亜人なんて言えるよな?
え、自殺願望有り余ってんの?
「なぁ、ウーマロ。そこの小汚いヨボヨボが、組合の役員とかいう……たしか、ドブクッセー・ゲローリンだっけ?」
「惜しいッス、ヤシロさん。掠りもしてないッス」
掠ってもないのに惜しいのか。
さすがだな、俺。とんだミラクルボーイだ。
で、ウーマロの反応を見る限り、こいつがトルベック工務店を嵌めようと画策した土木ギルド組合の役員、ド三流記者の叔父に当たるドブローグ・グレイゴンらしい。
「ヤシ、ロ……?」
そのグレイゴンが俺を見る。
ゆらりと体が揺れ、急に駆け出したかと思うと、どすどすと足音を鳴らして接近してくる。
「貴様がうちの姪を苦しめた外道かぁぁあ!」
両腕を伸ばして迫ってくるジジイは、まるでゾンビ映画さながらの迫力で……
「あ、コレなら勝てるな」って思っちった。
マグダが即座に反応して助けに来てくれようとするが、それを視線で止める。
大丈夫だ。
こんなジジイには後れを取らない。
年齢を重ねているだけじゃなく、金に物を言わせていつも他人を使っていたのだろう。普段から体を動かしていないのがバレバレな体の硬さだ。
ちょっと走っただけで、今晩あたりこむらがえりで苦しむことになるだろうことが容易に想像できる。
ジジイが迫ってくるのと同じ速度で後方へ下がる。
ウーマロに合図を送り、周りの大工たちを退けさせる。
俺が自由に動き回れる空間を空けてもらう。
「姪って、誰のことだ?」
「忘れたとは言わせんぞ!」
「忘れた~」
「貴様ぁぁああ!」
ひょいひょいと逃げながら、ジジイを煽ると、面白いように食いついてくる。
後ろに逃げ、少しスピードを落として、ジジイの手が触れそうになったところで体を捻ってターンする。
ほらほら、今度はコッチだ。
はいはい、あんよは上手、あんよは上手。
「貴様のせいで情報紙の記者をクビになった哀れな我が姪のことだ! バロッサ・グレイゴンの名に覚えがあるじゃろう!」
「残念だが、しょーもないヤツの名前はすぐに忘れるようにしてるんだ」
「殺してやるぅうう!」
姪可愛さに援助をし、その結果金に困って金策に駆けずり回っていたという情報も得ている。
それを、「しょーもない」と切り捨てられては、ジジイもキレるだろう。
で、そんな興奮してると、正常な判断が出来なくなるぞ。
「なぁ、ジジイ。なんか怒ってる?」
「当たり前じゃ!」
「じゃあ、俺を捕まえられたら、両手を突いて謝ってやるよ」
「その言葉、違えればカエルにしてくれるぞ!」
年寄りの冷や水という言葉は知らないようで、ジジイは俺の挑発にまんまと乗って、全速力で俺に向かってくる。
工事中の洞窟の中で。
広いとはいえ、まだ転落防止の柵も作られていない通路で。
一歩でも踏み外せば2メートル下の海へドボンとダイブする羽目になるこんな場所で。
海を背に、通路の際に立っている俺に向かって。全速力で。
で、捕まる直前に俺がくるっと体を捻ると――
「ぅわぁぁああ!」
当然、海へ落下するわけで。
ドブローグ・グレイゴンは情けない悲鳴を上げながら海へと落ちていった。
「ぶわっ! 助けっ! ワシは、泳げん……っ! ぶわっ!」
どう見ても運動が出来るようにも見えず、貴族らしいだらしのない体をしているジジイは、当然のように泳げず溺れている。
「貴様らっ! なにをぼーっと見ておる! ワシを助けろ!」
ばっしゃばっしゃと水音をさせて、ジジイが喚いている。
獣人族ばかりのこんな場所で。
散々、亜人だの蛮族だのと罵った獣人族を相手に。
死ねだ殺すだと言っていたジジイが「助けろ」と上から命令をしてきやがる。
「よろしいのですか、ミスター・ドブローグ?」
通路の上から、遙か下の海であっぷあっぷ溺れるジジイを見下ろす。
「下賤な蛮族が高貴な御身に触れても?」
「なっ!? 時と、場合を、考えぬか、愚か者!」
「そうそう、俺、愚か者だから、時と場合を考えられないんだよな~」
このジジイは一体いつになったら気が付くのだろうか。
自分の立場に。
自分を客観視できないヤツってのは、どうしてこうまで醜いのか。
「貴様っ! ワシが死んでもいいのか!?」
「いいけど?」
うっすらと笑いながら言ってやると、グレイゴンは言葉を失った。
「どうする? 俺や、ここにいる大工たちに非礼を詫び、『助けてください』と頭を下げるか?」
「誰が、貴様らなぞに!」
「じゃあ、自力で岸まで泳ぐんだな。さぁ、仕事を再開するぞ!」
「「「おーう」」」
大工たちが低い声で返事をする。
やはりというか、誰一人溺れるジジイを助けようとする者はいなかった。
「まて! ワシは、本当に……っ、ぶぁっ! 泳げ、ないのじゃ!」
……はぁ。
「……だから?」
「早く助けぬと、死んでしまうぞ!」
「……だから?」
「いがみ合っている、場合か! 物事の優先順位を考えろ、バカが!」
「……だから?」
「なんでもいい! さっさとワシを助けろ!」
ん~……
もともと、ある程度懲らしめたら助けてやるつもりだったんだが……
こいつを助けたら大工たちが暴動を起こしそうだよなぁ。
とはいえ、ここで死人を出しちまうのはなぁ……
どうすっかなぁ。
「ひぃいい!?」
俺がこのあとの対応を考えていると、溺れるジジイが奇っ怪な悲鳴を上げた。
「に、人魚じゃ! 人魚が出た! 早ぅ! 早く引き上げてくれ! 殺される!」
見れば、ジジイの周りをマーシャがゆっくりと旋回していた。
マーシャの長い髪が波に揺れて怪しく広がる。
「ここでの非礼をみんな謝るなら、助けてあげる☆」
おどけたように言うマーシャ。
だが、その声はいつもの朗らかなものとはかけ離れた、肌が粟立つような恐ろしい響きをしていた。
「謝罪がなければ…………沈めるよ?」
「分かった! 謝ってやる! ワシが悪かった! これでいいじゃろう!?」
そんなもんが謝罪になるかよ。
「ま、しょうがないね」
マーシャも呆れているようだ。
力も知恵もないのに、プライドだけは有り余るジジイに。
「それじゃあ、100点満点中2点の謝罪だったので、2点の助け方をしま~す」
言い終わるのと同時に、海の表面が大きく波打った。
うねりを上げる大波が起こり、ジジイの体を港まで押し流す。
おぉ……自然界を操る力、怖ぇぇええ。
海にいる人魚は最強っての、マジなんだろうな。
遠くで「ぎゃっ!」という悲鳴が聞こえた。
きっと、港のどこかに頭でもぶつけたのだろう。
……しゃーない。引き上げに行ってやるか。
「ウーマロ。強制退場と接近禁止でいいか?」
「そうッスね。これ以上は、関わるだけこっちが損するッス」
ウーマロは大工たちに向かって「それでいいッスよね?」と確認を取っていた。
ここのボスがウーマロじゃなかったら、この筋肉ムキムキ軍団に袋叩きにされていただろうに。ジジイ、身の程を弁えろよ。
「さ~あ、この苛立ちは、仕事で発散させるッスよ!」
「「「う~っす!」」」
「じゃ~ね~、一番頑張った大工さんには、海漁ギルドからご褒美をあげちゃうね~☆」
「「「マーシャさんからのご褒美!?」」」
「海漁ギルドからね~☆」
「「「何貝だろう!?」」」
「ん~、ヤシロ君に感染した人が多いなぁ~、もう」
俺を巻き込むな。
濡れ衣もいいところだ。
なんにせよ、きっと本人もぶち切れていただろうに、大工たちをうまく諫めてくれたウーマロとマーシャに感謝だな。
現場はあいつらに任せておけば大丈夫だろう。
通路を駆けて、洞窟をあとにする。
以前は船を使わないと洞窟内へ行けなかったのだが、今では港から橋を渡って行けるように改良されている。
どんどん便利になっていく。
洞窟を出て波止場へ向かえば、ジジイが桟橋にしがみついていた。
水に浸かると体力を削られ、這い上がることすら難しくなるんだよな。
「おい、グレイゴン」
「…………はぁはぁ……貴様……」
桟橋にしがみついて、こちらを睨み付けてくる。
まだ分かってないらしい。自分の立場が。
「貴族に、このような真似をしてどういうことになるか……覚悟しておくのじゃな」
「じゃあ、告げ口をされないように、今この場で証言者を消すしかないな――」
お前が戻らなければ、ここであった無礼は知られることがないもんな?
「なっ!? ま、待て!」
「な? そろそろ学習しろよ。お前が口を開く度、お前の命は危険にさらされるんだ」
「そもそも貴様が――」
「沈めるぞ?」
「…………」
ようやく口を閉じたグレイゴン。
「ほら、引き上げてやるから、二度とここへは来るな」
腕を掴んで、強引に引き上げる。
引き上げるついでに、耳元で忠告を囁く。
「……この次は、誰が暴走するか俺にも分からん。止めることは不可能だろうな」
ごくりと、グレイゴンが喉を鳴らした。
こんだけ怖い目に遭えば、もうここへは来ないだろう。
「……調子に乗っていられるのも今のうちじゃぞ」
ま、それくらいの捨て台詞は言わせてやるさ。
「そうだな。とりあえず、今後の対応を協議するためウィシャートにでも会いに行ってみたらどうだ? ……そうすりゃ、テメェの置かれている立場ってもんがイヤでも分かるだろうからよ」
「……どういうことじゃ?」
「行って、その目で確かめてこいよ」
まず間違いなく、すでにウィシャートはグレイゴンを見捨てている。
情報紙への影響力もなくなり、トルベック工務店を追い詰めるはずだった組合は返り討ちに遭い、ウィシャートの計画はことごとく頓挫している。
もともと、気に入らない者を潰すためだけに始まった嫌がらせのような行為だ。
完膚なきまでに失敗した今、ウィシャートがそこに固執するとは思えない。
それどころではないだろうしな。
四十二区が面と向かって敵対した。
姿を隠して外周から絡め手で――なんて、そんな時期はとうに過ぎている。
いまさら、力を失い落ちぶれたただの貴族を、ウィシャートが重用するわけがない。
「行って、現実を見てこいよ」
そう言って、グレイゴンを送り出した。
ウィシャートに切られたと悟ったあのジイサンがどんな顔をするのか……
ま、わざわざ見るほどの価値もないだろうけどな。
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